森へ行こう(心とからだと子育てと)

森へ行こう(心とからだと子育てと)

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

Profile

森の声

森の声

2007.01.26
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
最初にちょっとお知らせです。


開催の有無は、当日の朝、ブログとメールでお知らせします。
ご確認をお願いします。

****************************


ここまでに書いてきたように、日本では芸術や表現は個人のものではなく集団に属するものでした。
ですから、その人がどのような表現をするのかでその人がどのような集団に属しているのかが分かったのです。

そして、そのような集団がそれぞれ役割分担を引き受けながら社会の秩序や文化を保っていたわけです。
それは、300年にも亘る長い長い鎖国の結果だったのだろうと思います。その鎖国の間に組織や役割が固定され、人々が空間的、職業的に移動しなくなり、ただ親から受け継いだものを子に伝えるだけの社会が300年も続いたわけです。


それに、集団で活動させていれば上からの命令も伝え易いわけです。

先の戦争の時も、地域の中に集団組織を作ってそこで個人を管理、監督させました。キリスト教会も本来一つ一つが独立していたものを、日本キリスト教団というものを作ってそこに参加させ、管理しました。

でも、現代ではそのような個人を縛る集団は消えました。ですから、私達は他の人の迷惑にならない範囲でなら、自由に考え、自由に行動してよいわけです。

ところが、どうも組織に依存し、束縛されていた頃の記憶がDNAの中に残っているようなのです。

狭い檻の中に飼われていた動物は広い野山に放しても、狭い範囲でしか行動出来ません。ジャンプすると頭がぶつかるような低い天井の箱の中で飼われたノミは、外に出してもジャンプしなくなるそうです。

檻や壁がなくなっても、その記憶によって縛られてしまうからです。

その亡霊を消すためには実際に行動してみるしかないのです。

それはそんなに難しいことではありません。
ただ、思いついたことを試してみる。
伝えたいことを言葉にしてみる。
やってみたいことをやってみる。

それでいいのです。

最初は怖いかも知れませんが、それが表現の始まりであり、芸術の始まりなんで
す。

“芸術って素敵ね”と美術館に行ったり、音楽会に行っても、この自分を表現する怖さと向き合えなければ芸術はファッションに過ぎません。

そして、その怖さと向き合えない人は子どもたちの表現を受け止めることも出来ないし、また表現すること、そして芸術を通して子どもたちを育てることも出来ないわけです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.01.26 14:55:44
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: