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http://plaza.rakuten.co.jp/nanpow/diary/200802080000/
の、続き。
吉本隆明の『共同幻想論』は良く知られています。
この中で
「共同幻想」というとき、そこには(中略)三つの位相がある・・・。ひとつは個々人の「個人幻想」。夢とか理想、理念などが問題とされる領域です。もうひとつは(中略)人間の性を主体として出てくる問題。(中略)それを「対幻想」と名づけました。
「対幻想」はだいたい家族という概念をつくっていく根源になると考えられます。
三つ目の「共同幻想」というのは、(中略)国家はもちろん、社会的集団や複数の人間が集まって何事かひとつのことを成し遂げようと考えた場合に出てくる問題です。p124
そう考えた場合、(中略)芸術一般がどこに入るのかといえば、対幻想と個人幻想とのあいだに問題の根底があると考えられます。それは、芸術の根幹が精神的ないし身体的な性の問題、つまりセックスの問題に帰着するからです。p125
ここから、吉本は「政治と文学」あるいは「国家と芸術」という概念に触れていきますが。
その前に、芸術=性とも取れるような吉本の発言について。
ほぼ、同感である。もちろん男女の問題以外(個人の精神活動を描いたもの)も芸術は表現しているが、文学でも絵画でも表現しようとする動機や対象に個人幻想から対幻想にいたる関係への精神的、身体的活動が根底にあると、感じるからである。
もっと、乱暴に言うと、その芸術に描かれる二人の関係のほとんどが妻子ある男女の恋愛であることが多い。映画でもそうである。
『逢びき(デビッド・リーン)』1945『マディソン郡の橋(クリント・イーストウッド)』1996などなど。
引用は青文字「日本語のゆくえ」から。
『手仕事の日本』 2015.10.16
『ひらがなだいぼうけん』 2015.09.26
新折々のうた2 2015.09.25