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魂がふるえるような… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2024.04.21
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カテゴリ: カテゴリ未分類
最初にちょっと「からだのワーク」の告知をさせて頂きます。

6月1日(土)に茅ヶ崎で「からだのワーク」をします。JR茅ヶ崎駅の隣です。
テーマは「緩める」と「感覚の働きに気付く」です。
時間は10:00~15:00 (延びるかも知れません)
参加費は 5000円です。当日で結構です。
お問い合わせやお申し込みは 「こちら」 までお願いします。
子どもの同伴は年令によります。

****************

宋編流というマイナーな流派ですが、家元が鎌倉に住んでいらっしゃるため鎌倉にはその派の先生はそれなりにいるようです。

「免状はいりませんから」ということで全く個人的に、しかも子連れで教えて頂きました。生徒はうちの家族だけです。(あまりにもったいないので後から私たちの友人も誘いましたけど)子どもたちはお菓子を食べたりして勝手に遊んでいました。

その時、私がよく言われたのが「引く手が汚い」ということでした。
お茶をたててお客の前に置くところまではいいのです。その手を引いて来るときに雑になっていたようです。
置く時はお椀を持っているし、それなりの見せ場なのでかなり意識を集中しています。でも、置いたとたん「ああ、おわった」と気を抜いてしまうのです。その途端に汚くなってしまっていたようです。

でも、人はその気の抜けた時の状態を自分では意識することが出来ません。無意識状態になってしまうからです。ですから、そういうことは先生に指摘してもらわない限り分らないのです。そのために先生や師匠が必要なんです。

「自分が分っている自分」は、「自分に向けて自分の意識が働いている時」だけです。そしてそれは本当に少ない時間だけです。それなのに、みんなその「自分が知っている自分」だけをつなぎ合わせて「これが自分だ」だと思い込んでいます。
でも、「自分が知っている自分」なんて、「自分全体」の中では本当に小さな一部分にしかすぎないのです。一日のほとんどの時間は自分ではなく他者に意識が向いてしまっているからです。

でも、他の人は自分が「意識的に動いている時」より「無意識的に動いている時」の方をよく見ています。
だから子どもは、お母さんが言ったことはすぐに忘れても、お母さん自身でも気付いていないような「怒った時の表情や身振りや声」は忘れないで、すぐに真似をするのです。

ですから、「自分」を変えるためには、自分の「本体」である、その「意識によってコントロールされていない時の自分」に気づいて、変えていく行く必要があるのです。そして、そのためには日常、無意識的に行っていることに意識を向け、意識化していく必要があるのです。


私が太極拳や茶道を勧めるのは、それらには無意識への気づきを促す働きがあるからです。様々な表現活動を勧めるのも同じです。

茶道に興味がない人は「なんでお茶を飲むだけなのにあんな面倒くさいことをするのだ」と言いますが、そのような人は、「目に見える世界を支えているのは目に見えない世界だ」ということを知らない人です。
そのような人は、自分の考え方や行動が無意識の働きに支配されているということに気付いていません。

茶道の時に限らず、一般的に人間は、手を伸ばす、足を伸ばす、からだを伸ばすといったように、「伸ばす」という動きをする時には意識的に自分のからだの動きをコントロールしようとするのに対して、「引く」という動作に対しては無意識的です。

なぜなら、「伸ばす」という動きは「他者と関わろうとする時に生まれる動き」なのに対して、「引く」という動きは、「他者との関わりを断って、自分を守る時に行う動き」だからです。



これは人間だけでなく、他の生き物たちでも同じです。カメも、首を出す時はゆっくりと慎重に出しますが、ひっこめる時は瞬間的です。岩に張り付いている貝も、そのしがみつきを緩める時はゆっくりですが、固める時は瞬間的です。

これは筋肉の仕組みとも関係しています。筋肉には「縮む」という能力しかないのです。「伸びる」という能力はないのです。伸ばすためには反対側の筋肉に引っ張ってもらうか、緊張をといてゆっくりと固まってしまった筋肉が緩むのを待つしかないのです。つまり、筋肉は無理に伸ばすか緩めないことには伸びないのです。

でも、この「伸ばす」とか「緩める」ということがなかなか難しいのです。緩めようとして意識すると、その意識の働きによって逆に力が入ってしまったりするのです。
考え事をしていてもからだは固まります。
自分を守ろうとする時もからだは固まります。
自分で自分を否定しているような人のからだはガチガチです。

叱られた時の子どものからだは小さく固まってしまっています。また、不安や緊張やストレスが強い時などにもからだが縮こまってしまっています。
でもそれは防御の態勢なので、そのような状態の時には能動的、創造的に動くことが出来ません。

また、そのような状態の時、人は無意識に支配されてしまっています。だから考えることや行動がいつも同じことの繰り返しになってしまうのです。
だから、本当の自分に気付き、自分を変えたいと思うのならからだを緩める必要があるのです。でも、それが難しいのです。そもそも、緩んでいる状態の体験がない人には「ゆるむ」ということがどういう状態なのか全然分らないからです。

日常的に肩がパンパンに凝っている人は、自分が肩が凝っていることに気づきません。完全に弛緩した状態を「0」、極度に緊張した状態を「100」とすると、日常的に50くらいの程度の緊張状態で過ごしている人には「50」以下の状態が分らないのです。

「30」レベルの人は「50」レベルの人の緊張が分ります。だから「もっと緩められますよ」と言うのですが、ずーっと「50」レベルで暮らしている人は自分のからだが緊張していることが全く分からないのです。だから先生からの指摘が必要になるのですが、防御が強い人はそれすらも「攻撃」と取ってしまい、さらにからだを固めます。

ちなみにストレッチは部分的な筋肉を伸ばし、緩める効果はありますが、ストレッチが得意だからといって日常生活の中でからだを緩めることが出来るということではないのです。
緊張は筋肉ではなく「心の働き」が作り出しているからです。ですから、筋肉が固くてストレッチが苦手な人でも緩めることは出来るのです。

また、緩めようと意識していなくても楽しい時には自然と緩みます。美しいものを見ている時にも、大好きな人の傍にいる時も緩みます。そういう時の感覚を思い出してみて下さい。

ちなみに、「緩める」ということと「弛緩させる」という事は違います。寝たり麻酔を打ったりすれば筋肉は弛緩します。でも、弛緩した状態では動けません。自由に動けるようになるために緩めるのです。
楽しい時はからだが緩んでいるので自由に動けますよね。そういうことです。

見晴らしがいい広いところにいる時にも、心やからだは緩みます。逆に緩まない人は広い空間に不安を感じます。







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Last updated  2024.04.21 07:54:11
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