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気づいたら5月になっていました。とほほ。nekopeibooksという本の紹介ブログをはじめました。殺風景で雰囲気違いますが、こっちはこまめに書こうと思ってます。新緑がきれいな季節。鎌倉、行きたいなぁ。
2007.05.02
ど~んっ。美保神社のそばのお店におはした恵比寿さん。「とりあえず ニコニコしてなさいよ。 福はそこからやってくるから」2007年はこんな顔で、一年過ごそうではありませんか。
2007.01.13
とても曇っている日にふと空を見上げたときチラリと太陽がのぞいた、そんな瞬間に居合わせると世の中捨てたものじゃないような気になったりする。照らされることが理由なく喜びに感じるのは、雨の多い国にいるからなのか。お天道様が見ている、と言うけれど誰かが見ていてくれるような誰かが知っていてくれるようなそんな気持ちになるからだろうか。太陽とか月とか、自然とか、犬とか猫とか鳥とか魚とか、物言わないモノたちを物言うヒトたちはいつも解釈し続ける。きっと99パーセントが誤解だろう。迷惑な誤解が多くて申し訳ないけれどそれでもなお、反論もせず小さな誤解をもってしてヒトに力を与え続けるモノたちはホントにえらいなぁと思う。そんなことをえらいとすら思わないところがホントにすごいなぁと思う。淡々とそこに在ることの難しさ。淡々と在って、なお、意味が生まれる希有さ。太陽を見てそんなことを思ったりした冬の午後。
2006.12.11
他人の皮膚みたいな感じがするの。昔TVで、横浜で育ったという女優が、東京を表現して言った言葉。生まれ育った場所は自分の肌になじむ。着古したTシャツに袖を通すような感覚がある。先日、我が家にゆかりのある土地に行ってきた。ゆかりというのがどのくらいゆかりかというと日本史レベルの話なので実際のところ何の確証もない。が、父は自分がこちら系の人間だと強く感じるらしく今回は15年ぶりの再訪となった。文献を当たり、たどれるほどの家系ではないが隣町よりこの土地に自分の肌を感じるのは事実。血やルーツで属する場所を決めるのはともすると非常に危険なことになる。人が属するモノやコトに絡め取られ、単純化されたときもっとも愚かしいことが起こりうる。そう思いつつ、一方でここに端を発し連綿と続いた血脈を思う。つながれた命に奇跡を感じる。どうして人はルーツを求めようとするんだろうなぁ。時は正午近く。木々のてっぺんから強い光が差し込んだ。やっぱりここで、間違っていないように感じた。
2006.10.18
チョコレート色のグラミーを飼おうと思い、いそいそと持ち帰り、水槽に入れた。いつものように適当に、だが、通常の手順をふんで水合わせをし、ゆっくりとチョコグラを水に放った。チョコグラはちょっとたれ目でおちょぼ口。ひれをヨチヨチと動かし、なんともキュート。元気に泳いでるわ、と安心して眠った。よく朝、水槽を見ると、水草の間でじっとしていた。電気をつけ、つついてみる。ヨチヨチと動き出したのだが、ひれは広がらず不安定。そのうち、気の荒いグッピーにつつかれる始末。あわてて、別の水槽に移し、様子を見る。具合の悪い魚は、薬浴や塩を入れろと言われるが、そういわれてやったところで結局は、見ているしかない。ネコのように、体を抱くことも、さすることもできない。たとえそれが、何の助けにはならなくても、さするという行為で自分の体温を相手に移せば、人は何かしたような満足を得られる。水槽に手を入れて、魚をさするわけにいかない。傾き、弱っていく姿を、ただ見ている。ときどき、思い直したようにまっすぐ泳げば、お、持ち直したか、などと思ったりするが、しばらくすると、元に戻る。出かけなければならなかったが、なかなか立ち上がれず、ただじっと見ていた。時間切れで部屋を出た。外出先でネットで検索をする。グラミーのなかでもチョコグラはとりわけ飼育が難しく、水あわせ、食餌、縄張りや序列にまでかなり神経質な魚だった。飼うなら、調べとけよ、と頭の中で自分に言っただが、時すでに遅かろう。帰宅するとチョコグラは葉っぱのように浮かんでいた。相変わらずくりっとしたたれ目で、おちょぼ口だった。仕方ないので蓮鉢に埋めた。たかだか500円程度の魚だったが、もう500円出して次のチョコグラを買う気にはなれず、そこから2週間、チョコグラを移したもうひとつの水槽は、魚不在のまま、まわっていた。先日、不在の水槽を掃除し、水を整えて、コリドラスを2匹入れた。2匹のうちの1匹は、水あわせが終わると、じっと動かず、背びれが広がらなかった。また、ただ、じっと見ていた。そのうち物陰に隠れてしまったので、こちらも眠った。朝、電気をつけると、弱っていた1匹は、元気な魚と同じように砂を口に含んでプップッと吐き出していた。餌を入れると、よく食べた。相手の生に対して、本来無力だということを、魚は勘違いの余地なくわからせる。そこいくと、人は不思議な生き物だなと思う。見ることを超えようとする。そうすることが、良いことだとも、悪いことだとも、確信は持てないんだけども。
