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森の声@ Re[3]:「体験格差」(子どもの育ちに必要な体験について)(11/04) めげぞうさんへ >これからどうなって行…

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森の声

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2024.10.05
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今、キャンプに来ているのですが、昨日は出発前に記事を書いて、キャンプ場に着いてから見直して投稿しようと思っていたのですが、結構な雨の中、あれこれやっているうちに忘れてしまいました。
ということで、昨日書いたものを投稿します。
それにしても、日ごろの行いが悪いのか、最近はキャンプごとに雨です。
**************

この世界は「人間の目で見えるもの」と「人間の目では見えないもの」で構成されています。
そして、私たちは「人間の目で見えるもの」しか見ていませんが、実際には「人間の目に見える世界」は、私たちが生きている世界のほんの一部で、その他の世界のほとんど大部分は「人間の目では見えないもの」です。
その「人間の目では見えないもの」も機械で観測すれば少しは分かりますが、でも、その機械を使っても分からないこともあります。

私たちは自然や宇宙の中で暮らしていますが、自然や宇宙の外には出ることが出来ないからです。内側の状態を観測することで、自然の外、宇宙の外を推測することは出来ますが、永遠に推測以上のことは出来ません。

そして、目では見えないもの、機械でも観測できないものは身近な所にもあります。それは「三体問題」のように、「複雑につながり合い、お互いに影響し合って変化し続けている現象」です。

天気予報も同じです。まただから、人間には未来を予想することは出来ても、予測することは出来ないのです。

でも人は、「この世界は目で見えるもの、観測できるものだけで構成されている」と思い込んでいます。「目では見ることが出来ないものの存在」に気付かないからです。見えないですからね。

「時間」も見えません。時間をはかる時計は見えてもそれは「時間」そのものではありません。

「光」も見えません。目に見えている光は、何かにぶつかって反射し、私たちの目に飛び込んできたものだけです。光そのものが見えたら、世界は光にあふれているので、他に何も見えなくなってしまいます。

「空間」も見えません。絵描きや建築家は「空間を観る訓練」をしますが、それでも「見えるもの」を手掛かりにして見えない空間を観ようとしているだけです。
素人や子どもたちが描く絵は二次元(平面的)ですが、空間を観ることが出来る絵描きは、それを「本当にそこにあるように」描くことが出来ます。
写真は、「そこにあるもの」をそっくりに写すことは出来ますが、カメラと対象の間に存在している空間を写すことは出来ません。

私たちを地球に留めてくれている「重力」も見えません。科学は重力を間接的には観察することが出来ますが、重力そのものを直接観測することは出来ません。

味覚、聴覚、触覚、嗅覚で感じるものも目で見ることが出来ません。機械でわかるのは数字だけです。
共感覚を持っている人はそういうものも多少は見ることが出来るようですが、全てではありません。すべてが見えたら脳がパンクしてしまいます。

私たちは、そんな「目では見ることが出来ないもの」「機械でも観測できないもの」に囲まれて生きているのです。


中でも耳(聴覚)の働きは大きいです。人は音を聴くことで、目では見ることが出来ないものまで観ることが出来るからです。それが観音様の「観音」の意味です。

<続きます>





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Last updated  2024.10.06 07:12:43
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