島唄の楽園万華鏡@六本木

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2006年08月04日
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亀田選手のボクシングのテレビを見ながら、最初はおいおいと思い、
最後は「頑張れ」勝利が確定して「良く頑張った」と涙していた。

世界を目指す、日本一を目指すと言うことを日常的に意識して
生きていることに対してだった。

そんな人たちを目の前にして囲まれて過ごしていたのが20年前。
私は日大の付属高校時代から、後に日大フェニックスのチアリーダーになる
友人たちのおまけでチームに同行していた。

最初にアメフットを見たのが小5。大学生だったモンタナの来日時だった。
そして、偶然友人のお誘いで、高校生アメフットの試合を撮影、


あんなすごいチームが、高校のすぐ隣にいたのか。目隠しを張り巡らせたなぞの
アメリカンフットボールの練習場に興味を持った。

友人たちが秋の大会で敗れ、大学のチームに進学することとなった。
そう、フェニックスだ。

その前に行われた甲子園ボウルに是非行きたくて、マネージャーの友人と、
応援バスの同行をお願いするために出会ったのが篠竹監督だった。

高校の部員以外で、練習場に出入りしてきた存在が珍しかったらしく、
その後もチアリーダーの友人を撮影するということで試合に通うようになった。

しばらくすると、監督から「俺の写真も撮れな」とにっこり微笑まれ、
以来チーム全体の撮影をさせていただくようになった。

当時は報道写真家を目指し、写真学校に入学。翌年日大を追うことをテーマにしたくて

ダイビングサークルなどに籍を置きながら、週末は試合会場へ。
大学3年の時にはモンタナを追っかけアメリカへ直撃取材敢行。
その写真を専門誌に掲載され、チームにも公認されて、素人アメフット写真家から
なぜかチームのマネージャーとなる。是で公式に遠征にも同行できるようになり、
甲子園ボウルなどもベンチ入りした。

映画「マイフェニックス」の主人公のモデルにもなり、映画の製作現場を
手伝わせていただいた。
はじめに監督に挨拶に行ったというだけの出会いから、、、、
卒業後は
アメフットの専門誌の編集者になり、高校の取材、大学、社会人、
しまいにはNFLの記者となって海外取材も行えるようになった。


(そこでであった万華鏡を日本に紹介するきっかけももらった。)

篠竹監督無しには、私の貴重な人との出会いは語れないのだ。

直接の授業を受けたわけではなかったが、
監督の行う海岸実習、山岳訓練などをチームの友人や記者として陣中見舞いで
参加させていただいて、まさに「少年時代」そのままの無邪気な素顔を拝見し、
撮影した。これも、雑誌に掲載された。

私の夢であった「フォトジャーナリスト」と言う経験ができたのも、
スケールの大きな昔話を聞きながら、次々におとづれる有名人の方と
身近に接する機会をいただけたのも、日本一を目指す日々を送る仲間たちと、
また本気で世界一を目指してアメリカのチームと戦ったサムライ魂を
学ばせてくれた監督、本当にありがとうございました。

日本中が注目する亀田選手の記事の隣に、とても大きな記事で監督の追悼が
出ていたのをテレビで見て、「やったな、オヤジ」と、
大泣きしたのでした。

永遠のライバルだった関学の同期の選手からも問い合わせの電話が。
(しかも、世界のICHIROの担当記者、小西君)や、元キャプテンの木村君。

私の店にも来ていただいて、本当に死闘を繰り広げた仲間と、
こうして長い付き合いができるのも(選手でない私までもが)

アメリカンフットボールのすばらしさを実感したのでした。

あまり、私の学生時代を理解していない主人。
「ェ、おまえんとこの監督さんが亡くなったんだってな.凄い人だったんだ」
と新聞報道の大きさに改めて驚かれました。

もっと、色々な武勇伝をお聞きしたかった。
ご冥福をお祈りします。







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Last updated  2006年08月04日 17時46分58秒
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