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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2007.01.25
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カテゴリ: カテゴリ未分類
昨日からの続きです。

どうして、日本人にとっての芸術の意味をしつこく書いているのかというと、それは“日本人にとって芸術とは何か、表現すると言うことはなんなのか”ということをきちんと考えた上でないと、日本の教育の場に芸術や表現を持ち込む込んでも意味がないからなのです。
そうでないと、総合学習の二の舞になってしまいます。

“自分で考える力を育てる”などといっても、自分で考えることが出来ない人たち(先生)にそれを任せても無理だったのです。

まず、大人が自分たちが“自分たちには何が足らないのか、何が問題なのか”ということを考えることとが必要なのです。

そして、その自分たちの問題と取り組む作業と並行して子どもたちの授業を進めるべきなんです。そうでないと未来永劫日本の教育は変わりません。


欧米にも芸術があり、日本にも芸術があります。
それは昔から変わりません。
でも、欧米の芸術と日本の芸術は同じではありません。それを昨日書きました。



その様式を守るために存在してきたのが“家元”という制度です。つまり、日本では表現は個人ではなく流派、派閥に属するものなのです。

そして、その様式は高度に複雑化していますから、一般的な庶民がそう簡単に真似したり、取り組んだりするなどということは出来なかったのです。


ギュスターヴ・モロー (19世紀に活動した、フランスの象徴主義の画家である)という画家がいました。
彼の弟子にマチスとルオーという二人の巨匠がいます。でも、この三人の絵は全く違います。技法もテーマも全く違うのです。

でも、絵画が個人の表現ならそれはまったく自然なことです。師匠は弟子達に技術を教えます。でも、それだけです。そこから先の“表現”は弟子が自分で発見し、創り出すものであって、師匠が教えることではないのです。
(ただ、その技術と表現は切り離せない部分も多いので最初のうちは結果として似てしまいますけど。)

でも、日本の絵画教室の発表会に行くとみんな先生と同じ絵を描いています。全てではないでしょうけど、先生もまた、自分と同じような画風でないと認めない人も多いようなのです。

狩野派の画家は狩野派の絵を描かなくてはなりません。“別の派のここが素敵”と勝手に別の派の描き方を取り入れることは出来ないのです。
そんなことしたら破門されてしまいます。

武術でも、先生から学んだ型をそのまま受け継ぐことでその流派の名前を使うことが出来ますが、自分の創作を入れてしまったら別の一派を作って出ていくしかないのです。

そして、日本の学校教育でも同じことが行われています。音楽でも絵画でも先生はそれを表現としては見ていません。また、表現としてみてしまったら点数など付けることが出来ないはずなんです。



そして、先生がその家元になっています。


日本における様式文化、家元制度は芸術の世界だけの話しではないのです。
学問の世界でも、政治の世界でも、科学者の世界でも、医者の世界でも似たような状態がはびこっているのです。

そして、国語や算数を教える時でさえ、先生は家元のように振る舞います。ですから、分からないところに対する質問は受け付けますが、子どもの意見、考えは受け付けないのです。
子どもが自分の意見を言うと“生意気だ”ということになってしまいます。

また、昨日は“自問自答文化”という言葉も使いましたが、教室もそのような状態で閉じてしまっています。クラスでトラブルがあっても先生は自問自答を繰り返すばかりで、それを公にしたり、他者の協力を求めようとはしません。ですから、自問自答の末、精神を病んでしまうのです。



私は、日本人のこのような状態はその気質から出ているのだと考えています。
日本人は憂鬱質と、粘液質が強い国民です。

そして、憂鬱質の人は変化を怖がります。粘液質の人は変化が怖くはないのですが急激な変化にはなかなかついていけません。新しい環境になかなか感覚が慣れないからです。
憂鬱質の人はパッと動けるのですが、不安から過剰に新しい環境に適応しようとしてしまいます。(不安がないと動かないのですが・・・)

明治維新の時も外国からの圧力でようやく開国したのに、開国した途端に過剰適応してしまいました。

先の終戦(敗戦)の時も同じでした。

**************************

以下は、「伝統文化・宗教充実を」と題した「教育基本法改正受け素案」です。
昨日の朝日新聞の朝刊からの抜粋です。

<略>
基本法の改正で、国語や社会、音楽、美術などで伝統・文化に関する教育を充実することが明記された。素案では、その具体的な例として、小学校での古文や漢文の音読・暗唱を示した。

おいおい、古文や漢文が日本の伝統・文化のメインかよ・・・。

 宗教教育では、中学校の社会で世界各地の宗教の特色や役割に関する指導の充実を目指す。道徳については「内容、形式両面にわたる見直し」とし、高校での社会奉仕体験活動が例示された。

どの宗教をどのように教えるんでしょうか。
ちなみに、先日も書いたように、日本には日蓮宗、浄土宗、真言宗、禅宗(他色々あります)など色々な宗教がありますが、仏教という宗教はありませんからね。

みんな教えも信仰対象も違います。

また、クリスチャンでもない先生がキリスト教をどのように教えるのでしょうか。
偏見が入らないでしょうか。

<略>

 教育再生会議が提言する見通しになっている授業時数増加については、多くの学校が取り組んでいる朝の10分活動を授業時数に計上することや、長期休業日の活用などを例示したが、増やすとは明言しなかった。

朝の読書の時間が消えないことを祈ります。






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Last updated  2007.01.25 18:58:21
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