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梅雨、なんだよね善光寺街道『道標』と街道を歩く目的で家を出たものの、帽子忘れた・・・暑い矢田川を越え、左に折れ一路『石山寺』へ。目指す道標は石山寺の駐車場角にあるものだと思われます。「善光寺街道」と彫られている道標と決めつけ歩いていたのですが、らしきものはない。永年の風雨による浸食が進み、彫られた文字「石山寺道?」が良く読み取れません。この道標から一旦国道19号方向に2.3分戻り、左に小さな祠が目に入るので、そこを左折です。ここから善光寺街道を北上し東春酒造方向へと続きます。善光寺街道、名古屋城下から木曽に通じ、下街道ともいわれます。藩政時代には旅籠、めし屋、酒屋などが建ち並び賑わった場所らしい、今はその面影はありません。緩やかに曲がる道筋に街道の面影が感じられ、道すがらには写真左下の様な祠を見る事ができます。この道を約10分程歩くと瀬古小学校に突き当たります。瀬古小学校の東側の道が善光寺街道です、道なりに歩くと『東春酒造』水屋作りを見る事が出来ます。この暑い中、子供達は校庭で元気よく遊んでいるが、おやじはビール切れだ、家に戻ろう。2017/06/14善光寺街道と水屋巡りマップ道標
2017.06.14
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『庄内用水元杁』庄内川に架かる水分け橋から上流に庄内川頭首工が直ぐに目に入ると思います。庄内川流域は農業に適した肥沃な土地で、農業用水を確保し、維持管理するために多大な努力が積み重ねられ、取水施設築造にもその時代の優れた技術が投入されたそうです。庄内用水元杁は、一部人造石を使用して造られ、ほぼ百年の歳月を経た今も、完成当時の姿をそのままにとどめ、明治のロマンを漂わせている。幅2.1m、高さ3.15m、長さ29.8m、切石積のアーチ型。門扉は堤内と堤外の両側に設置され、上部が観音開き、下部が上下の引戸、内部に通船鎖がある。1988年に新樋門が築造されたが、一部に人造石を使用した樋門はそのまま残されています。土木学会選定「現存する重要な土木遺産2800選」Aランクに選定されている。人造石(たたき):消石灰と種土を混ぜて水で練り、よくたたき締めて硬化させたもので、古くから土間や床下などを造るのに使われてきた伝統的な左官技術。庄内用水は、輸送路としても使われていました。犬山と名古屋を結ぶ舟運も目的の一つ、守山区内にある元杁樋門から北区の黒川分水池まで盛んに舟が行き来した。樋門トンネル内部には、船頭が鎖を引っ張って舟を進めるための通船鎖が残されている。今、三階橋ポンプ所が建っている場所に、昔は分水池がありました。庄内川から取り入れ、矢田川の下を流れてきた水は、ここで堀川(黒川)、庄内用水、御用水(ごようすい)、上飯田用水、志賀用水などに分けられました。1977年に分水池をうめて、その上に「三階橋ポンプ所」がつくられました。分水池はなくなりましたが、矢田川の下をくぐってきた水はポンプ所の中にある水路で堀川と庄内用水に分けられています。同ポンプ場の傍らには、黒川樋門が1980年に元の姿でつくられました。明治の頃、堀川へ流れる水を調節した樋門のようすを残しています。ゆったりと流れる水面、水中で踊る水草。名古屋市内でもこんなに静かに時が流れる場所があります。柿田川の様に、ここから下流は矢田川に至ります。庄内堤ではアザミの花も一斉に咲いています。撮影2017/06/08所在地 名古屋市守山区瀬古二丁目228番地先
2017.06.11
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JR中央本線新守山駅から徒歩で西へ。 国道19号線を越え、しばらくすると左側に石山寺の本堂が見えてきます。『高牟神社』はその西隣となります。鎮守の森に囲まれ、道路際からは裏口になります。 矢田川堤に回り込む、堤防道路から坂を下ると鳥居が見えてきます。境内は正面に拝殿、左に手水舎。拝殿左に靖国社、右側に熱田社、金比羅社が祀られる。 燈籠、石柱に刻まれた年号は古刹である事を示しているが創建は明確ではない。創建 / 717年(養老元年)11月15日(云われ) 祭神 / 高皇産霊命・素戔男尊・伊弉諾神・大山祇命・天照大神・菊理姫命高牟神社の狛犬手水舎の龍、西陽で怪しく眼が輝いていた。要因は良くわからないが、おやじ的には神秘の一枚としておこう。拝殿の左には撫で牛、道真を祀っているのか?上は東側から拝殿と本殿、 下は本殿を西側から眺める。