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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2008.07.22
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カテゴリ: カテゴリ未分類
青森から帰ってきました。青森はこちらより幾分涼しく夜などは過ごしやすかったです。

会場となった会館の隣にある文化会館(?)は維持できないので閉鎖したと言っていました。市民活動の拠点になるべき文化会館のような施設を閉鎖してしまうのですから、もう先は見えています。

一方、翌日は五所川原市というところでここは一転して大型店舗が軒を並べて活気のある町でした。ホテルのすぐ周囲にもエルムというイトーヨーカ堂の巨大な店舗、ヤマダ電機、ケーズ電機、スーパー銭湯、などなどほかにも大きなお店がいっぱい並んでいました。

それで黒石市の人はここまで買い物にきてしまうらしいのです。それでよけいに黒石市がさびれてしまったようです。

それで宿も初日と翌日とでは天と地の差があったのですが、その初日の夕食を食堂で食べているときテレビで“中学3年生の女の子が父親を刺殺した”というニュースが流れていました。

それでまた例によって、成績がよく、友達もいっぱいいて、明るくて、家族とも仲がよくて、問題行動などなくて・・・というように非の打ち所がない子どもで、テレビに出てくるコメンテイターの人たちも一様に“訳が分かりません”というようなことを言っていました。

その後の取り調べで、お父さんに“勉強しろと言われてイヤだった”とかいうような証言が流れてきましたが、そんなのどこの家庭でも普通にあることですから本質的な原因ではありません。
どうですか、みなさんは分かりますか。実は、この今の子どもたちの問題の深刻さは大人の視点、大人の価値観から見ていたら決して分からないのです。



大人たちは一生懸命に子どもたちに子どもの価値観を捨てさせ、大人の価値観に適合するように“しつけ”という名目で調教しています。これは、親だけでなく社会全体でやっていることです。今の日本の社会は子どもらしさを認めない社会なんです。そもそも“文明”と“子ども”が共存すること自体が難しいのです。子どもは本質的に1万年前からほとんど変わっていない原始的で素朴な心とからだで生きているからです。

今では子どもは生まれる時から“子どもとしての主張”を否定されています。
自然分娩では胎児は自分が生まれる時を自分で決めているといいます。その時が来たら“もういいよ”という合図を母胎に送るらしいのです。すると陣痛が起きます。でも、今では病院のスケジュールに合わせて無理矢理押し出されてしまいます。

また、胎盤も時期が来れば自然に出てくるのに無理矢理引っ張り出すので出血がひどくなり母胎を傷つけています。赤ちゃんの肺から水を吸い出すのも同じです。

うちの子は、上の二人は普通の病院で普通に産まれましたが下の二人は水中出産でした。3番目は片桐助産院で(故)片桐先生に取り上げてもらいました。
4番目は自宅で斉藤先生立ち会いの元、子供用プールの中で産まれました。斉藤先生は茅ヶ崎近辺で熱心に活動をしているユニークな先生です。“立って産んでも、座って産んでも何で取り上げてあげるよ”と言ってくれた先生です。

うちは全員破水してから産まれてきているので、上の二人も病院のスケジュールに合わせなくて済んだのですが、下の二人の時には全くお産に対する考え方が変わっていました。それは、“子どもを産む”ではなくて“一生懸命に産まれて来ようとしている赤ちゃんを大人がサポートする”という形のお産だったのです。
ですから、赤ちゃんの主体性を大事にして大人たちは待って、受け止めるのです。

病院で産まれるとすぐに肺の中の水を機械で吸い出しますよね。あんなこともしませんでした。
3番目の時、水の中に産まれた赤ちゃんを取り出したら、水鉄砲のように自分の力で鼻や口から水を吹き出しました。吸い出す必要なんかなかったのです。それに泣きません。泣いたのはへその緒の“ドクドク”が止まるときでした。自力呼吸の必要が生まれたからでしょう。

へその緒を切るのも、“ドクドク”という脈動が止まるまで待ってから切りました。そして、待っていたら自然に胎盤が降りてきました。だから、出血も少なくプールがピンク色になった程度です。


ちなみに4番目の時にはへその緒が巻いていて大騒ぎしていたので、よく覚えていません。
それでも、斉藤さんがすぐに異常に気づいて対処してくれたので大事に至らず、今では元気に遊び回っています。

このように、子どものからだの中にはちゃんと自分を成長させるメカニズムが働いているのです。ですから、大人がそれを感じてうまくサポートしてあげていればちゃんと子どもは自分らしさのバランスを保ちながら自立していくのです。それは生まれた後からの成長でも全く同じです。

子育てはまずその子どもの成長力を信じることから始まります。大人の価値観で子どもの成長をコントロールしようなどと考えてはいけないのです。

昔は、大人たちが忙しくて子どもに構っている暇などありませんでした。また、多くの大人が、基本的に心と体が元気であればそれ以上を子どもたちに望むこともありませんでした。子ども同士を競争させる必要などなかったからです。


なぜなら、 子どもには競争することの意味と価値が理解できないので、放っておいたら競争しないからです。 子どもの本能としては“みんなと一緒”の方がうれしいのですからそれは当然です。

子どもが自分の成長に必要なものを学んでいるときにはアメもムチも必要がありません。自分の成長に必要なことを学んでいるときには学ぶことが楽しくて仕方がないからです。そして、それお子どもは“遊び”という形で学びます。
叱ったり、怒鳴ったり、ご褒美をあげたりしなければやらないようなことは子どもの成長には必要のないものばかりです。
でも、今本当に必要なものは与えず、子どもの成長を阻害するようなものばかりを子どもに押しつけています。

そのように育てられている子どもは自分を主張することが出来なくなります。しっかりとした“自分”というものを持っていない子は自分を主張することが出来ないのです。また、不安ばかりが強くて自信がないからです。大人に反抗することも出来ません。“ノー”と言えないのです。ですから、嫌なときには“無視をする”という手段を使います。

学級崩壊も無視から生まれます。昔、“ツッパリ”という子どもたちがいた時代には子どもたちは先生たちに面と向かって反抗していました。でも、今の子どもたちは反抗しません。言うことを聞いてしまうのです。他にどうしたらいいのか分からないからです。そして、言っていることが分からない時、言葉に従えないときには“分かりません”とは言わずに無視します。すると結果として学級が崩壊した状態になります。

今、先生は“言うことを聞かないのなら家に帰りなさい”などと子どもを叱ることが出来ないそうです。そんなことを言ったらほんとに帰ってしまう子が珍しくないからです。

ですから、学級が崩壊しているクラスの子でも一人一人はみんな素直でいい子なんです。学級崩壊状態でも先生に反抗などしないのです。ただ、無視するだけです。“無視”という穏和な形で処理することで自分も先生も傷つけないようにしているのかも知れません。

今、「友だち地獄」(土井隆義著/ちくま新書)を読んでいますが、ここにも“ノーと言えない子どもたち”の姿が描かれています。
みんな“いい子”を一生懸命に演じているのです。

そして、ある時“本当の自分がいない”ことに気づくのです。
ノーと言えない子どもがその相手から逃げるためには相手を殺すしかないのです。

と、いろいろと書いていて日米関係に似ているな・・・と感じました。
日本はアメリカの“いい子”から抜け出せませんからね。





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Last updated  2008.07.22 15:32:16
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