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名鉄本線・「桜駅」から南へ100m程の所、線路脇に鎮守の杜に囲まれたひっそりとした佇まいの中に『桜神明社』は鎮座しています。通勤前に立ち止まり、柏手を打って電車に乗られる方の多い事。写真奥が「桜駅」、狭い道、彷徨い歩いて辿り着く。(車ではお越しにならない方がいいでしょう)一の鳥居と社号標、奥に拝殿が見えています。こちらの神社の本殿は古墳(桜神明社古墳)の祀られており、墳裾から埴輪片などが出土、5世紀末ごろの古墳と云われています。ここから程近く、笠寺観音近くに見晴台遺跡もあります。御神木のクロガネモチの巨木は今は枯死、存在していないようですが、境内には年輪を重ねた立派な木々が生い茂っています。二の鳥居から神明造の優美な拝殿正面を臨む。拝殿前の狛犬が朝陽を浴びて輝いています。拝殿から本殿を覗う『桜神明社』創建 / 不明御主神 / 天照皇大神 御相神 / 伊邪那岐命・事解之男命・速玉之男命・応神天皇・木花咲耶媛命・倉魂命拝殿側面から見る、こんもりと盛りあがり、木々に包まれた古墳の上に本殿が建てられていることが良くわかりますね。(写真上)境内合祀 / 津島神社(写真下 左)、秋葉神社(写真下 右)『桜神明社』遮断機の音、杜に包まれた優美な本殿が印象的住所 / 名古屋市南区呼続4-27 アクセス / 名鉄本線・「桜駅」から南へ100m近隣寺社 『冨部神社』 稲荷山 長楽寺 『清水稲荷』撮影2017/7/6
2017.07.07
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岐阜県関市板取にある『根道神社』モネの池へ行かれた方はご存知かと思います田んぼの外れ、山裾に接し鳥居があります。その横がモネの池。岐阜県関市板取 『モネの池』明治初期には既にあったようです、創建はいろいろ調べて見ましたがはっきりしません。主祭神 / 根道大神(みちねおおかみ)、伊弉冉命(いざなみのみこと)、大山祇神(おおやまずみのかみ、金山比古神(かなやまびこのかみそれでも近年モネの池の知名度が上がり、参拝する方が多いようです。鳥居をくぐり、おやじにはきつい階段を上りきると狛犬がお出迎え。正面の新し目の拝殿で参拝。拝殿の裏、立派な屋根の下に本殿があり一般的な村社の配置。2017/5/19これからの時期、夜には蛍が飛び交う事でしょう。眠れない夜、ちょっと郊外にナイトドライブ。ライトを消し、エンジンを切ると意外な光景に驚くものです。カエルの合唱団も聞こえてきます。空には満天の星空です。根道神社住所 / 岐阜県関市板取448番地
2017.06.12
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名古屋市守山区 熊野社守山区史跡散策路 12を訪ねる際、途中で見かけた熊野社へ寄り道参拝。御祭神 熊野権現マンション、戸建て住宅に囲まれた一角にポツンと佇んでいる。鳥居には昭和46年10月建之とあるが詳細は不明。地元の方に大切に手入れ、守られてきた社。2017.03.26撮影熊野社 住所愛知県名古屋市 守山区大永寺町257アクセス市営地下鉄 大曽根⇒ゆとりーとライン川宮下車、徒歩10分
2017.04.01
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寒い。名古屋方面から天白川に架かる千鳥橋を渡り左に突き当たった川沿いに所在する。 東海市史によると祭神は応神天皇とのこと。以下は市史からの抜粋となります。3社を訪れこの八幡神社が一番歴史の趣を感じる。 地元の方に大切に維持されている「赤ペンキ」。狛犬が睨みを利かせています社側面から画像 新田は元禄8年(1695)、犬山の材木商神戸(かんど・犬山屋)伝八郎が金主(出資者)となって改築された。神戸家の屋号から、犬山新田とも呼ばれ、北犬山は、その呼称のなごりで、天白川や込高沿いの集落を指す。 寛政2年(1790)の村絵図「神戸家文書」と後代のものを対照すると、天白川沿いの北堤が改築されていることに気づく。北堤に沿って形成された葭(あし)生え場所に新たに堤が、千鳥橋の西から込高まで築かれ、古堤は地概され宅地となった。ここが今の新屋敷である。村絵図には、松林に囲まれた天王社が堤防上に描かれているが、八幡社がなぜか記されていない。