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森の声

森の声

2012.01.28
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カテゴリ: カテゴリ未分類
毎回、きついことばかり書いて申し訳ありません。

でも、私は誰も非難はしていません。ただ、ちゃんと見ることが出来る目を持ちながら、目を閉じたまま歩き、穴に落ち、壁にぶつかり、蛇を踏み咬みつかれ、崖に向かって歩いている人に、「目を開けなさい」と言っているだけです。

確かに、目を開けたら、穴や、壁や、蛇や、崖が見えて怖いかも知れません。だから目を閉じていたいのでしょう。でも、人はそれでも前に進まなければならないのです。そのままの場所に留まっていることはできないのです。自分が動かなくても穴や、蛇や、崖は向こうからやってくるのです。

確かに、苦しみと向き合うのは苦しいかも知れません。でも、ちゃんと目を開けて苦しみを見ないことには、それを避けようがないのです。

ただその時、「いいかっこ」することを考えてはいけません。怖いよ、やだよ、苦しいよと叫んで、誰かに助けを求めてもいいのです。大切なことは「かっこつけること」ではなく、目をそむけないこと、目を閉じないことだからです。

目を閉じて怖くないふりをして、かっこつけても、目を閉じたままでは苦しみから逃れることは出来ないのです。

また、私の太極拳の先生は「相手を握るな」と言いました。人は相手の自由を奪おうと思って相手を握るのでしょうが、実は握られた相手より握った方が不自由になってしまうからです。

握ることで相手を束縛しようとするとき、からだや腕などに力を入れる必要があります。でも、そのことで逆に自分自身が不自由になってしまうのです。

相手の腕を握った時、相手も素人でこちらの力に反応してからだを固め、頑張ってくれれば力と力の勝負になり、力が強い方が勝ちます。でも、相手が力を入れなければ相手の自由を奪うことは出来ません。こちらは力を入れて不自由になっているのに、相手はこちらが握っている部分以外を自由に動かすことが出来るのです。



こんな武術の話し、自分や子育てに関係がないと思っていますか。でも、「からだの使い方」は「心の使い方」と相似形なので、実はそのまま関係しているのです。

子どもを束縛しようとしているお母さんは、子どもを束縛するためにいつも心とからだを固めています。でも、子どもは自由に行動します。束縛されるとしてもお母さんがいるときだけです。だからほとんどの場合子どもの方が勝ちます。

子どもはいつもお母さんの予想を超えた動きをするものです。そんな、自由に動く子どもと対等に関わるためには、お母さんもまた自由でなければならないのですが、目を閉じたままでは自由に動くことが出来ません。だから目を閉じたままのお母さんは子どもを束縛しようとします。

でも、自由な状態の子どもは逃げます。

それでも、お母さんの方が力が強いので、お母さんが力づくで羽交い絞めにすれば子どもの自由を奪うことは出来ます。でも、その状態ではお母さんも子どもも何にも出来ません。

その結果、お母さんは子どもを束縛することだけを考え、子どもはお母さんから逃れることばかりを考えるようになります。そして、親子ともそのまま一生を終えることになります。

でも一般的には、お母さんの方が先に人生を終えます。また、結婚などでお母さんから離れることもあります。理屈としてはそこで自由になることが出来るはずなんですが、でも、幼い時からお母さんに抱きつかれたまま、自由を体験しないで育ってしまった人は、現実を見ることを恐れ目を閉じたままです。しかも、自分が目を閉じていることすら知りません。

でも、だから自由に生きることが出来ません。自由に生きることができないということが「目を閉じていること」の証拠なのですが、でも、そんなこと誰も教えてくれません。また、知りたくもありません。

そして、自分もまた抱きつく相手を求めます。誰かに抱きついていないと不安だからです。多くの場合、身近にいる子どもに抱きつきます。子どもが逃げようとすると羽交い絞めにします。その結果、歴史が繰り返されます。