2006.09.12
今年も重たい梅雨が続いていますねー。一昨日の猛暑で労働したら、かなり体力を消耗しました。エアーが足りない。酸素の絶対量が足りないと、体内が酸欠で、筋肉を動かせないし、脳みそも働かない。当たり前のことですが、重たい梅雨の季節には、つくづくそれを思います。先日作ったベランダの蓮鉢のめだかが死んでしまって、何でだろうと思ったら、水が滞り、熱がこもりすぎていたみたいです。近所にビオトープをやっているお宅があるのですが、そこの水は澄んでいて、魚たちも丸々と太ってみんな元気に泳いでいます。熱帯魚店のお兄さんにめだかの話をしたら、この暑さで流れのない外の水に、何を入れても無理ですよ、流れがあればエアーも含まれるし、水も熱くなりすぎないでしょ、と。確かに、近所のビオトープは、水量があり、適度に木陰があり、魚たちの数もいて、流れもありました。排気ガスバンバンの都心で、実に清涼な空間を保っています。適度なエアーが生態系をまわす。重たい梅雨でも、気持ちよく泳ぐ魚と、彼らの置かれた環境を見るにつけ、そこにある法則に“ヒント”が隠されているような気がしてなりません。それが何かはよくわかりませんが、息苦しさとは何か、快適さとは何か、スイスイと泳ぐ魚はあらかじめ全部知っているように見えるんです。
2006.07.17
ここのところ、というのが、いったいいつからいつまでのことをさすのやら自分でもよくわからないのですが、忙しいというか、写真を撮るのも億劫で、自分のページを開くのも、恐ろしいほどでした。ずっと世話してなかった金魚鉢が、藻がはって、どろどろになってしまい、いったいなかの金魚は生きているんだろうか……というような気分でして。酸欠になって、息も絶え絶えだった金魚。そのままどこかに流しちゃおうかとも思ったのですが、それもなんだか忍びなく、水替えをして、ブクブクを入れて、きれいな水を作り直すことにしました。ただ、本当にずぼらなので、細やかな世話ができそうにないのですよ。なので今回は、かなりシンプルな小さな金魚鉢にすることにしました。今回は藻が生えないといいなぁ……。なんて。写真はガネーシュヒマールです。すべてにいろいろな内包物が入っています。本当はこれを探していたのに、どこを探しても見つかりませんでした。本当はこれを探していたのに、途中で、なんとなく別のものを買ってしまいました。ああ、また衝動買いだなぁと深く反省。その石屋さんに、お礼をするときなんとなく、本当は私、ガネーシュヒマールのみずみずしいやつに全部に内包物が入ってるのが欲しかったのですよ、機会があったら、ぜひ作ってみてください、と告げてみました。そしたらその石屋さん、え~それうちにありますよ、あまりに一般受けしなそうなので、商品化はどうしようかなぁと迷っていたんです、と。そういうことがあるのですねぇ。その方はいろいろ入っているのだけピックアップして、並びを吟味して、1本だけコレを作ってくれました。ヒマラヤ水晶は、湧き出る水のような内側から輝く独特の照りがあります。光にかざして、鉱物学者のようになかの内包物を見つめると、時のたつのを忘れます。そして、山で見つけた湧き水で手を洗い、顔を洗い、ごくごく飲み干すような、なんともすがすがしい気持ちになるのです。新しい金魚鉢の水が、ヒマラヤの水にあやかりますように。
2006.07.01
ずいぶん久しぶりの日記更新。花見に行った(先週ですが)。サクラを見に行ったのだが、サクラ色の椿が満開だった。サクラ色の椿の上には、若草色のクモがいて、こちらをじっと見ていた。若草色のクモは、ワカバグモというそうで花に寄る獲物を待っているのだとか。BAMBOOさん曰く、おまぬけなクモなのできっと獲物はとれなかっただろうけど、花と虫、ふたつの生き物のパステルな組み合わせに、短い春の訪れを感じた。時期がきたから、花を咲かし、時期がきたから、獲物をとろうと身を起こす。時期にあう、当たり前のことするとき、生き物は懸命で、ふさわしい色を帯びる。だから季節は美しい。春はいいな。
2006.04.10
たけのこ書房をつくったいきおいでBAMBOOさんがペイントをつかっていろんな絵を描いていた。指をつかって絵かけるんだなんて、おもしろがって横で見ていたら、ぐにゃぐにゃとへんな生き物ができあがり、色をつけているうちに、闇夜を行くおまぬけな猫に変身。いいないいなと言っていたら、文字を入れて加工してくれた。ということで、上に貼ってみました。nekopei黒猫バージョンです。どうぞよろしく!
