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すべて、お楽しみさ… かめおか ゆみこさん

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森の声

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2012.09.27
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今日は、ようこさんからの

自営業で、あきらかに主人のグータラが私にシワ寄せを寄せていると感じています。子どもの前で喧嘩したくないと思いながら、つい小言を言ってしまいます。どうして小言をいってしまうのか、自分の生い立ちからの性格上、自覚症状はあるのですが、小言を言わないでおこうと頑張っても、だんだんとイライラがたまり、爆発していまします。夫婦喧嘩がもたらす影響が、実際に子供たち(5歳、2歳)に出ているように思います。子どもたちも、私のように、自分の思うように人に動いてほしがります。悩んでいます。どうしたらいいでしょうか?

という質問に答えさせて頂きます。

ようこさんだけでなく、「自分を変えたいと思うけど変えられない」とか、「怒らないようにしたいと思っているのに怒ってしまう」というような相談はよく来ます。

そんな時、私は「自分を変えようとか、自分を押さえ込もうなどと考えない方がいいよ。そんなこと出来ないんだから」と答えています。

実は、人間は自分で自分を変えることは出来ないのです。それが出来るなら、みんな自分の思い通りの自分になっているはずです。

それは、子育てでも子どもを変えることが出来ないのと同じです。

子どもを変えようとすればするほど、子どもは反発して、余計に思い通りにはならなくなるのです。

なぜなら、「相手を変えよう」とする時、人は相手の短所ばかり見ています。そして、短所ばかりみられているその相手は、必然的に防御を強くして頑固になってしまいます。

そのため、変えようとすればするほど変わらなくなってしまうのです。これは「自分」に対しても同じです。「自分」を変えようとすると、「変わりたくない自分」が反発してくるのです。



では、「諦めるしかないのか」というと、諦めるのも一つの方法です。

お釈迦様はそのような方法を説きました。

ある人がお釈迦様に「死ぬのが怖いので、死なないようになる方法はありませんか?」と聞きました。

(数十年前に読んだ内容をうろ覚えの記憶で書いているので正確ではないかも知れません。ご承知下さい。)

そうしたら、お釈迦様は「今まで死人を出したことがない家を探して、その家のカマドの灰をもらってきなさい。そして、その灰を飲めば死なないようになるでしょう。」と答えました。

それでその男は、できる限りの家を回って「死人を出したことがないかどうか」を聞いて回りました。

でも、そんな家、一軒もありませんでした。

それで、その男は「人は死ぬものなのだ」ということを「知識として」ではなく、「自分自身の覚悟」として受け入れることが出来るようになったのです。

その結果、死を恐れなくなり、生き生きと生きることが出来るようになったということです。

これは子育てでも同じなのですが、「諦める」ということは「受け入れる」ということでもあります。すると、変えようとしても変わらなかったのに、変わってしまうことがあるのです。

それは、心が攻撃を受けなくなり、自由を取り戻すからです。



そして、諦めることが出来ない人に限って、自分の希望通りに変わるのではないと受け入れないのです。

なぜなら、その背景には「不安」と「孤独」があるからです。その「不安」と「孤独」が強い人ほど、自分の欲求を手放すことが出来ないのです。

「安心」が欲しいから相手を支配したいのです。そのような状態に至るまでにはその人の人生の歴史があります。

ですから、その「不安」と「孤独」を直接癒すことは出来ません。

そこで、「からだ」と向き合う必要があるのです。



実は「不安」とか「孤独」というのは「心の問題」であると同時に、「感覚の問題」でもあるのです。

相手を支配したい人は「感覚」が閉ざされているのです。

そしてそれは「からだの問題」でもあるのです。


<明日に続きます>





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Last updated  2012.09.27 09:07:36
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