この悪循環から抜け出すためには自由になる必要があるのです。目をあけ、苦しみと向き合うのは自由になるためなのです。

また、固まってしまっている心とからだを緩める必要もあります。いくら自由になりたいと思っていても、心とからだが固まったままでは動きようがないからです。


すると首が緩みます。

部分ばかり見ている人は全体も見るようにしましょう。
すると目が緩みます。

自分のことばかり考えている人は、相手のことも考えるようにしましょう。
すると意識が緩みます。


するとからだが緩みます。

声を出さない人は声を出すようにしましょう。
すると胸が緩みます。

こういうことは全て自由になるために必要なことなのです。

自由になると、自然に束縛は消えていくのです。
実は自分を縛っているのは自分自身だからです。

*********************************

<告知です>二つあります

★3月31日(土) 10:00~11:45
 「親子で遊ぼう」 私が主催している 「ポランの広場」 という教室でやっている
          遊びなどをご紹介します。
          わらべうた、からだで遊ぶ、布やロープで遊ぶなどです。
          ポランの卒業生も参加OKです。

対 象: 3才くらいから6才くらいまでの20組の親子

参加費: 1500円(子どもの人数にかかわらず)
     (ポランの広場の卒業生は1000円です。)

備 考: 子どもは裸足でお願いします。お母さんはご随意に。
     飛んだり跳ねたりゴロゴロするかもしれませんので、
     子どももお母さんも動きやすい服装でおいで下さい。
     スカート不可です。
会 場:  茅ヶ崎市勤労市民会館5F 「A研修室」
     JR茅ケ崎駅北口から徒歩5分です。
     お申し込みいただいた方には詳しい場所をお教えします。

***************************

「お母さんたちの自分育て教室」12回連続講座

お母さんたちの「自分育て教室」を月一回のペースで12回連続で行います。
その12回の内訳は

 気質の学び 6回 / 表現ワーク 3回 / 心と体のセルケア 3回

です。気質の時は連続して参加してほしいですが、表現ワークと、セルフケアの時は単発参加もOKです。ただし、連続して参加してくださっている方より参加費がちょっとだけ高くなります。

参加費は基本1500円で参加して下さったときにお支払いいただきます。でも、最初に6回分まとめてお支払いいただけるなら7200円(1200円/回×6回)にします。

第一回目は4月16日(月) 10:00~11:50 です。基本的に月曜日にします。
会場は上と同じ勤労市民会館ですが、部屋は3Fの「B研修室」です。

詳しことは篠までお問い合わせください。





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Last updated  2012.01.28 12:22:30
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Re:「自由になろう」(目を開けて苦しみと向き合うのです)(01/28)  
マシュマロ さん
>ただ、ちゃんと見ることが出来る目を持ちながら、目を閉じたまま歩き、穴に落ち、壁にぶつかり、蛇を踏み咬みつかれ、崖に向かって歩いている人に、「目を開けなさい」と言っているだけです。

笑ってしまいました・・・


いつか、自分が落ちた穴や、ぶつかった壁や、噛み付いてきた蛇にも、落ちかけた崖にも、その時に得た傷にも「ありがとう」と心から言えたらいいな・・・そんな風に思えるようになりました。

いつもみんなの心に響くように、色々な方向から「大切なこと」をお話してくださっている森へ行こうさんのブログは私の宝物です。

ありがとうございます。 (2012.01.28 14:00:17)

Re[1]:「自由になろう」(目を開けて苦しみと向き合うのです)(01/28)  
森の声  さん
マシュマロさん

>いつか、自分が落ちた穴や、ぶつかった壁や、噛み付いてきた蛇にも、落ちかけた崖にも、その時に得た傷にも「ありがとう」と心から言えたらいいな・・・そんな風に思えるようになりました。

大丈夫ですよ。
人間は幸せになるために生まれてくるのですから。 (2012.01.29 10:00:25)

Re:「自由になろう」(目を開けて苦しみと向き合うのです)(01/28)  
ひろひろ さん
>毎回、きついことばかり書いて申し訳ありません。
 「自分の目は開いているゾー!」と信じて疑わずに、目を閉じたまま歩いている人にとっては、チクリともしない内容だと思います(笑)

