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森の声

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2023.09.12
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カテゴリ: カテゴリ未分類
日本には昔から「話し言葉」と「書き言葉」という二つの言葉があります。(英語にもあるようです)

そして、明治時代になって言文一致運動が起きるまではこの二つははっきりと分かれていました。そして、文字が書ける人はこの二つの言葉を使い分けていました。「文字を学ぶ」ということは「書き言葉を学ぶ」ということとセットになっていたのです。

その「書き言葉」は今でも残っていますが、メールやチャットなどの普及とともに、その重要度は低下しています。そして、書き言葉が書けない、読めない若者も増えてきました。

「話し言葉」の方は普通に生活していれば誰でも学ぶことが出来ます。
それに対して「書き言葉」の方は教育を受けなければ学ぶことが出来ません。でも、ある程度責任のある仕事に就こうとするのなら「書き言葉」を学ぶことは必須です。

生活には必要はないですが、自分の世界を広げるためには必要なんです。
それは例えば、現代社会における英語のようなものです。

実は、「話し言葉」も「書き言葉」も同じ「日本語」ではあるのですが、この二つは、全く異なった視点に立って使われる異なった言葉なんです。
そのため、「言葉を通してつながることが出来る世界」が全く異なっているのです。


指を指して「あれ持ってきて」と言えば「あれ」が何であるかすぐに分かります。「嫌な天気だね」と言うだけで、それがどういう状態の天気を指しているのかすぐ分かります。
同じものを食べながら「美味しいね」と言えば、どの味を美味しいと言っているのか分かります。

また、「話し言葉」は声の調子とセットにして使われています。
「あの子きれいじゃない」という言葉を語尾を上げて言えば、「きれいだよね。そう思うだろ」と同意を求めている言葉になります。

でも、語尾を下げて断定的に言えば「あの子はきれいじゃない」という否定的な意味になります。

「話し言葉」のまま文字で投稿するSNSなどではこのニュアンスの違いで多くの誤解が生まれています。

このように、「話し言葉」は本来、状況や声を共有していることを前提にして使われる言葉なんです。
でも、メールやSNSなどを使っている若者達は、状況や声を共有していない相手にも、平気で話すのとおなじ表現で文字化しています。でも、これでは誤解が生じたり、意味がちゃんと伝わらないのは当たり前なんです。

私の所には時々、子育ての相談メールが来るのですが、若者的な話し言葉で書かれているメールも来ます。でも、それを読んでも意味不明なんです。

その人のことも、その人の子どものことも知らないのに、そういうことをよく知っている友達にでも相談するような言葉で書いてあるのです。

まず、当然の常識として、親しくない人に文字だけで何かを相談する場合は、まず、自己紹介が必要になります。でも、その自己紹介もないのです。名前も明かさず、自分が聞きたいことだけをいきなり聞いてくるのです。



自己紹介の次に、状況説明や前提説明も必要になります。そして「自分の考え」を書き、「何が問題なのか」、「何が聞きたいのか」を書きます。

そういうことを伝えた上で、「相談に乗って下さい」と言われるのなら相談に乗ることも出来るのですが、いきなり「こういう子にはどうしたらいいんですか」と聞かれても答えようがないのです。
そして、そういう人ほど正解やマニュアル的な方法を聞いて来ます。

そういう人は「話し言葉」は学ぶことが出来ても、「書き言葉」を学ぶことが出来ないまま育ったのだろうと思います。

「書き言葉」は「目の前にいない、状況や声を共有していない相手に向けて使われる言葉」です。目に前にいない相手に、自分が言いたいことだけを書いても通じないのです。それをすると誤解だけが生まれます。

ですから、文字だけで何かを伝えたいのなら、自分が言いたいことだけを書くのではなく、相手の立場に立って、状況や声のニュアンスを伝えるような工夫も必要になるのです。

外国の人に手紙を書くのなら、その人が理解できる言葉で「日本人(自分)の常識は通用しない」と言うことを理解した上で書く必要がありますよね。それと同じです。

つまり、「書き言葉を学ぶ」ということは「相手の視点に立って考えることを学ぶ」ということでもあるのです。


絵本は絵を補助にして「話し言葉」で描かれていることが多いです。ですから、あまり「書き言葉」の学びにはならないのです。

でも、今時の若者達は「文字だけで書かれた本」が苦手なようです。
長文を読むのも、書くのも苦手です。

そしてそれが今時の若者達の普通なのでしょうが、でもその普通は人間としての普通ではないのです。

ちなみに、文字が存在しない時代には、「人の声によって語られる物語」が「他者の視点に立って考える」という考え方を伝えてくれていました。
「時代や地域を超えて複数の人に物語を伝える言葉」が「文字言葉」の原点でもあるからです。

だから「物語」をいっぱい聞いて育った子は、本に書いてある「文字言葉」にもなじみやすいのです。

でも、最近の子は「物語」を「映像と共に聞く」ことはあっても、「声だけで聞く」ことはありません。でも、映像があることで物語の中に入ることが出来なくなってしまうのです。
そのため「他者の視点の体験」が出来ないのです。

これは別に「伝承された物語」でなくても大丈夫です。
お母さんが雲を見ながら、「雲の物語」を子どもに語ってあげるだけで、子どもは「他者の視点に立つ能力」を育てることが出来るのです。

自分が子どもの頃のことを話してもいいです。とにかく、「いま・ここ」から離れた世界のことを語ってあげればそれが「物語」になり、子どもはその「物語」を通して「他者の視点に立って考える能力」を育てることが出来るのです。
そしてそれが、その後に続く「文字によって学ぶ学習」を支える力になるのです。


「文字」の読み書きだけを教えても、視点の切り替えを学ぶことが出来なければ「文字言葉」が使えるようにはならないのですから。





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Last updated  2023.09.12 08:20:48
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