名古屋市千種区今池に『高牟神社』がありますが関連付けが良くわからない。拝殿西側の靖国社と『高牟音頭』の石碑。高牟(たかむ)このあたり一帯は庄内川と矢田川、昔から水害に悩まされた記述が残っています、そこの集落に住い、神を祀り感謝する。瀬古の昔を忍ばれ、盆踊りの太鼓の音が聞こえてくる。今でもそれは引き継がれ、7月第4日曜日、10月には祭礼が行われているようです。拝殿右側の金比羅社(写真左)、熱田社。平日にもかかわらず、近所の方が境内の枯葉を掃除されていました。間黒神社もそうであったように、地元の方に大切に守られている。おやじの村はかなり前に途切れてしまった。無くなったものは、社や鎮守の森だけではない、もっと大事なものを失っているような。撮影2017/5/18住所 / 名古屋市守山区瀬古東1丁目アクセス / JR中央本線「新守山駅」から西へ徒歩約30分緯度 35°12'27.29"N 経度136°56'19.84"E
2017.05.27
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JR中央本線新守山駅から徒歩で西へ。国道19号線を越え、しばらくすると左側に立派な本堂が見えてきます。道路際からの入口は裏口になります。正面に回り込むと趣のある立派な山門が出迎えてくれます。『石山寺』宗派 / 天台宗開山 / 道円上人(奈良西大寺の高僧・叡尊の高弟)本尊 / 十一面観音菩薩江州石山寺の本尊と同木で十一面観音菩薩を彫刻、これを道円上人に与え、道円上人が石山寺を創建しこれを本尊とした。開山は1243年(寛永元年)、1676年(延宝4年)藩主光友が再建。1891年(明治24年)濃尾地震で倒壊、翌年再建。1945年(昭和20年)空襲で観音堂と山門を除き消失。境内から山門を眺める山門の左側の馬頭観音は昔の善光寺街道にあったもので、明治時代にこちらへ移されたもの。おもかる地蔵もこちらに並んでいる。境内右に手水舎、正面に本堂の配置、境内には表情も個性的な地蔵が多数祀られてます。境内左の観音堂本堂を裏から望む、右に見える鎮守の森は「高牟神社」撮影2017/5/18住所 / 愛知県名古屋市 守山区大字瀬古字高見2413Tel / 052-793-0376アクセス / JR中央本線(名古屋~塩尻) 新守山駅から西へ約1.0km緯度 35°12'26.93"N 経度136°56'21.78"E
2017.05.25
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国道19号線を春日井方向に向かう、庄内川に架かる「勝川橋」手前。国道を挟み瀬古、幸心地域に分かれる。庄内川と矢田川に挟まれたこの地域は『瀬古村輪中』と呼ばれた低湿地帯。河川の氾濫による洪水に見舞われた記録はこのあたりの神社仏閣の由来の中で良く出てきます。このような地域で住まうための自衛策として、石垣を高く築きその上に建物を建てた。洪水時にも冠水せず、一時的避難場所として建てられた建物を水屋と呼ぶそうです。このコースで紹介されているのが『東春酒造』敷地北側にある建物。直売店駐車場横の細い路地を少し中に入るとみる事が出来ます。まるで城壁の様に積み上げられた土台の上に、白壁が印象的な蔵が建てられています。ここから少し歩き、庄内川の堤に立ち川面とこの地域の土地の高さの違いを見て下さい。「天井川」、排水設備の整備されていない時代、水屋を作りたくなる同機は充分理解できます。この近隣には複数の水屋が残っていますので見て回るのも楽しいかと。守山史跡散策路 12 水屋 水屋様式の神社「間黒神社」東春酒造愛知県名古屋市守山区瀬古東三丁目 1605番地TEL 052-793-3743http://www.azumaryu.co.jp/ 緯度35°12'43.71"N 経度136°56'41.34"E日本酒好きな方おやじの好みでのお勧めですが、ここの酒はキレがあり好きな酒です。100円クーポン配布中東龍龍田屋特別純米酒山田錦 720ml 東春酒造(愛知)価格:1306円(税込、送料別) (2017/5/12時点)
2017.05.19