>ただ、ちゃんと見ることが出来る目を持ちながら、目を閉じたまま歩き、穴に落ち、壁にぶつかり、蛇を踏み咬みつかれ、崖に向かって歩いている人に、「目を開けなさい」と言っているだけです。
 今回、とっても分かりやすい内容で、こんなことを言語化できる森の声さんは「すごいなー」と思いました。
 子どもは、”目をあけて!”と私を何度も揺さぶってきます。私は目を開けるのがこわい時もあります。こわくて目を閉じているときは、”今、あたしは目を閉じているな・・・”と感じながらじっとしていて、自然に開くときを待っています。 そのことによって、子どもには負担をかけていることがあるので申し訳なく思うときがあります。でも、それでも、また立ち上がって、目を開けて歩きます。今はそれしかできません。

そんな中、目を開けて前に進んでいく勇気を、こちらからいただいていて、感謝しております。

マシュマロさんには何か通じるものがあり(勝手にすいません)、私はまだまだ道半ばですが、苦しい時の対応のしかたや、読まれた本などを参考にさせていただいています。リアルなお話は、本を100冊読むよりも参考になるんです。これからもよろしくお願いします。

(つづきます)



(2012.01.29 12:53:07)

つづきです。  
ひろひろ さん
元主人は目を閉じて歩いている人でした。
”パパ、目を開けて!そのまま歩くと危ないよ!!”と揺さぶる子供を、穴や、壁や、蛇や、崖と勘違いして過敏に怯え、恐怖で暴れまくるというかんじでした。
その手足が当たって、子供が傷ついていることにも全く気がついていませんでした。
跳ね飛ばされた時は泣いても、子供はすぐにまた寄ってくるので、余計に実感がわかなかったのでしょう。
「あなたの振り回している手足で子供が怪我しているよ!」と伝えると、ますます暴れて手に負えなくなりました。
子供のことは好きなはずなのに、見ていて悲しかったです。
でも、第三者のいる所では暴れることを制御できているのは、非常に不気味でした。
その場面が、離婚してもうすぐ一年ですが、未だにフラッシュバックとなっています。

それから、目を閉じているところではなく、「子どもを蛇などと勘違いする」思い込み度や、「反応の過敏さ」の度合いによっては・・・、「脳の情報伝達物質の不具合?(障害?)」のようなものが絡んでいる場合があるのではないか・・・と感じています。

DV被害の当事者会で話を聞いていると、世の中では以外とそういうパターンも多いのではないかと思います。
ただ、それは加害者の学力や職業には関係ないし、本人も顔を使い分けるので(意識していない場合も多い)、外からは見えづらい・・・。
DV加害者に現役のお医者さんも多いという現実にも驚きます。





(2012.01.29 13:12:50)

Re:「自由になろう」(目を開けて苦しみと向き合うのです)(01/28)  
マシュマロ さん
>人間は幸せになるために生まれてくるのですから。

時々、「なんの為にこんなところに産まれて来ているんだろう」と考えて、途方にくれてしまう時があります。

水の中に油が一滴ぽたんと落ちてしまったような、この世の中にどうしても溶け込めない気分になってしまう時があります。それで空を見たりすると「もっと全部繋がっているところに行きたい」と思って寂しくなってしまいます。
自然の中に身を置くと、そういう気持ちがストンと落ち着いてくるので、最近は意識的にそういう場所まで行って落ち着くまでぼーっとしています。
「前の私よりは間違いなく幸せに近づいているなぁ」と確認できると落ち着くみたいです。
幸せになるために生まれてきている・・・そうですね。そのために辛い色々な出来事もあるのですよね。受け止めて前に進んでいる自分を褒めてあげようと思います。 (2012.01.30 10:53:05)

Re:「自由になろう」(目を開けて苦しみと向き合うのです)(01/28)  
マシュマロ さん
ひろひろさんへ

私もひろひろさんのコメントを読んだり、他の方の同じような体験を知ることで、こちらも同時に救われます。不思議ですよね、みんな繋がっているんだなーって思います。こちらこそ本当にありがとうございます。篠先生に見守られながら、こうやって時々コメントさせていただくことは、私の心のリハビリです(笑)いつも自分に正直でいるかどうか、自分の感情の素直な部分にピントがあってるかどうかの確認作業でもあります。30年ずっと自分の正直な部分から目を閉じていたからなかなか難しいんです。辛かった過去、一足飛びに乗り越える事は出来ませんね。

