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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2007.09.06
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日はこれから台風が直撃しそうですね。

うちの教室もお休みにします。
明日から始まる越谷でのワークは中止にして、二回目の時に一回目をやることにしました。

でも、被害にあう方も多くこういう事を言うと不謹慎なのですが、私は台風が好きでワクワクしてしまうのです。

子どもの頃は雷が鳴ると二階に上がり、眺め、台風が来るとワクワクして翌日朝、海に遊びに行きました。

皆さんは海に落ちる雷を見たことがありますか。
その日は晴れていたのです。上空は青空でした。でも、遠くの地平線の方だけ黒い雲に覆われていて、海に向かっていくつも、いくつもカミナリが落ちているのです。音も聞こえません。ただ、カミナリが見えるのです。
不思議な光景でしたよ。



ということで、今日のブログです。

昨日は「方言」と「考える力」についてちょっと書きましたが、私は環境の問題にしても、子どもの心とからだ、学力、遊びの問題にしても、それらが狂ってくる背景には「多様性」の問題が大きくからんでいるのではないかと考えています。

もっといえば、現代的な問題のかなりの部分に、この多様性の問題が関係しているのではないかと思っています。
この世界には実に多くの問題があります。でも、その原因をずっと、ずっとたどっていったら、実はほんの数種類の要素に分類できるのではないかと考えているのです。そして、その一つに多様性の問題があるのではないかということです。

つまり、この世界には無関係に色々な問題が存在しているのではなく、もしかしたらほんの数種類の問題しかないのかも知れないということです。それらが、複合的に混じり合い、またその場の状況と影響し合って様々な状態、様相を生みだしているだけなのではないかということです。

だとすると、いくら個別に問題を取り上げ解決策を考えても、いたちごっこを繰り返すばかりで無駄だと言うことです。

これは健康の問題ともつながっています。
ちなみに西洋医学はそのいたちごっこが得意です。
でも、いたちごっこではその部分の症状を消すことは出来てもからだそのものを治すことはできません。
ですから、ある部分の症状を消せば、別の部分に別の形で症状が現れます。
そして、西洋医学ではそれを“別の病気”として扱います。

本質が治れば、末梢的な問題は自然に消えると考えるからです。

多様性の問題は、また「色の世界」と似ているかも知れません。
世界中には無数の色があります。でも、それらは全てたった三つの「赤・青(光の場合は緑)・黄色」(+明暗)の組み合わせの結果に過ぎません。

それはまた物理学の世界でも同じです。
この世界を作っているのは基本的にエネルギーだけです。

直接その原理を使ったものが原子力発電であり、原爆であるわけです。

そして、そのエネルギーに形を与えているのが「重力・強い核力・弱い核力・電磁力」の四つのタイプの働きです。

実は世界の基本は単純に出来ているのです。
でも、その基本要素は様々に組み合わさって無数の多様性を生みだしています。
というより、 多様性が生まれたことで世界に秩序と安定が生まれたのです。

基本要素は共通する要素を含みません。
赤は黄色も青も含まず、黄色は赤も青も含みません。青は赤も黄色も含みません。
ですから、混ざり合った色が多様性を創り出していないことにはこの世界の色に秩序は生まれません。みんな対立するばかりになってしまうのです。

宇宙の始めには要素だけがばらまかれていました。
それらが反発し合ったり、引き合ったりしながら多様性を生みだし、宇宙は安定してきました。
多様な世界は複雑に絡み合っているが故に安定しているのです。

地球や生命の恒常性もその多様性に支えられて成り立っています。
だからいつでもゆらいでいて、それでいて復元力があるのです。
ゆらいでいるから不安定なのではなく、ゆらいでいるから安定しているのです。
それが機械とは違うところです。

でも、それ故にその多様性の世界は人間の知恵では扱えません。人間の意識は多様な状態を多様なまま扱うようには出来ていないからです。また、ゆらいでいる状態をゆらぎをとめないまま扱うこともできません。それが人間の脳の限界なんです。(最近ではコンピュータを使って扱うことも可能になってきましたけど。)

全ての生命は自分の生存のことだけを考えていればいいので、多様性のことなど考えずに目的指向的に今目の前のことだけに意識を向けることが出来ればそれでOKなんです。

その結果、人間は文明を発達させることができました。でも、現在ではそれが行きすぎて他の生命のことまで考えなければならなくなってしまいました。他の生命のことを考えないと、自分たちの生命まで消えてしまうところまで文明が進みすぎてしまったからです。

でも、どうも生命というものを支えている原理が分からないようです。
それは文明を支えている原理と、生命の原理とは相反する原理だからでしょうか。
そして、文明を支えている原理を使って生命を守ろうとしています。でも、それでは保護をすることはできても、元の生き生きとした生命の状態を復元することは出来ません。

東洋には、多様性を多様なまま扱う知恵、考え方がありました。
でも、そのため文明の発祥は早かったのですが、一定の所で止まったまま欧米に追い越されてしまいました。
必要以上に文明を発達させない知恵があったのです。

でも、今では世界中が「文明を成長させなければ人類の未来はない」というような妄想に囚われてしまっています。文明の成長の延長にしか未来を考えることが出来なくなってしまっているのです。
この妄想を何とかしないと人類は困ったことになるでしょう。

ちなみに、文明は多様性を破壊します。
多様性を破壊しないと文明化できないからです。

明日は、子育てと教育の場での多様性について書いてみる予定です。





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Last updated  2007.09.06 14:25:43
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