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すべて、お楽しみさ… かめおか ゆみこさん

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森の声

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2025.10.14
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カテゴリ: カテゴリ未分類
昨日書いたように、この世界は紙の「表」と「裏」、織物の「縦糸」と「横糸」のように、「相反する二つの要素」が支え合い、補完し合うことで成り立っています。

ただし、正確に言うと「裏」と「表」の間には「厚み」があります。「明」と「暗」、「正義」と「悪」、「内側」と「外側」の間にも「厚み」があります。LGBTの問題は、その「厚み」の部分で起きています。でも、その「厚み」の話をし出すと、話が複雑になってしまうので、ここでは「表」と「裏」だけの話をします。

で、今日書きたいのは「父性」と「母性」と呼ばれるものです。ただし、これらは「男性」と「女性」という「実際の性」と直接つながっているものではありません。実際、「母性が強い男性」もいれば「父性が強い女性」もいます。ただし、全体的な傾向としては「男性」の方が「父性」が強い傾向があり、「女性」の方が「母性」が強い傾向があるので、そのような名称になっているのだろうと思います。

この言葉は直接「性」と関係がないものに対しても使われます。キリスト教と仏教を比べたら、キリスト教の方が「父性的」で、仏教の方が「母性的」です。ユダヤ教とキリスト教を比べたら、ユダヤ教の方が「父性的」で、その後に生まれた「キリスト教」の方が母性的です。ちなみに、ユダヤ教でもキリスト教でも、大切にしているのは「神と人間の間の縦のつながり」(神と人間の関係)ですが、仏教で大切にしているのは「横のつながり」(人と人の関係)です。

そして「父性」と呼ばれるものは「縦のつながり」を大切にします。ですから「上下の関係」を大切にします。会社や社会や国と呼ばれるようなものは父性的な感性によって支えられているので、縦構造になっています。

それに対して、命や自然とのつながりが強い「家庭」や「家族」というものは、(男性が外の世界から「縦型感性」を持ち込まなければ)本来「母性的な感性」によって支えられていたのではないかと思います。ですから、本来、家庭や家族の中には「役割の違い」はあっても「上下の関係」はありません。父親も、母親も、子どもも「その存在の価値」においては対等です。

むしろ、「お金」よりも「命」の方が大切にされていた古代社会にあっては、家庭の中では女性の方が力を持っていたのではないでしょうか。大人達は自分たちの命をかけてまで子どもを守ったのではないでしょうか。これは、私の推測に過ぎませんが・・・。

子どもたちの「群れ遊びの場」でも同じです。遊びをリードするリーダーはいても、「リーダーだから偉い」という感覚は子どもたちの中にはありません。大人と子どもの間には「指導する役割としての存在」と「指導を受ける役割としての存在」という違いはあります。でもその場合も「群れ遊びの場」と同じで、「価値の上下」ではなく、「先輩」と「後輩」という違いに過ぎません。「どっちの方が偉い」というような関係でもありません。

「どっちの方が偉い」という発想は縦型思考、つまり父性型思考によって生まれたものなのでしょう。






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Last updated  2025.10.14 13:07:46
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