>第三者のいる所では暴れることを制御できているのは、非常に不気味でした。

ちょっと状況は違いますが、ひろひろさんのコメントからふと思った私の子供の頃の事を書かせてください。

母は、人によって表情、言葉の使い方、雰囲気がかなり変わります。彼女が私以外の人と接するのを見ると、変な感じがしました。
「そういう笑顔を私にもしてほしい」と子供の頃よく思っていました。
でも「私は娘だから母は気持ちを許しているんだ」と思いました。母は私に対しては、気分屋で不幸そうに寂しそうに傷ついている母、という感じなんですけど、近所の人にとっての母は全く違うと思います。
(つづき) (2012.01.30 12:06:56)

Re:「自由になろう」(目を開けて苦しみと向き合うのです)(01/28)  
マシュマロ さん
ここで、大人になって気付き始めた私は混乱したわけです。「母は、私を愛していないのか」「母は人格障害かもしれない」「私を傷つけようとしたのか」「それとも無意識でやったのか」「でも私の幸せが何より大事だって言っていたし」「私を傷つけているとは思わなかったのか」「私なら息子にあんな事言わないのに、なんで母は私に言ったんだろう」
もう頭の中は母で一杯になるわけです。
「母はどう考えての事だったのか」「母はどう思っているのか」
これに囚われてしまったら、自分の気持ちはどこかへ行ってしまいます。
相手がどういった人格を持っていようが、故意に傷つけようとしていようがいまいが、相手が自分を愛していようがいまいが、ここで大切なのは「私はどう感じたのか」という事です。「母はどう考えての事だったのか」「母は自分をどう思っているのか」を考えるべきなのは、本当は母自身だから。20代の頃はずっと囚われていたので、「泣いて謝るのに浮気をやめられない人」「自分の事しか考えない人だけどすごく仕事のデキル人」とか、そういう人とお付き合いしていつも傷ついていました(笑)

私もまだ、時々「あの時の母のあの言動は・・・」と囚われそうになります。そういう時は、「自分の感情を感じる」事に集中します。「私は母の気持ちを知りたいと思っているんだな・・・」って。そう思うと、自分の気持ちをほっておいて相手を思いやるなんて出来っこないんだと、はっと我に返ります。
セラピーに行き始めた二年前、セラピストさんに私はこんな事を聞いていました。「みんな、ほんとに自分の幸せのために生きているんですか?(人の幸せのために生きるのが人間じゃないんですか?という意)」私は自分のために感覚や言葉や体を動かすということがさっぱり分かりませんでした。本当は歩けるのに、ずっと車椅子に座っていたら歩けなくなるのと同じなんですよね。
(長くてすいません) (2012.01.30 12:10:06)

Re[1]:「自由になろう」(目を開けて苦しみと向き合うのです)(01/28)  
森の声  さん
ひろひろさん

> 子どもは、”目をあけて!”と私を何度も揺さぶってきます。

そうなんですよね。
導き手であるお母さんが目を閉じていたら怖いですからね。 (2012.01.31 09:12:05)

Re:つづきです。(01/28)  
森の声  さん
ひろひろさん

>でも、第三者のいる所では暴れることを制御できているのは、非常に不気味でした。

元ご主人は、幼い時から恐怖心によってコントロールされてきたのだろうと思います。

「他者の目」に、怖かった「母親の目」(もしくは「父親の目」)を感じているのでしょう。

>それから、目を閉じているところではなく、「子どもを蛇などと勘違いする」思い込み度や、「反応の過敏さ」の度合いによっては・・・、「脳の情報伝達物質の不具合?(障害?)」のようなものが絡んでいる場合があるのではないか・・・と感じています。

このような場合、確かに発達障害が隠れている場合も多いようです。子どもに発達障害があり、手に負えないため、それを恐怖心によってコイントロールしようとして、二次障害を引き起こしてしまうというパターンです。

多くの場合、軽度の発達障害は成長とともに「個性」の中に消えていくのですが、二次障害となってしまった心の傷は消えないのですよね。 (2012.01.31 09:19:26)

Re[1]:「自由になろう」(目を開けて苦しみと向き合うのです)(01/28)  
森の声  さん
マシュマロさん

>幸せになるために生まれてきている・・・そうですね。そのために辛い色々な出来事もあるのですよね。受け止めて前に進んでいる自分を褒めてあげようと思います。
-----
先日、Umiの家というところの主催で、ある楽しいイベントがありました。

