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すべて、お楽しみさ… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2012.05.26
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私は、「芸術とは何か」ということを考えることは「幸せとは何か」ということを考えることとつながっているのではないかと思っています。

その「幸せの形」が昔と今とでは変わってしまったため「芸術の形」も変わってしまったのでしょう。

現代人が求めている「幸せの形」は自分の要求が満たされることです。現代人は、望むものが手に入れば幸せなんです。

そこでは「創造的であること」は意味を持ちません。それよりも「望むもの」を手に入れるためのお金や、権力や、情報の方が必要になります。

確かに、昔の人にとっても「望むもの」を手に入れることは「幸せ」の一つの形ではありました。だからお金や権力に執着する人もいっぱいいたのでしょう。その点に関しては今も昔も、東洋も西洋も同じです。

でも、それと同時に昔の人はその虚しさも知っていました。どんなにお金持ちになっても、どんなに権力者になっても「死」は必ず訪れます。そして、死ぬ時は生まれた時と同じように無一物です。

生まれた時は「からだ」を得ましたが、死ぬ時はその「からだ」すら捨てなければなりません。

その不安と恐怖が、人を「永遠なるものとのつながり」へと向かわせました。

神様や仏様を信じることも、その「永遠とのつながり」を得るための一つの方法でした。



昔の人は、ただ自分の要求を満たすだけでなく、「永遠なるもの」との一体化にも幸せを求めたのです。

これは全く不思議なことなんですが、人は「美」に永遠を感じるのです。だから「美」を求め、「美」に飽きることがないのです。

人間は飽きっぽい動物なので、色々なことにすぐに飽きてしまいます。だからファッションでも、車でも、家でも、流行やモデルチェンジがあるのです。

でも、夕日や花の美しさには飽きません。
名画や名曲にも飽きません。

絵描きは毎日絵を描いていても飽きません。

陶芸を作る人も、毎日陶芸を作っていても飽きません。

「人はなぜ、美に対しては飽きないのか」、これは「人間とは何か」ということを考えるための非常に大きなテーマです。

ファッションなどにはすぐ飽きてしまうということは、そこに「変化する楽しさ」はあっても「美」がないからなのでしょう。

現代人は「永遠」や「普遍的な美」を求めるのではなく、現世的、日常的な「変化」を求めています。そしてその「変化」によって経済活動が支えられています。「永遠」や「普遍的な美」を味わうためにお金は不要ですが、「変化」を楽しむためには「お金」が必要になります。

また、変化の中に幸せを求める生き方は必然的に消費を増大させます。破壊も進行します。どんなにリサイクルをしても、リサイクルの過程で自然を破壊しているので、長い目で見たら結果は同じ所に行きつきます。



でも、人類の滅亡は人類にとっては絶望ですが、他の動物たちにとっては希望になるでしょう。皮肉なことに、人類は今、地球にとってそのような存在になってしまっているのです。

子どもたちが自然の中で仲間と遊んでいる姿は、それはそれは美しいものです。デパートの中で走り回っている子どもには困惑しますが、森の中で走り回っている子どもは美しいのです。

私は、人間は「自然と共に」という生き方が一番合っているような気がするのです。とにかく、その状態が一番美しく感じるからです。

その「自然と共に」という生き方に目覚めるためには、もう一度「美を求める心」を取り戻す必要があるのではないかと思うのです。

その「美」は自然からやってくるのです。人間には自然に「美」を感じる本能が埋め込まれているのです。それを無視しているからおかしくなってしまっているのです。



でも、経済優先の人たちにはどうしてもその感覚が通じません。





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Last updated  2012.05.26 09:02:00
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