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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2008.06.13
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カテゴリ: カテゴリ未分類
人間を動かしている大本のエネルギーは“感情”から生まれてきます。人間にとって感情とは行動のためのエネルギーなのです。そして、その感情と行動をつなげようとするときに能動的な意志が働き、“表現”というものが生まれます。そして、その表現を他者が受け止め、他者と共有されるとき、人は他者の表現も受け止め、共有することが出来るようになります。
どうやって自分の感情を行動に移したり、相手に伝えようかと工夫し考えることで、人間としての意識に目覚めていくということです。

ですから、秋葉原の事件の犯人は自分の感情をあのような形で表現するために、考え、実行する過程でワクワクしていたのではないかと思います。今まで、ズーッと親からも周囲からも無視され、抑圧してきた感情を自分の意志と行動でみんなに向けて表現することが出来るわけですから。
言い方はおかしいですが、“これでやっと一人前の人間になることが出来る”という感覚だったのではないかと思います。そのワクワク感があったから、彼は行動を止めることが出来なかったのでしょう。
だから、彼は自分がやった行為(表現)を反省はしないと思います。あれは“衝動的な気の迷い”ではなく、自分の意志に基づくちゃんとした“感情表現”だからです。(少なくとも本人はそう思いこんでいると思います。)彼はあの表現によって抑圧されてきた“今までの自分”から自由になろうとしたのです。25年間、ズーッと抑圧をされてきた感情の蓋を吹き飛ばすためにはあのくらいの破壊力が必要だったのです。反省をしてしまったらその蓋を肯定することになってしまいます。それは自分の人生を否定することになってしまいます。

人間の感情は押さえ込まれたままで出口がないと破壊的なエネルギーに変化してしまうのです。そして、今大人も子どももその破壊的なエネルギーをいっぱいため込んでいます。だから、ちょっとしたきっかけで暴発してしまいます。学級崩壊も、満員電車の中のいざこざもその破壊的なエネルギーが原因だと思います。

子どもを叱ってばかりいるお母さんもそのようなエネルギーがいっぱい溜まっているのでしょう。また、小さい時から感情をちゃんと表現する事を学んでいないので、自分の感情をコントロールする能力も育っていません。だから感情に振り回されてしまうのです。

でも、その逆に子どもを叱らないように一生懸命に我慢している良心的なお母さんもいっぱいます。でも、ほとんどの場合その努力は失敗します。 喜びの感情は表現しないと消えていきますが、怒りの感情は表現しないと逆に増えていくからです。 そして、間欠泉のように時々大爆発を起こすことになります。

怒りを抑えている人は感覚や感情全般の働きが止まってしまいます。からだの感覚も、心の感覚も鈍くなってしまうのです。 それはおしっこを我慢している時と同じです。ですから、子どもの心が見えなくなります。すると、子どもは自分の感情をお母さんに向けて表現することが出来なくなります。それは子どもにとっては自分の意志と感情が肯定されていないと言うことを意味します。

じゃあ、どうしたらいいのかというと感情を表現という形で行動とつなげてあげればいいのです。ただ吐き出すだけではだめです。カラオケやスポーツに行って、パーッと発散してもそれは一時的なガス抜きにしかなりません。自分と向き合うような表現が必要なのです。それは“自分の感情に気付くような表現”と言うことです。

一番簡単なのは言葉に出すことです。
嬉しい時には“ウレシー”、悲しい時には“かなしい”と言葉に出すだけで人は自分の感情に気付きます。怒っている時には“お母さんは怒っているぞ”とちゃんと言うことです。するとそれは子どもにも伝わります。
でも、多くのお母さんがそれまで押さえていた感情が爆発するようにいきなり怒鳴り出します。でも、いきなり大きな声を出されても子どもはビックリするだけです。そして、子どもはビックリしてしまうと自分の感覚を閉ざしてしまいますから、その後であれこれ言っても全く子どもは聞いていません。

それに、そういう状態では子どもにも言いたいことがあっても子どもは言うことが出来ません。それで子どもの感情は抑圧されていきます。

でも、問題はその肝心の自分の感情に気付かない人が非常に多いのです。お母さん達に“こんな時はどんな気持ちがしますか”と聞いても“分かりません”という反応が多いのです。自分の感情に振り回されているだけの人は、自分の感情からの声を聞くことが出来ないのです。

ですから、感情を表現したいと思うのなら、先ず自分の心の中にはどんな感情が蠢いているのか、そういうことを深く深く自分の心に問いかける必要があると思います。
秋葉原の犯人も本当の感情は“怒り”ではなく“悲しみ”だったのではないかと思うのです。そこに気付けば彼はまた違った行動を取ることもできたのではないかと思うのです。

子どもを怒鳴ってしまうお母さんの中にあるのは本当に“怒り”なのですか。もしかしたら“悲しみ”なのではないですか。その悲しみと向き合いたくないから、怒るのではないですか。
だとしたら、表現すべきは“怒り”ではなく、“悲しみ”の方なのでしょうね。そうしないと、怒りは消えていかないと思います。





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Last updated  2008.06.13 07:26:17
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