2006.01.24

今日は東京、雪です。外に出て、ちらちらちらちら途切れることなく降る雪を見たらペチカという童謡を思い出した。雪の降る夜は 楽しいペチカペチカ燃えろよ お話しましよう昔々よ 燃えろよペチカ歌い方の問題なのかもしれないけど、オペラ歌手の太った男の人が、羽根布団みたいな声で歌っていたテープを聞いていた記憶があって、私はずっとマイナーで重厚なロシア民謡だと思い込んでいた。そしたら、あのペチカは作詞が北原白秋で、作曲が山田耕作。昨日聞いた歌を、明日忘れる。そういう時代に生きていて、きちんと思い出せるのが大正から昭和初期の歌なのがなんともおかしい。こんな日は、ペチカの前で、ジャムをなめつつ紅茶を飲んで、絵本を広げてゴロゴロしてみたいものだなぁ。絵本といえば、お知らせです。BAMBOOさんの絵本紹介blogたけのこ書房OPENしました。
2006.01.21
みなさま、あけましておめでとうございます。毎日寒い日が続きます。寒い寒いと思っているうちに年が明けていて……。年々、正月らしさなるものは、私の中で消えていくような気がして寂しいこのごろ。でもまあ、ひとまずぐるりと見渡しいける範囲の神社仏閣に手を合わせてきました。ただただ黙って、みんなのお願いを聞き続ける神仏のおかげで、なんとなくも日常へのエンジンをかけられるのだから。たくましく、たくましく、2006年も乗り切りましょう。*この観音様は、青松寺さんの観音様です。初詣に行ったのは神社だったので、年末にお邪魔したこちらの観音像をUPシマース。
2006.01.04
昨日は矢野顕子嬢のさとがえるコンサートに行った。じかに耳に届く矢野さんの声は、湧き水のようで、聴いているだけで、みそぎを受けているような気になる。私は決して熱心なファンではないのだけど、何度か彼女のコンサートを観ていて、その都度、やっぱり矢野さんは巫女なのではないだろうか、と思ってしまう。ゲストが清志郎さんで、ふたりでいっしょに「デイドリームビリーバー」と「ひとつだけ」を歌う。清志郎さんの声は、繊細で優しい。矢野さんの声は、強くて激しい。そう歌わなくても、そう聴こえる。そしてふたりの声は、ともに切ない。いい気分の帰り道、鼻歌歌いながらパルコの前。華やかにデコレートされたクリスマスツリー。この木はどこから来たんだろうねー。このあとどこに行くんだろうねー。そんなことを思って、パチリ。ジングルベルジングルベル♪もう12月です。
2005.12.05

またまたご無沙汰です。忙しいですが、元気です。今日、東京を歩いていたら、秋の終わりを見つけました。華やかに、ツリーの電飾をともさなくても、季節の無常は細部からそっとはじまり、冬の訪れを知らせてくれます。みなさま、風邪などひかぬように~。ではまた。
2005.11.13
日記、ごぶさたでした。元気なのですが、忙しくって忙しくって。ええと先日のこと。所用で世田谷の豪徳寺を訪れた。豪徳寺は井伊直弼で有名な井伊家の菩提寺。招き猫の寺としても知られている。世田谷の住宅街の中にあらわれる聖地というか、大きすぎず、華美にすぎず、とても上品な寺だった。小雨の日に訪ねたのだが、敷地内に植えられた木々のいい香りが湿り気とともに鼻孔をつき、疲れた頭のもやがすっと晴れるようだった。目的は招き猫。豪徳寺と招き猫の詳細は、ぜひ訪れて、解説書をいただくことをお勧めする。寺には招猫堂というお堂があり、のぞき穴から招猫観音を拝むことができる。中央に招き猫が座っているのだ。そしてそのお堂の脇へまわると、たくさんの招き猫が奉納され、列を成している。なかなか圧巻であり、私はこれを撮らせていただきたくてお邪魔したのだった。目的を達成したあと、ふと横を見ると、石の菩薩。古いものなのか、苔むして、お鼻ももげているが、なんともゆったりした笑みに、思わず近寄ってしまった。両肩には「如是畜生 發菩提心」の文字。一切の動物が成仏できるように祈ったお経の一句だ。カメラ片手に寄ったり引いたりしながら、菩薩の顔を見つめていたとき、ふと考えた。この菩薩を彫った仏師のこと。きっと猫を飼っていた人物に違いあるまい。猫の寝姿を眺めるときに湧き上がる愛情、一瞬にして満たされる気持ち。猫との暮らしで得られる喜びと安らぎが、菩薩の顔には宿っている。コツコツと石を彫るかたわらに、体の端を押し付けて眠る猫の姿。そんな光景が見えた気がした。
2005.10.18
夜、仕事で用事があって銀座に行った。あわただしく歩いていたのだが、四丁目交差点で信号待ちをしていると、頭上に何かが大きく旋回した。見上げると大きな大きな白い鳥……というのはウソで、銀座のネオンに照らし出され、真っ白に発光する鳩の群れ。まるで一羽の鳥のように、和光のビルを基点としながら、何度も何度もぐるぐると舞っていた。銀座の街に生きるたくましい鳥たちが見せてくれたネオンとの競演。街を行く人たちも、あ、と短く声を上げて、しばし空を見上げていた。銀座の空に何かが宿った一瞬だった。
2005.09.23
気がついたら9月になってました。忙しくて忙しくて。ご無沙汰してました。先日の台風の後、ソラがクワッと焼けた。ビルの間に見えた一瞬の夕焼け。見惚れている間に、夜がやってきて、すぐに全部の色が消えていった。結局、朝はやってきたけど、雨、雨、秋の雨。まあ、秋にはなったのか。毎日、小さいことから大きなことまでいろんなことがあります。久しぶりにTVをつけたら、今日は選挙、選挙。何かが変わるかなぁ。んー。まだまだ忙殺の日々。とりあえず、私は、小さな一日を、乗り切らなくては。
2005.09.11
グリーンのフローライトのクラスターです!なんちって。ウソです。今年初めて食べたカキ氷。日曜日、店番したBAMBOOWORKSのフリマでBAMBOOさんが食べていたもの。シャリシャリとシマシマのストロースプーンでカキ氷をかき混ぜ、3口いただく。このカキ氷、こんなに人工的な緑色なのに、昔のようなインチキくさい味がしなくて、肩透かしだった。「昔のシロップってさ~」「あれがいいのにねぇ」などと、しばしカキ氷について語り合う。そういえば、今年は夏らしいこと、あんまりしてないなぁ。休みもまだとってないし、花火も見なかったし、枝豆もあんまり食べてないなぁ。なーんて書くと、今まで夏らしいことをしてたのか、と思われそうだが、そんなこたぁない。ま、おとなになると、こんなものなのかもね。今晩は台風。ぬるい雨がぼとぼとと肩に当たる。台風一過で空が抜ければ、秋がやってくるのだろう。そうしてまた、季節はめぐる。ああ、でも、やっぱり広げた指の間から、何かを取りこぼしてしまったような、そいういう夏だった気がする。取りこぼしたものは、何だったんだろう…。
2005.08.25

日曜日、フリマに行った。遊びに、ではなく、出店。BAMBOOWORKSのお手伝いだ。夏のフリマなんてやったことなくて、うすうす予感はしていたんだけど、暑すぎて、なにもかもだらだら。じっくり物色、なんてことできる思考回路は誰にも残されていなかった。それでもときたまTシャツをのぞいてくれる人がいて、なぜかキッズへの反応が多かった。 ファミリー地区だったので地域性もあるのかな。クワガタTシャツを見て、「カブトムシ、ほらカブトムシ、カブトムシ」とうわごとのようにつぶやき続けるお姉さんとか。やっぱり暑さにやられてたのかも。完全防備でのぞんだのだが、それでも焦げるかと思った。救いだったのは、風。海のそばの会場だったので、終始海風が吹き抜ける。風に乗った雲が来ては行き、来ては行き、太陽をしばらく覆い隠してくれる。太陽をしのぐ。そう、もはや暑さではなく、太陽そのものをしのがねばならないほど。暑いというよりも痛い。露出した手の甲がジリジリしてくる。昔はこんなに暑かったっけ。風がやみ、雲が流れず、雨も降らなくなってしまったら、灼熱の太陽はもはや脅威でしかない。そしたら外出には宇宙服みたいなのが必要で、真夏にTシャツ自慢もできなくなっちゃうよねぇ。
2005.08.23
数日前、携帯を買い換え、帰り道、いじりながら歩いた。前を向いたら、いろんな光が見えたので、携帯カメラを開いて腕を伸ばした。歩速を緩めず、光がいっぱいになった瞬間に親指でボタンを押す。カシャーッというわざとらしいシャッター音とともに収められた踊る光。ヘッドライトよりも、発光ダイオードよりも明るいのは大きな八月の白い月。明日の晩は満月だ!
2005.08.19
残暑お見舞い申し上げます。酷暑の東京、熱帯夜が続き、家から駅まで、駅から会社までの数分間で、脳天から汗が流れる毎日だが、それでも夕暮れ時の陽の傾き具合、最期を惜しむ蝉の声は、ゆっくりゆっくり秋の音連れ感じさせる。午後5時、帰社する前に蒸し暑さにまいって街のなんたらカフェにて一服。何を飲もうか一瞬迷ってアイスティにした。アイスティが飲みたかった、というより、アイスティが見たかった、と言ったほうが正しい。冷たい紅茶は大きな氷の入ったガラスのコップに注がれてこそ。透明感あふれるカーネリアンのようで、眺めるだけでも汗が引く。ストローでかき混ぜながら、ごくりごくりと飲みさしで、もったいなくてなかを覗き、パチリ。最後の一口をズズズと飲みほし、顔を上げると、窓の外には夏の太陽。今にも名残惜しそうにビルの谷間へ消えていくところだった。
2005.08.10

ベルギー産の紅白石。とてもマットなさわり心地だ。この石、割ると中にはこげ茶色の層が見られる。かけらを舌にのせてみると、まず、こげ茶部分が溶け出し、外側がたまごの殻のように残りながら、ゆっくりと消えていく。名称は「ゴディバ・マリアージュ」。石みたいでしょ!!週末に行った友人の結婚式でいただいたもの。新郎新婦がみんなのテーブルをまわるときに配る幸福のおすそ分け。白いウエディングドレス姿の友人は、ありがとうありがとうと言いながらこれを渡してくれた。結婚式ってあまり参加したことなかったのだけど、お呼ばれした私まで、うきうきうれしくなる式だった。華美に過ぎず、暖かく細やかな気遣いにあふれていた。帰宅して、この紅白の小石を開きながら、お姫様みたいな彼女を思い出し、やっぱり愛情を注ぎ、注がれたものは、内側から輝くなぁと思った。いい石と同じね~♪
2005.08.02
今日は、時間をはずした日、だそうだ。13の月の暦というのがあるのだが、7月25日は時間という概念が外れた日。この日でリセットされて、次のサイクルが始まる、らしい。13の月の暦っていうのがいろいろいいらしい、というのを知って、読んでみたりしたのだが、結局さっぱりわからなくて、日記は書きかけで反故にしてしまった。でも、月の満ち欠けには敏感になった。昔は、どっちが欠けているのか、満ちているのかよくわからなかったのだが、帰り道空を見上げるときには、もうすぐ新月だ、もうすぐ満月だ、と感じることができる。だからどうっていうわけでもないんだけど、自分だけでどうにもならないもののリズムに乗って生きていると感じるのは、ある種の傲慢さをおさえてくれていいのではないか、と思う。ダイアリーの中身はいろんな記号やら暗号がいっぱいで、きちんと理論的に勉強しないと読み解けないようなもの。それを見たときに、以前仕事で四柱推命の先生にあったときに見せられた、記号の山を思い出した。東西の差こそあれ、過去を整理し、未来を予測する技は、とても数学的な作業なのだと確信する。世の中はきっと、いろいろな語られ方をするけれど、もとをただせば、ひとつの丸い卵だったりするんだろう。明日は台風が来るらしい。夏が来たらアップしようと思っていた翡翠の輪。翡翠は本当に奥深く、難しく、素人が手を出せるものではない、ということが、ここ最近わかったこと。これは翡翠のなかでは、雑貨程度のもので、石目はあるし、もやもやしていて不透明。でも、光に透かすと、薄く藻が貼られた水面を下から見上げているような気持ちになってぼけっとできる。石が財産ではない私にとっては、そんな時間をもらえるだけで十分だったりする。7月25日、時間をはずした日は、ぐるりとめぐった輪の真ん中の、がらんどうみたいなときなんだろうか。輪を持って、ぼけっとする時間。時間をはずした時間。きっとそれを、人は「永遠」と呼んだりするのかなぁ。
2005.07.25
暑いのかと思ったら、なんだか涼しいここ数日。はっきりしない天気のためか、夏風邪をひいている人が多い。今年の夏風邪は、長引くらしく、みなさん1週間近く苦しんでいる。私も数日前、あやうく風邪をひきかけた。目が覚めたら、タオルケットに繭のように包まって、がたがた震えていたのだ。?? と思ったら、寝る前に消したはずの冷房がガンガンにはたらいている。いったい誰がつけたのか!!! 凍死寸前。ベッドの下に転がる無残に転がるリモコンを見ながら、おばけじゃないことを確信。ははは。危ないのでみなさんお気をつけて。その日は一日からだがだるく熱っぽく。仕事がたまりにたまっててどうにもならない!!で、「このまま寝込むわけにはいかんのだよ、私」と思って、風邪菌に対する憤怒の気力で跳ね返した。ムムム~ッイ!! と憤怒の気力は邪気をはらうね。おなじみBAMBOOさんの鬼瓦Tシャツの文様に、先日、NEWバージョンができました。旧バージョンと比べると、より縄文っぽくなってきた感じ。以前作ったシルバーペンダントトップに似てるかな。オリジナルTシャツショップBAMBOOWORKS武骨さが増した分、邪気をはらう力も強そうね。
2005.07.23

夏ですねー。Tシャツシーズン到来。BAMBOOさんの作る蓮Tです。先日、ラベンダーとミントを両方買ってくださった方がいた。蓮の注文がときどき入るみたいなんだけど、やっぱり蓮もの集めている人が多いみたい。隠れ蓮好きさんって意外といるのかな。ということで、再販蓮T、およびリニューアル鬼瓦とか、その他もろもろ刷ったので、昨日、外で写真を撮った。創意工夫したかったのだが、時間がないのにくわえあの暑さ!!!正味20分も外にいなかったんだけど汗だく。Tシャツを汚さないようにしながら、家に逃げ帰った。自然光ってやっぱり色がきれい。蛍光灯の下で撮った写真とは段違いだということが、これまでの写真と見比べるとよくわかるでしょう。ほかの写真も撮りなおさなくちゃ、なんかTシャツがかわいそうだわ。BAMBOOWORKSのぞいてみてくださいませ(^m^)
2005.07.19
このところバタバタしていてフル回転。家に帰って、脳みそを切り替えるのが至難の業。ギリギリまで何かやっていると、目が冴えちゃって、くたびれていてもなかなか眠れない。先日、ジラソルのことを書いていてわかったのだけど、石って、クールダウンさせてくれる力があるまず、石を手に持ってみる。ヒヤッとして気持ちいい。そのまま転がしたり、裏返したりしてみる。きれいだな、かわいいな、おもしろいな、と思って眺めていると、途中から、何にも考えない時間がやってきて、我に返ると、そのまま少しだけ時間がたっている。ほいじゃ、寝ようかね、という気持ちになる。単純にきれいでかわいくておもしろいものを愛でる時間。あんまり考えなくて、ぼんやりしたほうがいいときもあるのよね~♪
2005.07.14
今日は東京、さわやかな気候。適度に陽が射し、適度に風がそよぎ、秋みたい。なんだかとても忙しく、忙しく、昨日が七夕だってことも、誰かの日記で知ったほど。夜にTVをつけたら、テロの字幕が流れていて。あああ、今日は七夕だったのに。アロエに漬かっていたジラソルがようやく顔を出したので、アロエジェルから取り出して、キュッキュッとタオルで拭いてみた。心なしかつやつやと潤ったかな?明け方、窓を開けてジラソルを透かした。水を含んだ梅雨空がもっちりとしたジラソルに映り込んで、つるんと封じ込まれたよう。手のひらにただ石ひとつ分の重みだけを感じ、ぼけっとそれを眺めた。何の感想もなく、何の感慨もなく、何の思考もなく、ぼけっと空っぽ。どのくらい真空だったかわからないけど、とりあえずジラソルを布袋にいれ、また、やらなくちゃいけないことに戻った。
2005.07.08
少し遠くの湖まで行った。花はいろいろ咲いていたのだが、曇り空にもかかわらず、これが天然?というほどの発光ピンクの花。近寄ってパチリ。先日、知り合いが宝石商のお友達とあわせてくれれた。この前、コメントのも書いたのだが、スーツケースのなかからいろいろな石を見せつつ、石のすばらしさ、――地学的な話から、宝石を手にする心持ちの話まで――あらゆる石話を夢中で語ってくれた。それを聞きながら、この人は宝石商というよりも、むしろ単なるミネラル好きなのだ、とう点に感激した。その人は、会話の端々に、何度も「育ちのいい石」という言葉を用いた。同じ生成分であっても、同じ産地であっても、石によって育ちのよしあしがある、と。育ちのよい石を見つけ、その石が、なりたいと思う形に研磨してあげるのが醍醐味だ、と。難しいことはよくわからないが、その場に並んでいた石は、驚くほどインクルージョンがなく、室内照明のわずかな光のなかでも、キラキラと光っていて、なるほど、こういうことか、と思った。もっと光を受ければ、もっと輝くだろう。が、育ちのいいものは、たとえ光が足りなくても、それらを集めて自ら発光する底力がある。花でも石でも、なんでもそうなのかもね。で、例のごとく……このお花、なんていうんでしょう??ご存知の方がいたら、教えてください。
2005.07.04
長きにわたるBAMBOOさんのPC格闘もようやく終わりを告げ、TシャツSHOP BAMBOOWORKSがオープンしました!!!写真はとりあえず撮ったものをアップしたんだけど、暇を見て、自然光のしたできちんと撮りなおしたいなぁ。やっぱりTシャツの色は、蛍光灯のしたではきちんと出ない。まあ、いろいろやり途中のことはありますが、よかった、よかった。カエルくんもTシャツのなかで喜んでマス♪もともと私のブログはPC苦手なBAMBOOさんのTシャツを代わりに紹介するためのもの。でもやっているうちにおもしろくなっちゃったので、フリマページだけを撤収します。みなさんも気分転換しにBAMBOOWORKS遊びに行ってみてくださいな。これからもよろしく!!
2005.07.01
毎日、暑い。むしむし暑い。水中をもがいているような気分になりませんか、みなさん?これから秋までの季節、私は非常に、弱る。冷房を使うまいとも思うし、冷たいものを食べ過ぎまい、とも思うのだが、暑くなると、まったくもって思考停止状態。とにかくとても投げやりな気持ちになる。太陽が眩しいから、殺人を犯しちゃう、カミュの小説みたいな思考回路。以前、夏に沖縄に行ったことがあるのだが、東京に比べて湿気が少なくて驚いた。南国というのはまた別世界なのだな。私が弱いのは、太陽や温度というよりも、この湿度なんだろう。いっそのこと、さらりと雨でも降ればよいのに、もったりしたまま一日が終わり、熱帯夜。たまに振れば土砂災害モノの豪雨。それほど長くもない人生だが、それでも小さいころは、夏、こんふうではなかったよ。少しずつ、歯車が狂っているのかと思う今日この頃。BAMBOOさんが作ったちびっこ用クジラTシャツ。小さな小さなキッズTに、のんのんとしたクジラさんが泳いでいる。アヂーアヂーと悲壮な顔をして歩くより、こんな顔して、夏を過ごしたいものだなぁ。そうそう、BAMBOOさんはTシャツショップオープンに向けてラストスパートの様子。毎日苦手なパソコンと格闘中。HP製作ソフトがないので、何度も挫折しかけたんだけど、ようやく先が見えてきたみたい。それでもお古のPC(Win)なので、やりたいと思うことも形にできなくて消化不良みたい。やっぱりマックとかスキャナーが必要なのねぇ。HPって本当に大変なんだなぁとしみじみ思った。というわけで、こちらのショップはそろそろ撤退かな。
2005.06.28

BAMBOOさんの蓮Tシャツ。紺、ロイヤルブルー、ブラックときて、女の子モノも作ろうよ、という話になった。サイズをキッズのLにすれば、ちょうどレディースのSサイズになる。色はどんなのにするのかな、と思っていたところ、BAMBOOさんが仕入れてきたのがかわいいラベンダーとミントグリーンだった。同じ蓮でも、やさしくあざやかな中間色に刷るととたんにヨガTシャツっぽくなるのでびっくり。☆Tシャツはこちらで見られます!⇒BAMBOOWORKS最近流行のヨガ。私も蓮Tを作ったからというわけではないんだけど、DVDを買っちゃった。フィットネスクラブの30分メニューをそのまま家で体験できるというスグレモノ。で、やってみました。これがねーすんごい量の汗が出るんですよっ!!!割とゆ~っくりした動きで、無理するなっていうから無理はしなんだけど、どうしたのっていうくらい汗が出る。そして、自分がいかに体が硬く、バランス感覚が欠如しているかを自覚できる。まあ、運動苦手な私でも最後までやりとおせたし、不思議系音楽がふわふわした気持ちにしてくれるのでよく言われるリラックス効果もあるのかも。「でもさー、何度もいうけど続けないとダメなんだよ~」と、BAMBOOさんは柔術で鍛えたおなかをさわりながら、自慢げに言うんだけどさ。ほんとは蓮T来て、蓮柄のヨガマット片手にヨガスタジオと行きたいところだが、予算も時間もないので、自宅ヨガでがまんがまん。ラベンダーとミントグリーンの蓮Tはフリマに出したんだけど、私も欲しいなぁ。でも、サイズが合わないんだよなぁ。やっぱりヨガでサイズダウンしないとダメかなぁ。はぁっ。
2005.06.24
普段なら立ち寄ることもない街に用事があった。繁華街と住宅街の狭間にあるその街の駅周辺は、ビルとアパートと戸建てが入り混じって、どっちつかずな空間。用事はきっちり1時間で済み、時間は午後0時。駅に戻る道を歩いていると、ぽつんぽつんとケーキ屋やレストランがあり、路地に入る角に周りとは異質の建物が現れた。扉は重そうな木戸。塗り跡をわざと残した壁。何かの巣穴のようにも見える。看板から、どうやらここがイタリアンレストランらしいことがわかった。しかもランチタイム。勇気を出して扉を開けてみると、中には近所の人らしい先客が一組のみ。丸い顔をして難しそうに料理を作るコックさんと丸い顔をしてにこやかに席に案内するコックさんのふたり。兄弟なのか、とてもよく似ている。私は一番壁際のふたりがけの小さな席に通された。照明はほとんどない。かわりに小さな窓から光が差し込む。巣穴のように見えた壁の内側は、塗りっぱなしででこぼこしていて、洞窟のよう。興味津々でぐるりと店内見回し、視線が自分の手元に戻ってきたとき、壁のくぼみに置かれたマリア像に気づいた。