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森の声@ Re[3]:「体験格差」(子どもの育ちに必要な体験について)(11/04) めげぞうさんへ >これからどうなって行…

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森の声

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2019.07.23
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カテゴリ: カテゴリ未分類
子どもはよく、お母さんに「なんで?」「どうして?」と聞いてきます。

なんで夜が来るの?
なんでリンゴは落ちてくるの?
なんで人は死ぬの?
なんで手を洗わなければいけないの?

とか、
どうして人は死ぬの?
どうして僕は生まれてきたの?

とかです。



するとほとんどのお母さん達は、自分が知っている知識でそれに答えようとします。

「なんで夜が来るの?」と聞かれたら、「地球が回っているからよ」とか、「なんでリンゴは落ちてくるの?」と聞かれたら「重力があるからよ」とか、「風が吹いたからよ」とか、「熟したからよ」とかいうようにです。

でも子どもは「つながりから切り離された静的な知識」になど興味がありません。子どもは「つながりに支えられた動的な理由」が聞きたいのです。(意味不明でしょうけど後日説明します)

さらに、「どうして人は死ぬの?」とか、「どうして僕は生まれてきたの?」になると、単なる知識では答えにくくなります。人間の理解を超えた世界の出来事ですから。

科学は「死の仕組み」や「生の仕組み」は説明できても、「なぜそれが存在するのか?」ということに関しては答えを持っていないのです。

(「生」や「死」を説明するためには、「つながりに対する理解」が必要になります。「つながりから切り離された静的な知識」では説明できません。)

それを説明するために生まれたのが「宗教」と呼ばれるものです。だから科学がこんなにも進んだ時代でも宗教を信じている人がいるのです。

そしてだから、宗教が消えてしまった社会に生きている大人には「どうして人は死ぬの?」とか、「どうして僕は生まれてきたの?」という質問に答えることが出来ないのです。

本来、科学と宗教は、「対立する関係」ではなく「補い合う関係」だったのです。「宗教の中から科学が生まれた」という歴史的事実がそのことを示しています。

東洋でも西洋でも、古来から科学的な知識や技術を守り伝えてきたのは宗教者なんです。宗教者は同時に科学者であり医者でもあったのです。

実際、ウィキペディアで「ニュートン」を調べると「神学者」という肩書きも書いてあります。



でも、人々が「宗教による安心」よりも「豊かさによる安心」の方を求めるようになると、宗教はその必要性を失ってしまいました。

でも、「豊かさによる安心」は同時に「豊かさを失う不安」とつながっています。だから更に豊かさを求めるようになります。そして、欲望をかき立てます。

宗教が嫌いな人は「宗教が戦争の原因になっているから嫌いだ」と言いますが、科学は「効率的に人を殺す道具」として使われています。実際、「戦争が科学の発達を促してきた」という側面は大きいのです。

だから、実際にはどっちもどっちなんですが、でもそれは「正しい宗教のあり方」ではないし、「正しい科学のあり方」でもありません。

そこで必要になるのが「教育」ということなんです。


「競争に勝つための教育」 ではなく 「自分の不安や欲望に振り回されないための教育」 です。
この教育を失ってしまった社会では、人々は「自分」を守るために、「自分の欲望」を満たすために、競争し、戦います。

そして、「不安」に取り憑かれて生きるようになります。「競争に勝つための教育」に子どもを追い立てたりもします。

でもそのような教育に「子どもを育てる力」はありません。なぜなら最初から「育てること」が目的ではないからです。

宗教も、科学も、道具に過ぎません。宗教は安心を得るための道具であり、科学は豊かさを得るための道具です。

経済も政治も同じです。

そして「道具」はその使い方を間違えると悲劇を引き起こします。包丁は、「美味しいお料理を作るため」に作られているのですが、使い方を間違えると悲劇が生まれます。

そこで「包丁は善か悪か」という議論をしても無意味ですよね。
「包丁」が「美味しいお料理」につながるか「悲劇」につながるかは、包丁の問題ではなく、その道具を使う人の問題だからです。



でも、正しい使い方をすれば、人を幸せにすることが出来ます。
言葉は、人を傷つけるために使うことも出来れば、人を喜ばせるために使うことも出来ます。

だからこそ、「その道具を使いこなす能力を育てるための教育」が必要になるのです。

人間だけでなく、全ての命あるものが幸せに生きることが出来る世界を創るために「教育」が必要になるのです。


でも実際には、「道具を使いこなす能力を育てる教育」ではなく、「多くの道具を手に入れるための教育」が主流になってしまっています。

そして、道具の使い方を学ぶことが出来ないまま大人になった人達は、道具に振り回されたり、道具で人を傷つけたり、自分自身が傷ついたりしています。

このまま進めば、人間は自分たちが創り出したものの力で自滅してしまうでしょう。
それもまた歴史が証明していることでもあります。

皆さんはお子さんから「なんで勉強するの?」とか、「なんで学校に行かなきゃいけないの?」と聞かれて答えることが出来ますか。





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Last updated  2019.07.23 08:28:11
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