その時、司会者である友人のM子さんは、「幸せの始まりは 苦しみの始まりでもあるのですよね」と言っていました。

苦しみと幸せは紙の裏表のように切り離せないものなのでしょうね。 (2012.01.31 09:23:08)

Re[1]:「自由になろう」(目を開けて苦しみと向き合うのです)(01/28)  
森の声  さん
マシュマロさん

>セラピーに行き始めた二年前、セラピストさんに私はこんな事を聞いていました。「みんな、ほんとに自分の幸せのために生きているんですか?(人の幸せのために生きるのが人間じゃないんですか?という意)」私は自分のために感覚や言葉や体を動かすということがさっぱり分かりませんでした。本当は歩けるのに、ずっと車椅子に座っていたら歩けなくなるのと同じなんですよね。
>(長くてすいません)
-----
お母さんの笑顔が子供を幸せにします。

私の笑顔があなたを幸せにします。

「あなたのためよ」と苦しい顔をしている人の周りの人は苦しい顔になるでしょうね。 (2012.01.31 09:25:24)

Re:「自由になろう」(目を開けて苦しみと向き合うのです)(01/28)  
マシュマロ さん
>その時、司会者である友人のM子さんは、「幸せの始まりは 苦しみの始まりでもあるのですよね」と言っていました。
>苦しみと幸せは紙の裏表のように切り離せないものなのでしょうね。

そう思います。
苦しいと感じる時は、「本当の自分」に近づく時。一歩また幸せに向かい歩き始めた時は、私の中に、苦しみがまずやって来る。と感じています。この苦しみもまた、愛から来ているように思います。 (2012.01.31 10:38:16)

Re[1]:「自由になろう」(目を開けて苦しみと向き合うのです)(01/28)  
森の声  さん
マシュマロさん
>>その時、司会者である友人のM子さんは、「幸せの始まりは 苦しみの始まりでもあるのですよね」と言っていました。
>>苦しみと幸せは紙の裏表のように切り離せないものなのでしょうね。

>そう思います。
>苦しいと感じる時は、「本当の自分」に近づく時。一歩また幸せに向かい歩き始めた時は、私の中に、苦しみがまずやって来る。と感じています。この苦しみもまた、愛から来ているように思います。
-----
自由と困難(束縛)も似たような関係ですね。

自由にされたままの子供は自由を知りません。 (2012.02.01 09:36:45)

Re[1]:「自由になろう」(目を開けて苦しみと向き合うのです)(01/28)  
ひろひろ さん
マシュマロさんへ

>篠先生に見守られながら、こうやって時々コメントさせていただくことは、私の心のリハビリです(笑)
 私も同じくです(笑)
で、”リハビリってなんだろう?”と思い、言葉を調べてみました。

『リハビリテーション(英語: rehabilitation)とは、身体
的、精神的、社会的に最も適した生活水準の達成を可能とすることによって、各人が自らの人生を変革していくための手段を提供していくを目指し、且つ時間を限定した過程である』

概要
『リハビリテーションの語源はラテン語で、re(再び)+ habilis(適した)、すなわち「再び適した状態になること」「本来あるべき状態への回復」などの意味を持つ。・・・』
(ウィキペディアより)

と、なんだか難しいことが書いてありました。
中でも印象に残ったのが、「再び適した状態になること」「本来あるべき状態への回復」の「再び」「本来」という部分でした。
心のリハビリって、今ある状態から「もともとあった心の状態に戻る」ということなのかな?と思います。
脳内親が住み着く前の状態というか。

森の声さんのブログやコメント欄の中に、思い出すヒント、、腑に落ちるヒントがたくさんあって、人生のナゾ解きをしているみたいで楽しいです。
これからもよろしくおねがいします♪ (2012.02.02 05:21:45)

Re:「自由になろう」(目を開けて苦しみと向き合うのです)(01/28)  
マシュマロ さん
ひろひろさんへ
>中でも印象に残ったのが、「再び適した状態になること」「本来あるべき状態への回復」の「再び」「本来」という部分でした。
リハビリの意味・・・すごいですね。再び元に戻る。
「ふりだし」に戻るのではなく・・・確実に以前の「私」ではないのですよね・・・そうなりたい。

今また、自分が目を閉じている部分が少し分かってきて・・・「自分の中の他者との対話」で心がひーひー言っておりました(笑)
「共依存」を知った二年くらい前に、「自他同一」という言葉も知り、それについて考えていました。
二年前セラピーに通い始めの頃、他人の感情に自分をまるごと同化させてしまうのが苦しかった。自分が全く無い感覚だったんです。他人に自分が吸い取られるような感覚というか。その後、しっかり自分を持つことで、初めて他者とも正しい関わりを持てるのでは、と考えられるようになりました。今まで自分の本当の感情を感じて生きていなかったと気付いたんです。
それで、ここ一年程、自分の素直な感情を自分が感じる事(自分の中にいる親などに惑わされず、とでも言いましょうか)に取り組みました。でも今、それに意識をしすぎて自分が自分を苦しめているような感覚が大きくなっていました。まさに牢獄・・・
自分の感情を感じようとするばかりで、他者と関わっても一体化出来ないわけですから、幸せに感じない・・・
多分、「自分の中の母親」とそろそろ対話する時期なのだと感じています・・・これが恐ろしい・・・

「我を忘れる」・・・幸せを感じる時は、自分を忘れて他者と一体化すること・・・以前は、ある意味ではずっと出来ていた事です。
でも、あの頃は自分が無かったから辛かった。自分を確立した上で、こういう一体化が出来たら・・・と今日感じていました・・・。
こうして皆さんとの関わりの中毎日気付きがあって嬉しいです。ほんと、謎解きみたいですね^^

(長くてすいません!) (2012.02.02 09:56:27)

Re[1]:「自由になろう」(目を開けて苦しみと向き合うのです)(01/28)  
ひろひろ さん
マシュマロさんへ
さっそくのお返事ありがとうございます!書きかけの文章があったので、順を追ってお返事を書かせてくださいね。
>母は、人によって表情、言葉の使い方、雰囲気がかなり変わります。彼女が私以外の人と接するのを見ると、変な感じがしました。
 詳しい経験談を教えていただきありがとうございました。
うちの母もよく似ています。他人の前では、まるで別人。本人は意識をしていないので、まるで女優です(笑)
 口癖は「これだけしてやったのに感謝の気持ちがない。」「子どもは親の言うことだけ聞いておけばいいの!」「〇〇さんがこう言ってたわよ。(だから、あんたもそうしなさい、という意味。)」「そんなことしてたら人に笑われるわ!恥ずかしい!!」などなど・・・。「別人スイッチ」が入った時に必ずあらわれる眉間のシワが、たまらなくコワいです・・・(-"-)
 それと、平気で嘘をよくつきます。嘘はとっさに無意識でついていて、本人も矛盾に気が付いていません。いや、本当は矛盾に気がついているけど、気がついている事を認めることに耐えきれないので、彼女の脳が、過去のことをねじ曲げて「自動変換」もしくは「自動消去」してしまっているようにみうけられます。
 そんな母親の周りはいつも、「もめ事」だらけです。いつも誰かの文句を言って、困っていて被害者風です。だけど内心は、”もめ事大好き!だって、自分自身と向き合わずに済むんだも~ん♪”状態なのを私は知っています・・・。

・・・おそるべし、我がおかん!
・・・それで、そのままでいいのかっ?!

・・・と問いたいですが、母は母の人生です(-。-)y-゜゜゜
 彼女の父親は、暴力をふるう人だったので、もしかしてつらい体験をしたことも、大きく影響しているのかもしれませんね。
こちらも長くなってしまい、すみません。つづきますね。  (2012.02.02 13:26:28)

Re[1]:「自由になろう」(目を開けて苦しみと向き合うのです)(01/28)  
ひろひろ さん
マシュマロさんへ

つづきです。
 「代理ミュンヒハウゼン症候群」ってご存知でしょうか?ウィキペディアから抜粋すると、『自分に周囲の関心を引き寄せるためにケガや病気を捏造する症例で、その傷付ける対象が自分自身ではなく身近の者に代理させるケースをいう。この症例は子供を持つ母親に多く見られ、その傷付ける対象の多くは自分の子供であり、子供に対する親心の操作であったり、懸命または健気な子育てを演じて他人に見せることによって周囲の同情をひき、自己満足することも挙げられる。』とあります。同じにおいがプンプンします。(元主人も、似たところがあるんでしょうねー。)

