森へ行こう(心とからだと子育てと)

森へ行こう(心とからだと子育てと)

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

Profile

森の声

森の声

2008.05.26
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
子どもは話しかけられなければ言葉を覚えることが出来ません。仲間がいなければ言葉の使い方を学ぶことができません。本を読まなければ学問の世界に入ることが出来ません。手を使わなければ工夫の仕方を学ぶことは出来ません。からだを使わなければ意志が育ちません。見たことも聞いたこともないことを学ぶことは困難です。遊んでいる子どもたちを見たことがない子は遊び方が分かりません。勉強している人を見たことがない子は勉強の仕方が分かりません。助け合っている人を見たことがない子は助け合うということが分かりません。

こういうことは当たり前のことです。多くの人が、子どもは年齢が来たら自然に話し出し、自然に考えることが出来るようになり、自然に群れて遊ぶことが出来るようになり、自然に勉強するようになるなどと考えているようですが、それは全くの勘違いです。
原因がなければ結果は生まれないのです。

かといって単純に、“教えればいいのか”というとそれも違います。その点も多くの人が勘違いしています。
子どもは見たことも、聞いたことも、体験したこともないようなことを教えられても学習できないのです。それは全ての動物に共通する学習システムです。

オオカミが子どもに狩りの仕方を教えるのも、鳥が子どもに飛び方を教えるのも、猿が子どもに餌の捕り方を教えるのもみなやって見せて学ばせるのです。
子どもは見て、模倣します。その間違いを大人は修正します。そしてうまく出来たら褒めます。
そういう形の教育はできます。でも、見せないで、模倣もない状態で、大人が子どもに何かを伝えることは出来ないのです。
動物の学習システムの基本は模倣なんです。それは人間も例外ではありません。教科書だけで自転車の乗り方、泳ぎ方を教えることは出来ないのです。


“使える”ということは他の知識とのつなげ方を知っているということです。そしてその“つなげ方”は一種の技術なので、模倣で学ぶしかないのです。

そして、使えない知識を詰め込んでも心もからだも感覚も動きません。
それはつまり、そんなものいくら詰め込んでも自分の人生を生きる助けにはならないということです。むしろ、生き生きとした心やからだの働きを阻害してしまうので、自己肯定観も低くなり、虚無的になってしまいます。

逆に言えば、心やからだや感覚とつながって入ってこない知識や理解は役に立たないということです。その知識や理解が心やからだの感覚とつながっているから、思考とつなげることができるのです。なせなら、思考は心とからだの感覚の延長にしか働くことが出来ないからです。
(詳しくお知りになりたい方は最近の脳科学の本を読んでみて下さい。私は今「日本人の脳に主語はいらない」(月本洋著/講談社)というのを読んでいます。茂木さんや養老さんの本も面白いです。)
子ども時代は、知識を覚える時期ではなく、模倣を通して知識の探し方、使い方を学ぶ時期なんです。

例えば、「ヨモギ」という草があります。そのヨモギのことを本で読んで書いてあることを全部覚えても無意味です。
まず、野原に行きます。そこで“この草なんて言うんだろうね、いい匂いだね、帰って調べてみようか”という感覚との触れ合い、そして大人や仲間との対話があります。そして、食べることが出来る、乾かしてモグサにすることが出来るなどということが分かったら、実際に天ぷらにしたり、ダンゴにしたり、モグサにして遊びます。
こういう体験を通して“よもぎ”の事を知るのです。

何回も繰り返してこのような体験をした子どもは、他の全ての知識にもこういう背景があるのではないかということが推測出来るようになります。だから、今度は自分一人でも出来るようになります。するとこのような体験をした子と、しない子とでは知識への理解度の深さが格段に違ってくるのです。
そして、知識を使える形で学ぶことが出来るようになります。すると応用力が身に付きます。

学校で教わった知識の背景に興味を持つことが出来た子だけがさらに先に学習を進めることが出来るのです。それはつまり、知識を一つの物語の一部として読み解くということです。 だから学ぶことが楽しくなるのです。



でも、実は模倣以外にも子どもに何かを覚えさせるシステムもあるのです。それは“調教”という人間だけが考え出した方法です。調教では模倣は必要ありません。そして短時間で効果を上げることが出来ます。使うものはアメとムチです。
模倣という方法では猿やライオンに芸を仕込むことは出来ません。でも、調教という方法ならそれが可能になるのです。そしてその方法はマニュアル化することが出来ます。だから、その方法をきちんと学べば、誰でも簡単に子どもを思い通りに調教することが出来るはずだ・・・と思いこんでいます。ちなみに、洗脳は調教の仲間です。

でも、模倣で学んだ子どもたちは自立出来ますが、調教で学んだ子どもたちは自立出来ません。アメとムチがないと動けないからです。いつまでもアメとムチを与えてくれるご主人様が必要なんです。

でも、その調教に拘っている人を説得するのは困難なことです。
なぜなら、調教が好きな人は、自分もまた調教されて育った人が大部分だからです。

これは洗脳された人も同じです。

ですから、そういう人を見分けるのは簡単です。自分の考え方や行動のパターンを決して変えようとしないからです。そして、話し合いには応じず、自分に都合が悪くなると怒り出します。

そして、日本ではそのように調教を受けて育った人たちが政治や教育現場の中心にいます。“寄らば大樹の陰”、“長い物には巻かれろ”的な、自立していない政治家、自立していない校長先生がいっぱいいます。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.05.26 09:55:52
コメント(4) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: