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『放送禁止歌(森達也)』から引用を・・・。
「反体制」への憧れは僕の中で、ほぼなし崩しに散逸してゆく。そしてそれは僕の世代にとっても、さらにいえば日本全体にとっても、たぶん同じ季節への収斂だったのだろう。高度経済成長はこの数年前に終わっていたけれど、その余韻が爛熟しながら発熱していた。遠くの戦争やイズムよりも、身近な消費のほうがいつのまにか圧倒的な関心事へとなっていった。《1960年代後半から70年代の入り口のころ》p22
東京・六本木にある解放同盟の役員室で、僕は西島藤彦と対面した。手渡された彼の名刺には、「京都府連合会書記・中央本部教宣部長」と肩書きが記されていた。
「『手紙』 チュウリップのアップリケ 』、それに『竹田の子守唄』の三つの歌を西島さんは知っていますか」
「どれもよく知っています」
「解放同盟がこれらの唄の放送に圧力をかける真意は何ですか」
(中略)
西島にとっては思いもかけない角度からの質問だったのだろう。少しだけ憮然とした表情で数秒黙り込んでから、気をとり直したようにこう言った。
「若い頃、ムラの中ではよく皆で歌っていましたよ。だからどうしてこんなにいい唄が、世に広まらないのか私も不思議に思っていたのけど・・・・・」
「ですから広まらない理由は、解同が糾弾を過去にしたからじゃないのですか」
「糾弾?この唄に?同盟として正式に抗議したことは、たぶんないはずです」
「確かですか」
「過去のマスコミへの糾弾の記録はすべて残されています。後で確認しますが、これらの曲が放送禁止歌に指定されていることさえ、私は今まで知りませんでした」当惑を隠せない西島の対応に、隠蔽やその場しのぎの気配は全くなかった。
予感どおりだ。解放同盟は抗議などしていない。またもやメディア側の思いこみなんだ。
『悲惨な戦い(なぎら健壱)』では相撲協会が、『自衛隊に入ろう(高田渡)』では自衛隊が、歌い手や放送局に抗議をしたと僕らは思いこんできた。そう思いこむことで、規制も当然と無自覚に納得していた。幻想でしかない抗議。脅えるメディア。部落差別をめぐるこれらの唄も、やはり構造は同様だった(資料は後に確認した。糾弾の記録などやはりどこにもなかった)。p86~
「テレビはマスメディアとして成長する過程で、とにかく毒と見なされるものを少しずつ排除しながら角をどんどん丸くしてきた。僕はそう感じてます。娯楽としては間違った方向ではない。しかし表現としては取り返しのつかない道を歩んでしまったのかもしれない」(北林由孝の言葉)p133
ここで出てきた唄。『手紙』など、本当にその昔ギターでコードを押さえながらよく歌ったものだ。
『手仕事の日本』 2015.10.16
『ひらがなだいぼうけん』 2015.09.26
新折々のうた2 2015.09.25