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森の声@ Re[3]:「体験格差」(子どもの育ちに必要な体験について)(11/04) めげぞうさんへ >これからどうなって行…

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森の声

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2024.11.06
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カテゴリ: カテゴリ未分類
昔は「遊びの場」や「生活の場」で無料で手に入った「体験」が、今では「○○教室」などという形で有料で買うものになってしまいました。「体験」が有料になったせいで、経済格差がそのまま体験格差につながるようになってしまったのです。

その体験格差がまた、「自己肯定感」や「人間関係を築く能力」や「社会とのつながり方」の違いとしても現れるので、「体験格差」は「子どもの自立能力」の育ちにも大きな影響を与えてしまいます。

学校から帰ったら「一人で自分の部屋でゲームばかりして育った子」と、「○○教室で色々な大人や仲間と関わりながら育った子」とでは「自立能力の育ち」に大きな違いが出るのは当たり前のことです。
なぜなら、「自立」は「他者とのつながり」の中で実現するものだからです。周囲に人がいない状況の中で育っていたら「自立」する必要自体がないのです。

でもだからといって「お金で買う体験をいっぱい与えれば子どもはちゃんと育つのか」というと、そういうことでもありません。「お金で買う体験」には「体験の偏り」があるからです。「遊びの場での体験」や「生活の場での体験」のような「汎用性」がないのです。

そして、その「体験の偏り」がその「○○教室」のウリでもあります。特殊化され偏っている体験だからこそ商品として売ることが出来るのです。
それに対して、「遊びの場での体験」や「生活の場での体験」には汎用性があります。 でも、汎用性があるがゆえに「何の役に立つのか」が分からないのです。

「サッカー教室」に行けばサッカーが上手になります。「ピアノ教室」に行けばピアノが上手になります。「水泳教室」に行けば水泳が上手になります。そして、その対価としてお金を払っているのです。

でも、自然の中で自由に仲間と一日中遊んでいても、「社会的に価値がある特別な能力」が育つわけではありません。そのため、お金を出してまで「遊び」を体験させようとする親は少数です。だから、「遊びの大切さ」を知っている人の多くがボランティアで活動しているのです。

でも、「遊びの場や生活の場での自由な体験」を通して、子ども達は「偏ったこと」を「偏った形」で教えている「○○教室」では育てることが難しい、より基本的で根底的な能力を育てているのです。

それは「人間関係の作り方」、「コミュニケーション能力」、「助け合う能力」、「自分の感覚で感じ、自分の頭で考え、自分の意思で行動する能力」などです。
また、後から色々なことを学ぶようになった時に、その学習能力の違いとしても現れます。




ただし、学習能力が高いからといって成績がいいとは限りません。「生活の場」や「遊びの場」で育った学習能力は、自分が興味を感じたものにしか発揮されない可能性が高いからです。
まただから、お母さんたちの多くが遊ばせるよりも勉強をさせようとするのでしょう。

でも、子どもが「自分がやりたいこと」を見つけ、自分らしく生きようとするときには、子どもの頃に生活や遊びの場で育てた能力が役に立つのです。


ただし、子どもの頃いっぱい遊んだ子でも、「自分がやりたいこと」を見つけることが出来なかった場合、その能力は発揮されません。
ですから、10才ごろから「遊び」とは異なった体験が必要になるのです。それは「自分が生きている世界との出会い」という体験です。





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Last updated  2024.11.06 06:48:12
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