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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2022.04.10
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カテゴリ: カテゴリ未分類
一般的に、「子どもは無知で無力な存在だ」と思われています。だから、「大人が守り、しつけ、教育してあげなければちゃんと育たない」と思うのでしょう。

確かに子どもの成長には大人の支えが必要です。時には「守ってもらうこと」も必要です。でも、だからといって「子どもの能力」が「大人の能力」よりも劣っていると言うことではないのです。

確かに、幼い子どもはまだうまく言葉を話せません。知識もありません。
でも、世界中のどんな言葉でもネイティブとして学び、話すことが出来るようになる能力を持っています。どんな難しい発音だって聞き分け、発音することが出来るようになる能力を持っています。
でも、大人にはこの能力はありません。外国語として学ぶことは出来ても、ネイティブには及びません。

自分が生まれた場所がどんな過酷な場所でも、成長の過程でからだをその場所に一番適した状態に整えることが出来ます。

冬にマイナス何十度になるような所に生まれても、その場所に適応したからだを育てることが出来ます。
逆に、極端に乾燥していたり、高温が続くような所に生まれても、その場所に適応したからだを育てることが出来ます。

でも、大人になってからでは、自分が生まれ育った環境とあまりにも異なった環境で長期に暮らすのは困難です。



ジャングルの中で育てば、ジャングルの中で生活する感覚が育ちます。ジャングルでの生活に合わせて、食べ物を得る能力や、危険を察知する能力が育ちます。
でも、都会生まれ、都会育ちの子を、いきなりジャングルに連れてきて訓練させても、生まれた時からジャングルの中に居る子には敵わないでしょう。


その状態を例えて言えば、どんな組織にも成ることが出来る万能細胞と同じように、どんな能力でも身につけることが「万能能力」を持っているようなことです。


大人は日々の生活の形に合わせた特殊化された能力を持っています。でも、幼い子どもはどんな生活にも合わせることが出来る万能能力を持っているのです。

この能力は、生活の中での様々な体験を通して、必要な能力は成長し、必要がない能力は消えて行くという形で特殊化されていきます。そして特殊化された能力と引き替えに、万能能力は消えて行きます。

だからこそ、子どもが幼いうちは「偏って特殊化された生活体験」ではなく、「多様性の多い生活体験」をさせてあげる必要があるのです。

それは頭だけでなく、からだも、感覚も、心も統合して使うような活動です。
そのような活動を通して、子どもは大きくなってからでも様々な能力を伸ばすことが出来る大きくて柔軟な基礎能力が育つのです。

実際、どの分野でも一流と言われるような人は多様な引き出しを持っていますよね。多様なことに興味を持ち、多様なことを学ぶ能力を持っているから、それらの学びを統合して一流の仕事をすることが出来るのです。

でも、大人の側に「子どもを守ろう」とか、「子どもを教育しよう」という意識が強すぎると、大人が考えた単調で退屈な世界に子どもを閉じ込めてしまいがちなんです。
そのような状態の中で育っている子は、自由に遊びながら成長している子よりも早く、その万能能力を大人の期待に合わせて特殊化していきます。

早く言葉を覚え、早く字を書くことを覚え、早く知識を覚えます。機械の操作の仕方もあっという間に覚えます。
でもそれと引き替えに万能能力を失ってしまうのです。



その結果、その子が可能性として持っていたはずのキャパよりも、意識や、思考や、感受性や、興味の幅が狭い状態で固定されてしまいます。
それは子どもの人生の可能性が狭くなると言うことでもあるのです。





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Last updated  2022.04.10 09:14:57
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