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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2008.09.22
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昨日、かえるさんのコメントに対して

とお答えしました。

現代社会は情報社会だと言われます。それで様々な情報が「文字」という形でテレビやネットや本などで流れています。こんなにも文字が氾濫したのは有史以来初めてのことでしょう。ちょっと前までは文字は一部の人にしか読み書きできない道具だったのですから。
それでも、つい最近まで文字は情報を伝えるためのものであって「会話」のためのものではありませんでした。人類は何千年と文字を使ってきましたが会話にまで文字を使うようになったのはここ10年以内のことなのではないでしょうか。それと同時に私たちは声の必要性、声の可能性、声の豊かさを忘れ、声の楽しさ、声の技術、声でしか伝えることが出来ない世界を失いつつあります。

それはまた同時に人々が自分や他者と向き合うことが出来なくなってきたという事ともつながっています。文字を書く時には相手は存在していません。メールであれば送信する時に相手が限定されるのです。また、文字はやり直しも消去もできます。そして発信元を示さなければ文字は匿名です。

でも、声は声を発した時点で誰が、誰に向けて語っているのかがはっきりしてしまいます。匿名の電話で相手が名前を名乗らなくても、声を録音しておけばその人物を特定することは可能なんです。メールで届いた文字ではそんなことは出来ません。

また、声を聞いたとたんに相手に対する感情を感じることが出来てしまいます。
「どうしたの?」、「げんき?」などというような簡単な言葉でさえ、声に出して言うと相手に対しての気持ちまで表現されてしまうのです。メールの場合は本当に心配して書いた「どうしたの?」と、ただの挨拶程度の「どうしたの?」に区別はありません。その言葉をどのように受け取るのかはその文字を読む人次第です。


文字で送ることが出来るのは「説明」だけです。「愛しています」とメールで送ってもそれは自分の感情を伝えているのではなく、自分の感情を説明しているだけです。また、メールは簡単にうそが付けますからその「愛しています」にリアリティーを感じるためにはそれだけの背景が必要になります。つまり、色々な情報を元にして何らかの解釈をしないことにはその「愛しています」の意味を正しく理解することができないのです。

でも、実際に会って声で「愛しています」と伝える時には、どれほど愛しているのかという感情をそのまま相手に伝えることができます。とにかく嘘ではないと言うことだけは声で伝えることが出来るわけです。

メールでは「愛しています」と書く時にはそれほど勇気は必要ありません。送信ボタンを押す時にちょっと勇気が必要になるだけです。
でも、実際に会って自分の言葉で「愛しています」と伝える時には、その相手の前に立つだけで勇気が必要です。そして、一つ一つの言葉も心の中から絞り出さないと出てきません。そこでは自分の存在の全てがさらけ出されてしまうのです。ヘラヘラ笑いながら「愛しています」と言っても拒否されるばかりです。

声で伝える時には、またその声を受け取る人も自分の存在の全てでその声を受け取ります。ですから、声を受け取る時の様子を見ていると相手に対する感情まで見えてしまうのです。一生懸命に話しかけているのに、目を見ようとしない人はその話しかけている人にあまりいい感情を持っていません。

でも、文字でのコミュニケーションに慣れてしまった現代人にはこの「声」の持つ特性自体がウザッタイようです。本気や本音で語るということ、自分の感情をさらけ出すことに抵抗を感じる人が増えてきたのです。それはまた、地域共同体が崩壊して人と人との繋がりが希薄になったり、また群れ遊びの体験を失い、生身の人間同士でのコミュニケーションが苦手な人が増えてきたこととも関係していると思います。

文字の世界では人間関係ですらゲーム感覚で遊ぶことが出来ます。でも、声の世界では人は本気で生きなければなりません。そして、人々は声を避けて文字の世界で軽い人間関係を作って、軽く生きていきたいと願い始めています。
ちなみに、バーチャルな仮想空間も文字の世界と同じ特性を持っています。結局はデジタルなデータの集合に過ぎないのです。

でも、文字の世界は子どもには通用しません。子どもたちは声の世界の住人だからです。
ネット掲示板やメールなどでのモラルやルールを子どもたちに伝えようとする活動も盛んですが、でも、子どもたちは大人以上に文字にリアリティーを感じることができません。子どもにとって文字はおもちゃと同じなんです。「モラル」という人間的なものと「おもちゃとしての文字」を子どもはつなげることが出来ないのです。

子どもたちに伝えなければならないのは「言葉のモラル」です。そしてそれは生の声での体験を通してしか伝えることが出来ないのです。生の声でないと子どもの感覚と感情とからだに響かないからです。繰り返しますが、 子どもたちは古代人と同じように声の世界の住人なのです。



また、文字が読める子にもお話を聞かせてあげたり、絵本を読んであげて欲しいのです。文字が伝える世界と、声が伝える世界とでは同じ話でも子どもの心とからだへの働きかけ方が全然違うのですから。





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Last updated  2008.09.22 08:43:12
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