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すべて、お楽しみさ… かめおか ゆみこさん

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森の声

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2012.09.23
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カテゴリ: カテゴリ未分類
昨日ネットで色々なニュースを見ていたら、2040年(2050年?)頃には、車の運転は全て自動化されていて、運転をしなくても目的地まで連れて行ってくれるようになる。そのため、運転免許も必要がなくなるのではないかというような記事を目にしました。

確かにそうなったら事故も減るでしょうし、人間は運転に煩わされることなく、車に乗っている間はテレビを見たり、ゲームをしたり、寝ていたりすることが出来るでしょう。

それを「人間が自由になる」と表現することも出来るでしょう。

そして、自動車だけでなく人間は自由になるために様々な機械を発明してきました。電気掃除機も、洗濯機も、冷蔵庫も、人間を様々な労働から解き放ち、自由にするために発明されました。

そのうち、「子育てロボット」が作られたらお母さんたちはもっと自由になるでしょう。

私が小さい頃にはまだ、電気掃除機も、洗濯機も、冷蔵庫も、テレビもありませんでした。自動車や電話は金持ちだけが持っていました。

でも、小学生・中学生の頃になると、これらの家電が発明され、あっという間に普及しました。

それに伴い生活は便利になりました。余暇を楽しむ時間も出来ました。特に、母親たちは辛い労働から解放され自由になりました。

いや、なったはずです。



その状態は、どう見ても全然自由になったようには見えないのです。むしろ、昔のお母さんたちよりも不自由になった気がします。

人間は生活の中や「生きる」ということに対して「充実感」を求める生き物です。心の中を何かで満たしていないと、孤独になり、不安になってしまうのです。

そのため、「何もしないでいいよ」と言われたり、実際に何もすることがない状況に置かれるとかえって苦しくなってしまうのです。

これは人間の本質的な本能です。

人間は「自由」を求める生き物ですが、同時に「不自由」の中に「生きがい」を求める生き物でもあるのです。

「自由」だけに囲まれていると、「充実感」も「生きがい」も得ることが出来ないのです。

昔のお母さんたちは毎日の生活をやりくりするだけで、「家族のために頑張っている」という充実感を得ることが出来ました。それだけ大変な労働だったからです。

でも、その重労働から解放された現代のお母さんたちは、同時にその充実感も失いました。そのため、その充実感を求めて様々なカルチャーを学んだり、色々な集会に出かけたり、「子育て」に夢中になっています。また、小さい時から子どもを保育園に預けて仕事に出かけるお母さんも増えてきました。

その多くは「自分の生きがい探し」です。「誰かのため」とか、「家族のため」という名目はあっても、その多くは「自分の生きがい」のためです。人間は「誰かのため」という名目があると大義名分と充実感が得やすいのです。

そして、昔のお母さんと同じくらい忙しい状態になってしまっています。

人間は自分の背中の大きさ以上の荷を背負うことは出来ません。でも、背中に空きがあると不安になってしまうのです。そして、何かを見つけて背中をいっぱいにして安心するのです。



それは時として「心の苦しみ」という荷であることもあります。

それが現代人の状態でもあります。

電車の中や公園などで小さなゲーム機に見入っている姿は、ゲーム機に支配されている非常に不自由な状態です。

でも、その「不自由」が居場所と安心を与えてくれます。

そして、その不自由な状態に慣れてしまうと、「依存」が始まります。








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Last updated  2012.09.23 13:03:08
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