 まぁ、なんだかんだありましたが、育ててもらったことは理屈抜きで母に感謝しています。人間的に”苦手な人物”であることは間違いありませんが、「母の命」あっての「自分」なので、「産んでくれてありがとう。」です。過干渉に関しては”彼女は、体を張って全力で憎まれ役を買ってくれているんだ。そして、色んなことを学ばせてくれているんだ~!”と自分に言い聞かせてます(^_^;)

 それから、母との難しい心の距離感をとるヒントになったのが、「斉藤環」さんの『母は娘の人生を支配する―なぜ「母殺し」は難しいのか』という本です。文章はハッキリ覚えていませんが、そこには【痴呆老人との会話のような「無意味なコミュニケーション」】を提案していました。これで、距離感をイメージできるようになり、格段と楽になりました。仕事での介護経験が意外なところで役に立ちました。無視するのではなく、いい意味での「無意味なコミュニケーション」はモラ母には有効です。
 あと、ご存知かもしれませんが「あなたの子どもを加害者にしないために」の中尾英司さんのブログ。”「第二の誕生」の仕方”というテーマの内容も、参考になりました。
どちらも読みやすいので、ご興味があれば一読を~(^_-)

(2012.02.02 14:01:03)

Re[1]:「自由になろう」(目を開けて苦しみと向き合うのです)(01/28)  
ひろひろ さん
マシュマロさん

>「共依存」を知った二年くらい前に、「自他同一」という言葉も知り、それについて考えていました。
二年前セラピーに通い始めの頃、他人の感情に自分をまるごと同化させてしまうのが苦しかった。自分が全く無い感覚だったんです。

わかります、わかります。
「共依存」の概念、衝撃的でしたね。
苦しかったけど、苦しんでいるのは”自分一人じゃないんだ”と分かった部分で私は救われました。

自分の輪郭がないような、同化の感覚も理解できます。
そこから移動しようとすることは、癒着をはがしていくようなものすごい激痛を伴うことだと思います。
考えるだけでイテテ・・・というかんじです。

>こうして皆さんとの関わりの中毎日気付きがあって嬉しいです。ほんと、謎解きみたいですね^^

これからも、笑いながら、泣きながら、そして時には解離しながら(笑)、楽しくナゾ解きに挑んでいきましょうね! (2012.02.02 14:35:28)

Re[1]:つづきです。(01/28)  
ひろひろ さん
森の声さん

>「他者の目」に、怖かった「母親の目」(もしくは「父親の目」)を感じているのでしょう。

ものすごい当たっています・・・。
彼が怖かったのは「父親の目」です。


>>>それから、目を閉じているところではなく、「子どもを蛇などと勘違いする」思い込み度や、「反応の過敏さ」の度合いによっては・・・、「脳の情報伝達物質の不具合?(障害?)」のようなものが絡んでいる場合があるのではないか・・・と感じています。

>このような場合、確かに発達障害が隠れている場合も多いようです。子どもに発達障害があり、手に負えないため、それを恐怖心によってコイントロールしようとして、二次障害を引き起こしてしまうというパターンです。

>多くの場合、軽度の発達障害は成長とともに「個性」の中に消えていくのですが、二次障害となってしまった心の傷は消えないのですよね。

発達障害そのものより、二次障害が深刻なことがあるんですね。
心の傷・・・。
きっと彼も幼いころに配慮が必要な子供だったんでしょうね。
でも、森の声さんの文章にあったように、親も似た特性や二次障害がある場合、なかなか配慮に気が付くのは難しいとのこと。
彼が何かをきっかけに、これからでも成長していけるということに気がつく瞬間が訪れますように・・・と、遠くから祈るばかりです。

人間の幸せについて、考えさせられます。
ありがとうございました。 (2012.02.02 14:51:27)

