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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2012.09.15
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日の文章は、あるところから頼まれていた原稿の下書きです。まだ、推敲が足らない部分がありますが、その点をご理解の上お読み下さい。

これで、一応、「言葉」のテーマは一休みします。

**********************

 人間が「人間らしさ」を得ることが出来たのは、「言葉」を得ることが出来たからです。「自分」という意識も「言葉」を得ることによって生まれました。論理的に考える能力も、真・善・美を感じる能力も、心や命や時間や空間や神様について考える能力も、知識や知恵や技術を伝え蓄積できるのも、人と人がつながり合うことが出来るのも全て「言葉」のおかげです。

 「言葉」こそが「人間らしさ」の源であり、人類の「人間としての歴史」は全て「言葉の獲得」から始まりました。そして、これだけ高度な文化と文明を築き上げた人類でも、「言葉」を失えばあっという間に原始人以前の状態に戻ってしまいます。高度な文化も文明も全て崩壊します。何万年かかって蓄積されてきた膨大な知識や知恵や技術も言葉の消滅と共に全てが霧のように消えてしまいます。なぜなら、「言葉」を失えば「伝承」が出来なくなってしまうからです。

 記録で残しても、「言葉」を失ってしまった人はその記録を解読することが出来ません。どんなに素晴らしい記録が残されていても、解読する能力を失ってしまった人間にはゴミと同じです。

 このように、この高度に文明化された豊かな世界は、一見強固で永続的に続くように見えますが、実は「言葉」を獲得する作業を通して自転車操業的にかろうじて維持されている不安定な世界なのです。

 だからこそ、私たちは意識的に「言葉」を守り、育て、子どもたちに伝えていかなければならないのです。世代を超えて人間としての精神や知性や人間性を継続していくためにです。これは環境問題と同じなのです。

 でも、現状は全くその逆の状態に進んでしまっています。世界中で言葉がどんどん壊れ始め、若者たちは「言葉」を失い始めています。特にそれは日本のように生活が便利になってしまった国において、著しい傾向があります。



 そんな現代人にとって、「言葉」とは単に生活の道具に過ぎません。ですから「生活に必要な言葉」だけしか教えようとしていません。さらに、「生き延びるためには英語が必要だ」と思えば、日本語を教えるよりも熱心に英語を教えます。でもそれは、今豊かな生活をするために、森を壊し、海を汚し、生き物を殺し、原発を作り続けるのと同じ行為なのです。

 自然が失われてしまったら、その豊かさも維持できなくなります。人間の生活は間接的に「自然」に支えられているからです。同じように、「生活に必要な言葉」だけでは、精神性や知性や人間性を伝承することは出来ないため、結局「文化」や「文明」といったものまで失うことになってしまいます。高度な文化や文明を維持するためには「高度な言葉」が必要だからです。そのため、やがて「豊かさ」も失ってしまうでしょう。

 でも、「目の前の豊かさ」に中毒症状を起こしている現代人にはそこまでの想像力はないようです。たしかに、学校では一応「昔の言葉」を学ぶ授業はあります。でも、先生たちはその言葉を「知識」として教えるばかりで、「言葉」として教える能力は持っていません。そもそも「テストのための勉強」で「精神や知性や人間性を伝えるための言葉」を教えることなどできないのです。また、子どもたち自身もそのような言葉には関心がありません。社会全体の価値観が変わってしまっているからです。

 そのため、現代人の「言葉」は非常に「うすっぺら」になってしまっています。それに合わせて、精神性も知性も人間性も人と人のつながりも薄っぺらになってしまっています。イジメや、虐待や、引きこもりや、様々な理解不能な事件の増加の背景にもこの「言葉の問題」が働いています。

 確かに、その「薄っぺらな言葉」でも、現代的な普通の生活を送るためには充分です。(だから薄っぺらくなってしまっているのですけど・・・)また、「精神性や知性や人間性といったものの内容や価値も、時代と共に変わるものさ」という考え方もあります。だから、「それでもいいじゃないか」という考え方も可能です。

 でも、困ったことにその「薄っぺらな言葉」では仲間作りも出来ないし、さらには幸せな夫婦関係も、幸せな親子関係も、幸せな子育ても維持出来ないのです。なぜなら、「薄っぺらな言葉」では「対話」も、「助け合うこと」も、「支え合うこと」も、「理解し合うこと」も出来ないからです。

 その「薄っぺらな言葉」とは「空っぽの言葉」のことです。ですから、その反対の言葉は「中身が詰まった豊かな言葉」ということになります。決して、「難しい言葉」のことを言っているわけではありません。ですから、学歴とは全く関係がありません。学校など出ていなくても「豊かな言葉」を使うことが出来る人もいれば、東大を出ても「薄っぺらな言葉」しか使えない人もいます。

 それはまた、単なる「知識としての言葉」ではなく、自分の心や、感覚や、からだや、体験とつながった「中身が詰まった言葉」ということでもあります。「自分の言葉」と言い換えることが出来るかも知れません。だから、それらを失った「薄っぺらな言葉」では対話することも、つながることも、育てることも、支え合うことも出来ないのです。

 では、その「豊かな言葉を取り戻すためにはどうしたらいいのか」ということですが、便利な道具や機械に依存することを少し控え、自分の感覚やからだを使った生活を取り戻したり、自然と触れあったり、生命を育てるようなことを生活の中に取り入れたり、物語を聞いたり読んだりしたり、他の人といっぱい対話したり、仲間と助け合ったり、様々な表現活動をしてみることです。

 私たちの祖先はそのような生活を通して「言葉」を学び、伝えてきたのですから。そして、現代人はそのような生活を失ってしまったために「言葉の中身」を失ってしまったのです。「言葉」は「器」なのです。

 子どもたちもまた、そのような活動と共に言葉を学ぶことで、言葉に「中身」が入るのです。大人もまた、空っぽの言葉の中に「中身」が入って行きます。テレビや教科書や本で学んだだけの言葉にはその「中身」がないのです。





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Last updated  2012.09.15 08:08:17
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