文化3年(1806)の最古の棟札に、「奉造立智多郡名和前新田八幡安鎮所」と社殿の造営を記している。文化10年(1813)の棟札には「智多郡名和前新田、八幡社一社、境内四畝拾歩、御年貢地、元禄年中新田開基之砌、此清地奉勧請安鎮座、然共元来寺社御根帳仁無之」とある。おそらく新田の現在地の小祠に応神天皇が祀られていたが、文化年間に新屋敷の造成がなされるに及んで境内も拡張されたのであろう。大正末年には、一番畑 石原 北犬山など新田全体の氏子数は105戸、境内は一反一畝歩となっている。『郡市』祭神は鳴海の前之輪(善之庵)の八幡社から勧請された。新田の願主であった服部太左衛門は、前之輪の人である。六番割は、元来太左衛門の控地であり、願主(がんし)と地元では呼んだ。「新田諸事用留帳」(神戸家文書)に、「五番割下に又新田を作、氏神様尻抱地(しりがかえち)にたいし度相願候」とある。この尻抱地は、水害で不納所となった汐溜り地沿いの田畑を、再度新田化して、その鍬下米などを神社の維持費用に充てたものである。 神社の南に、「伊勢湾台風被災追憶之碑」が建てられ、71名の犠牲者の名が刻されている。境内社として、神明、竜神、津島、州原、秋葉の五社が合祀されている。これは奈良の磨崖仏とよく似ているが読み取れない。最古の棟札は文化3年(1806)のものであり、「奉造立智多郡名和前新田八幡安鎮所」と社殿の造営が記してあります。こちらに車で行かれる場合は、相当狭い界隈を通る必要があり、個人的に歩いて行かれる事を勧めます。御朱印も頂けませんが是非一度参拝されると宜しいかと思います。住所 東海市名和町新屋敷1祭神 応神天皇 東海市史http://www.geocities.jp/kamankara/text/documents/d-tou.html#名和八幡神社http://www.geocities.jp/kamankara/text/chita/tou/tou_hatnawa.html
2017.02.09
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東海市に訪れ、【村社 稲荷神社1】付近にあった別の村社の紹介です天白川を挟み名古屋側の堤防脇に位置します。由来等が不明ですがこの地、伊勢湾台風で大きな被害を受けた場所。地元の方に再建されたものと思われます。(鳥居には昭和45年10月とある)交通量の多いR247道路沿いに村社はあります。地元の方の手で良く手入れされています。 後方には稲荷神の使徒、お狐様 いつまでも受け継いでもらいたいものです鉄常滑線「柴田」で下車柴田本通(R247)を右折天白川にかかる千鳥橋の手前右側。駅から徒歩5分。駐車場はありません。
2017.02.01
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東海市近辺の立ち飲みやを訪ね、通りがかりに村社を見つけました、せっかくなので立ち寄ってみました。社格の位置づけとして村社とは、本社、支店、営業所、出張所で例えればお宮さんの出張所的位置づけ?なのでどなたも常駐されていません。町ごとに大切にされているようです。由緒等の案内がなく、東海市史・通史編【平成2年(1990)3月1日発行】 からの抜粋になります 祭神は倉稲魂(宇迦之御魂)社伝の文書(複写)に「右勧請者寛政二年三月吉辰、尾州愛智郡柴田新田稲荷、京都本宮稲荷祠官毛利加賀守中祀式勧請」とある。 倉稲魂は、元来は穀物神であり、江戸時代には、農村や都市で商業神、屋敷神として、全国的に信仰を集めた。京都本宮稲荷は、京都伏見のお稲荷さんのこと。 当新田は北柴田新田(名古屋市南区)と同様、名古屋の商人柴田屋新兵衛二より、宝暦4年(1754)に改築された。現在の社殿は、伊勢湾台風により流失後、昭和41年(1966)に再建されたもの。 境内には、秋葉、金比羅、津島、竜神などの諸社が合祀されている。町単位の社、子供の頃あそんだ鎮守の森ですアクセス名鉄常滑線「柴田」下車、南に向かい、天白川にかかる「千鳥橋」を渡り右折、徒歩15分 東海市史・通史編 http://www.geocities.jp/kamankara/text/documents/d-tou.html#柴田稲荷
2017.01.30
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