Re:「自由になろう」(目を開けて苦しみと向き合うのです)(01/28)  
マシュマロ さん
>自由と困難(束縛)も似たような関係ですね。
本当そうですね。照らされている光を知るためには、影にも気付く必要があるってことでしょうか。
「子供の頃、束縛されて嫌だったから、我が子は自由にさせよう~」こういうことじゃないんですよね。これじゃ親子の連鎖は止まりませんね。


ひろひろさん
>他人の前では、まるで別人。本人は意識をしていないので、まるで女優です(笑)
ひろひろさんのお母様の様子、私の母を見ているようです。親戚で揉め事が起きている事まで一緒。信じそうなくらいの柔らかい嘘を真実に混ぜるので、「マスコミかっ!」と言いたくなります(笑)過去のことをねじ曲げ「自動変換」もしくは「自動消去」するというのも、日常的です・・・。
父親は、暴力はありませんでした。ですがあまり子供に関わりを持つ人ではありませんでした。もくもくと仕事して、夜中に帰ってくる人、あとは母にお任せ。それだけな感じ。「耳が無い」という感じの方で、ほとんど会話が成り立ちませんでした。子供の頃、父親と関わった記憶は、くすぐりあい、くらい・・・(笑)
私は、父親、母親に対してまだ歩み寄る感情を持てません。いつか自然と「ありがとう」と言えるのかな・・・まだ、両親と抱きしめあって和解するイメージを持つと体がこわばります。 (2012.02.02 15:11:05)

Re:「自由になろう」(目を開けて苦しみと向き合うのです)  
マシュマロ さん
>「代理ミュンヒハウゼン症候群」ってご存知でしょうか?
子供を無意識に病気にさせてしまい看病にやりがいを感じる・・・というものですよね。母がそれに当てはまるかな、と思ったことありました。
母は、私が病気をしている時すごく輝いているように見えました。ニコニコして一生懸命。私は子供の頃ひどいアトピーと喘息で、でもなぜか卵ご飯を毎朝食べたり、甘いお菓子も毎日かなりの量を食べていた記憶があります。
>中尾英司さんのブログ
知っていましたよ^^
二年前、知りました。また見てみようかな^^

でも・・・私は、アダルトチルドレンとか、人格障害とか、共依存とか、「これも!これも!これも私だ!」というところで満足しようとした時期があって、調べすぎて自分を見失いました(笑)それでそういった事を必要以上に調べたりするのをやめました。結構知ってしまった後でしたけど(笑)知りたいのは、「あの時私はあんなことがあって、こんな風に感じた。」という自分の物語だな、と思いました。
でも、読んで素晴らしい「気付き」になる本もあるんですよねー^^本は大好きです。最近、河合隼雄さんの「心の扉を開く」を読んで、感動しました。ひろひろさんのお勧めの本、読んでみたいと思います^^(つづき) (2012.02.02 16:33:54)

Re:「自由になろう」(目を開けて苦しみと向き合うのです)(01/28)  
マシュマロ さん
私、今思うのは・・・二年前は、「どうにかして誰か(カウンセラーや親戚など)に自分のされたひどい事を全部話して、分析してほしい」気持ちが強かったんです。
そして「あなたが傷つくのは、誰が見ても納得。当然でしょう。辛かったですね」と言って欲しかった。
でも、二年前、縁があって出会ったヒプノセラピストさんは、「ただ淡々と聞くだけ」の方でした。
最初、「なんで一緒に泣いてくれないの」「なんで私の母親はひどい人だと言ってくれないの」「私がこんなに泣いているのに、なんで表情1つ変えてくれないの」とセラピストさんに頭にきていた(笑)
自分の感情をセラピストさんにも同じように感じて欲しかった・・・
彼女は「過去、とても苦しかったと貴方が感じるのは、当然、本当に、苦しかったんでしょうね」と言うだけ(笑)
私は「そりゃそうだよ」と思って、拍子抜け(笑)
なんとかセラピストさんにも、同じような気持ちになって欲しい・・・と思っていました。
この状態、「共依存」に似ているような・・・

でも今は、世界中の人から「どこの家庭でもよくある事でしょ」と言われようが、構いません。「自分が傷ついたと感じる過去」を自分がちゃんとそれを受け入れて、前に進みたいと思っています。

篠先生、ひろひろさん、ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。

長いコメント失礼いたします。 (2012.02.02 16:36:57)

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