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『間黒神社』国道19号を春日井方向へ北進、『瀬古口』交差点右折し1本目を左折、直進すぐに鎮守の森が目に入ってくるので分かりやすい。間黒神社鳥居から境内を望む、この右側には神明社の鳥居が並ぶ。境内を少し入ると石橋の神明橋が目に入る。間黒神社祭神 / 須佐之男命1636年社殿建立されるも1963年の伊勢湾台風で被災再建された。この地は北の庄内川、南に矢田川に挟まれ、古くから水害に見舞われ氾濫後の排水のため、写真の様に用水が設けられている。(神明橋と古川)この様な地形故、水害の被害を避ける目的から、土台を高く盛り、その上に構造物を作る『水屋造り』が生まれたのも容易に頷ける、幸心では東春酒造付近、大永寺では大永寺付近にも残存している。間黒神社社殿もこの技法が取り入れられている。守山区史跡散策路 12 水屋守山区史跡散策路 13『大永寺』社殿、手水舎は伊勢湾台風で被災再建された社を挟み白山社、秋葉社、津島社、金毘羅社、御嶽社がある境内合祀の神明社間黒神社の鳥居と並ぶように配されている。祭神 / 天照大御神神明橋手前にある百度石、お百度参り、今でも信仰されているのかこの辺り、昔は田んぼが多かったが今ではその面影は微塵もない。周囲は住宅地、そうした中で地元有志の方により手入れされ、大切に守られている事が良くわかる。撮影2017/5/12 善光寺街道と水屋を訪ねて 住所 名古屋市守山区幸心1-901 アクセス JR中央本線『新守山』駅下車、西へ徒歩10分程 緯度35°12'21.77"N 経度136°56'42.55"E2017/12/18再訪追記1945年4月7日、時は第二次世界大戦この地からほど近い東区大幸町にあった三菱発動機第四工場を標的とした大規模空襲に見舞われた襲来した米軍 B-29は160機と云われるこの空襲による被害は千種区、東区、北区、中川区、猪高村にまたがり5191世帯と多くの犠牲者を出したその際に撃墜されたB-29の尾部が間黒神社に落下それにより神明橋は被災、現在は新しく架け替えられています 墜落時の傷跡の残る旧神明橋の欄干部分は神明橋改修時に社殿の裏手(水屋造りの構造が良くわかる)に戦争遺構として現在も残されています残された欄干の一部から緩やかな曲線の橋であったと思われます戦争により多くの人命、歴史遺産が失われています戦争を記憶から風化させないためにもこの場所で語り継いで頂きたいものですクリスマスイヴ古川に架かる神明橋 川沿いの桜がうっすらと淡いピンクに染まる アクセス JR中央本線『新守山』駅下車、西へ徒歩10分程
2017.05.14
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名古屋市守山区幸心、国道19号線から少し東に折れ、狭い道路を入ったところに常雲寺はあります。周囲をマンション、住宅で囲まれ見つけるのに一苦労しました。山門から見る境内全景、正面に本堂、左に庚申堂本尊 / 地蔵菩薩青面金剛童子(しょうめんこんごうどうじ)を祀る庚申堂、創建はあまりにも古く不明です。現在の建物は1999年に建て替えられたもの。地名の幸心由来はこの堂からきているとも云われます。堂正面には見ざる、聞かざる、言わざると三猿像があります。見ざる・・・聞かざる・・・ン? 言わざる何処よ上の写真から見つけて下さい。境内地蔵見つかりましたか?ここで~す、ここ、ココ言わざるは見ざるのお腹の中に・・・・・言いたい事は「腹に収めておけ」とでも諭しているのかおやじに一番必要な事、会えてよかった。撮影2017/5/12 常雲寺住所 名古屋市守山区幸心1丁目505緯度35°12'28.20"N 経度136°56'47.99"E日本酒好きには、昔ながらの山廃酒母で醸造する『東春酒造』がここから徒歩10分の所にありますそちらもいかがですか?工場の北側に直売店と水屋造りの倉庫も見る事ができます。 100円クーポン配布中東龍龍田屋特別純米酒山田錦 720ml 東春酒造(愛知)価格:1306円(税込、送料別) (2017/5/12時点)
2017.05.12
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春の嵐も去り朝から快晴名古屋市守山区にの宮地小祠(みやちしょうし)を訪ねるストリートビューでJR新守山駅のほぼ西である事を確認、久しぶりにチャリで出発周囲を住宅で囲まれた狭い道路に接し、長さ2m、高さ2.5m、奥行き1.5m程の小さな祠に祀られる以前はこの周辺に別々に祀られていたものをこちらに集約したものらしい上段左から馬頭観音菩薩・地蔵菩薩地蔵菩薩の台石には、明和8年(1771年)の銘があり歴史を刻んでいます下段二体の聖観音菩薩の計4体が祀られています。今も花が供えられ、地元の方に親しまれているようです馬頭観音菩薩の表情が「ニコッと」おやじに微笑んでいるような所在地 35°12'29.47"N 136°56'55.39"E
2017.04.18
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