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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2022.05.04
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カテゴリ: カテゴリ未分類
散歩には色々な楽しみ方があります。

「立ち止まる」
立ち止まってみると、歩いている時とは感覚も意識も変わります。
そのため、立ち止まってただ立っているだけで、聞こえる音や、見える景色や、周囲の明るさや色が違って見えてきます。

歩きながら見ているときよりも、色は美しく、音は心に響いて聞こえます。
また、立ち止まり、動かないことで、「動物的な感覚」ではなく「植物的な感覚」が働き始めます。
また、「時間の感覚」も変わります。「人間の時間」ではなく、「大地や木々の時間」に触れることが出来るからなのでしょうか。

すると、大地の気持ちや、草花や木々の気持ちが分かりやすくなります。
また、自分の動きを止めることで、周囲の動きを感じやすくなります。
風に揺れる草花や木々の動きに命を感じたりもします。



そのような状態で、子どもと「何の音が聞こえる」とゲーム形式で「音探し」をすることも出来ます。

タンポポの綿毛を飛ばして風を見ることも出来ます。

「しゃがんでみる」
立ち止まるだけでなく、しゃがんで見ると、また別の世界と出会うことが出来ます。
いつもは上から目線で傍観者的にしか見ていない世界が、急に存在感を持ち始めるのです。

立って見ているタンポポは「ただのタンポポ」ですが、しゃがんで見るだけで、そのタンポポが「タンポポちゃん」と呼びたくなるような「命ある生き物」に変わります。

寝転んで見るタンポポはもう「お友達」です。

相手が生きて生活している空間に入ることで、相手が生きている世界や相手の気持ちを感じやすくなるのです。

「お魚屋さんの水槽で見る魚」と、「自分が海に潜って見た魚」は別のものですよね。

「テレビで見ているインド」と、実際にインドに行って、インドの人達と同じ空間に入ることで見えてくるインドは全く別物ですよね。

それと同じ事がしゃがんでみるだけでも起きるのです。

「子どもの気持ち」や、「子どもが生きている世界」を知りたいのなら、子どもと目線を合わせてみる」「子どもの空間に入ってみる」というのも一つの方法です。

子どもを上から見下ろしているだけでは、「子どもの気持ち」も「子どもが生きている世界」も見えてこないのです。

「触れてみる」


多分、出来ないと思います。なぜなら、その木や草に対して何の想い出もないからです。
その結果、お散歩が「ただ歩くだけの時間」になってしまっています。お散歩で歩いている道もただの「通り道」にしか過ぎなくなります。そのため、何の発見も気付きもありません。

子どもは立ち止まりたがります。すると、お母さんは「速く歩きなさい」と言います。

子どもはしゃがんで何かを触ろうとします。すると、お母さんは「汚いから触ってはいけません」と言います。
寝転ぶなんてもってのほかです。


それで「何かとっているんですか」と聞いたら、「娘が泥を触ったので手を洗わせているんです」という返事が返ってきました。

「ああそうですか」と離れていったら、後方で「もう泥なんか触っちゃダメだぞ」という強く叱っているお父さんの声が聞こえてきました。

このお父さんは、学びや気付きの宝庫にいながら、何にも見えていないようです。
もったいないことです。

散歩の途中にある木の前で立ち止まり、見上げ、触れてみる。抱きついてみる。
登れそうなら登ってみる。
葉っぱをつまんでにおいを嗅いでみる。

すると、その木に対する「想い出」が出来ます。関わるから「想い出」が生まれ、「虚」だったものが「実」になるのです。

そういう体験をした子は、大きくなっても、その木のことを想い出すかも知れません。
その「木の体験」が子どもの心を豊かにしてくれるでしょう。
感覚や感受性の育ちも助けてくれるでしょう。

子どもはそうやって、自分が生きている世界を豊かにしているのです。

<続きます>





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Last updated  2022.05.05 21:14:20
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