輸入雑貨店に行けばどこにでもありそうな品物。だが、薄明かりのなかで遠くを見つめるその姿がなんともはかなくて、しばしぼぅっとしてしまった。昔、ヨーロッパを海外旅行したとき、普通の街に普通に教会があり、普通の時間に普通の人がふらっと立ち寄り祈って帰る光景を見て、驚いたことがあった。教会の中に入り、マリア像を見上げて手を組めば、一瞬にしてあっちとつながってしまう、あの不思議な感覚。ランチは冷たいパスタとミネストローネ、マロンケーキにアイスコーヒーのセット。こちらもごくごく普通の町のレストランの味だったんだけど、マリア像のおかげで、異国の教会を訪れたような気分になれて、昼時のちょっとしたトリップだった。
2005.06.22

百足(ムカデ)に続いて虫T。キッズ用にと作ったクワガタTシャツ。ごにょごにょごにょ!って動きそう。BAMBOOさんは虫に多大なる愛情を注ぐ。とにかく歩いていても虫を見つけると、突然「わあッ」とか言って、彼らがとまっている木や葉っぱに、しゅるしゅるしゅる~と吸い寄せられ、しばらく戻ってこない。百足のような嫌われ者や、なんとかヒルっていう得体の知れない虫の摩訶不思議を夢中で語る。変な虫ばかりが好きなのかといえば、そんなこともなく、虫の王道・クワガタさんは永遠のアイドルらしい。キッズTを作るぞ~と裏紙に落書きをはじめたときに、「好きな虫描いたら?」と言ったら、迷わずさくさくコレを描いた。で、昨日ようやく完成。 われながらよくできたぞう~! とご満悦。 在庫がたまたまキッズのLだったので、それで刷ったんだけど、もっと小さい子用のTシャツも取り寄せ中。幼稚園のクワガタ好きの男の子が着たら、かわいーかも!!!楽天フリマに出してみたので、ご覧くださーい。
2005.06.19
夜からそのまま朝になって、窓を開けたら、分厚い雲の合間から、一瞬だけ太陽の丸い顔がのぞいた。おはようの太陽。シャッターを押したら、すぐにまた雲に隠れちゃった。今日は久しぶりに陽がさすかな♪
2005.06.17
これはな~んでしょう?とろんとして見えるけど、実は石。ジラソルです。マダガスカル産の高品質ミルキークオーツのことをそう呼ぶらしい。で、私のジラソルはワケあって、今、アロエに浸かっている。ジラソルは、全体に皮膜がはられたようなとろ~んとした石。私はなぜか、数ヶ月前から、メタモルフォーゼス、マダガスカル産ローズクオーツ、ジラソル……といった、とろ~んとした石が欲しくて欲しくて。なかでもジラソルのタンブル、というのを一度手にしてみたいと思っていた。GWに行った鉱物屋さんで、初めて現物のジラソル丸玉をさわることができた。が、どうも思っていた感じと違う。丸玉のジラソルは「私はマルでございます」という主張が感じられて、なんかなぁ、もっと応用が利くっていうか、どうとでもなるような感じがいいのになぁ……なんてことを思い、値段が高かったこともあり、さっさとあきらめた。それから間もなく、手のひらに乗るくらいの平べったいジラソルに出会った。比較的安価だったのに、傷ひとつなく、見ているだけで脳幹がぼんやりしてくる光の入り具合、とろ~りキュッという独特のさわり心地、なにより今後自在に形を変えそうな、丸玉には感じなかった、どうにでもなるいい加減さに魅了された。嬉しくって、仕事中も机の上において、なんともなしに眺めたり、さわったり。ちょうどそのとき、まったく石とは関係なく、「肌はやっぱり保湿が大事だ」という話を聞いて、アロエジェルなるものを購入。こちらも普通の化粧品よりはずっと安い上に、無添加でプルプル、とろ~んとしたさわり心地が最高で、惜しげもなくタップリ塗って就眠するようになった。机の上においていたジラソルを家にもって帰ってきたときのこと。寝る前にアロエジェルを指にとった私は、「この感じ、ジラソルに似てるよなぁ……」と思い、その手でそのままジラソルを……。つるんっ。。。。あ~ッ!!!!!!!時すでに遅し。ジラソルは見る見るうちにアロエジェルの中に姿を沈めていってしまったのだ。もちろん取り上げようとしたんだけど、つるつるすべってなかなかすくえない。やっと取り出してみるとジラソルはたっぷりアロエまみれ。けどなんか、ジラソル自体がすごくそれを望んでいるような気がして、また元に戻してしまった。さてさて、アロエジェルとジラソルの相乗効果で、保湿が高まるだろうか……。結果は私の肌にかかっている?
2005.06.14
この間、BAMBOOさんが自分で作って独り占めした500円玉大の鬼瓦シルバーPT。新たにシルバークレイを入手して、100円玉大のものを作ってもらった!!!やったー!!!同じ鬼瓦でも顔が微妙に違う。先日作ったもののほうが大作りで、いかめしく、今度作ったものは、ちょっと丸っこく、楽しげ。大きさもリクエストどおりだったので、早速手持ちのチェーンに通そうと思ったんだけど、ああああ~、頭の穴が小さくて、チェーンが通らないっ。夜中に針穴に通すように何度もトライしたんだけど……、通らないものは通らないよなぁ。マルカン買ってきてつなごうかなぁ。ついでに、紫Tシャツに百足を刷ってもらった。新たな配色。そういえば、この前、M公園へフリマをやりに行ったのだが、とっても大きなラガーマンみたいな人が、赤と黒の百足Tを即買いしてくれた。やっぱり百足は、こういう大きな男の人好みなのかなぁ、と思ったら、その直後、彼と正反対の女の人も百足に興味を示してくれた。「サイズが小さかったら欲しいんだけどなぁ~」「子供用に作ったらいいんじゃないかな~」とアドバイスをくださった。なーんていい人なんだ!と大感激。ということで、Tシャツは女子&キッズ展開もしてみることに。この紫も楽天フリマにだそうかと思ったんだけど、やっぱりお試し版なので自分で着ようっと。
2005.06.10
先日書いた翡翠の話に登場したアベンチュリンの珠。それに連なるのはつげの珠。去年、私は数珠を作った。数珠はいくつか持っていたのだが、歳とともに別離が多くなったためか、年末に突然、自分好みの数珠を作ろうという気持ちになった。本当言うと、オール本翡翠の数珠が欲しかったんだけど、でもねぇ、やっぱり高くて高くて。それに、数珠は宗派によって形が違う。房のところまで珠が連なるスタイルなので、全部石だとしつこいのだ。……ということで木。数珠にする木の珠もいろいろ種類がある。やっぱり数珠は菩提樹かな、とも思ったのだが、どうもあの黒いブツブツが苦手で。それに手に持つもの、さわりたくなる木がいいなぁと思った。私のなかの、さわりたくなる木、といえばつげだ。つげ、そうつげのくしのつげ。小さいころ、もうなくなった母方の祖母の家に遊びに行くと、祖母は自分のつげのくしを出して、スー、スーと私の髪をすいてくれた。祖母のつげはもう何十年も使っているものだったから、色といい、照りといい、指が吸い付くようなさわり心地といいすばらしく、頭をなでられる気持ちよさとあいまって、私の記憶に強く残っている。ただね、数珠を作るときはそんなこと忘れていて、なんとなく、さわるならつげだろうと思って注文したのだ。手元にやってきて、つげの木を親指でこすったとき、不思議とその記憶がよみがえった。このつげの珠、祖母のくしみたいに、自分のつげになっていくだろうか。そんな歳を重ねる楽しみと同時に、これからいろいろあるんだろうねぇ……と思いながら、つげをさわった。でも、このさわり心地だけは、きっと変わらないだろうなぁ。
2005.06.07
Tシャツ作るBAMBOOさんが、Tシャツにもなっている鬼瓦のペンダントトップを作った。1年以上、いやもっと前? 教育テレビでシルバークレイ教室を放送していて、それを見ていて興味を持ったらしい。1年以上前に、その話を聞いた私は、「だったらシルバークレイを渡すから、なんか作って」とお願いしたのだが、「うん、いいよ」といったきり、信じられないくらい長いことほったらかしにされていたのだ。シルバークレイの存在自体、ほとんど忘れかけていたころ、何を思ったのか、突然、銀の鬼瓦を作るぞ、と言い出した。で、初作品がコレ。なんでも彫刻刀で彫って、何度も磨いたとか。ごっついの。石もそうだけど、銀モノも光の角度で顔つきが変わる。邪気をはらう鬼瓦。インカかどっかの遺跡から出土したいみたいでしょ。くれるのかと思っていたのに、どうやら惜しくなったようで自分用にするんだって。まあ、500円玉くらいあるので、私にはちょっと大きいかなぁ。100円玉くらいの大きさのをもう一個作ってもらおう。気が変わらないうちに!!! シルバークレイ、相当おもしろかったらしく、Tシャツといっしょに商品化したいなぁと言っていた。HPはなかなか進みませんが、そのうちウェブショップに並ぶかも。ほしい人はご一報くださいな。
2005.06.04
昨日も今日もその前も、雨が降ったりやんだりの曇り空。いよいよ梅雨の始まりか。私は五月生まれなので、春から初夏に変わるころの日差しや空気がとりわけ好きだ。わけもなく自分が勢いづく。まあ、その結果、何かを成し遂げたりしたわけでもないんだけど。蒸し暑い季節に入るととたんに弱るんだな。犬みたいに弱る。これからどんどん弱る私。あーあ。昼ごはんを食べながら、五月に撮った写真を見ていたら、翡翠の指輪の写真があったので載せてみます。昔は翡翠なんてまったく興味がなく、憧れの緑の石といえばエメラルドだった。親が私の誕生石だから、と生まれたときにデパートで指輪を買った。その石が翡翠だった。「とてもとても高かったが、誕生石だということで奮発した」という話を今でも聞かされる。20歳の誕生日に、常々聞かされていたそれをもらった。アップルグリーンの濃い色の翡翠が埋め込まれた銀の指輪だった実は、エメラルドみたいにギラギラしていなくてちょっとがっかりした。そんな風にもいえなくて、嬉しいと言ったのだが、やっぱりギラギラした感じのゴージャスさとは程遠く、指輪の箱は引き出しの奥にしまわれたままだった。ある日、勾玉を調べていたとき、翡翠の専門店のHPにたどり着いた。翡翠にはさまざまな色があること。染めたものや翡翠ではない石も~翡翠と呼ばれることがあること。アップルグリーンの翡翠は、気絶するぐらい高価だということ。見ているうちに、翡翠のものが欲しくなって、一番最初に買ったのがこの指輪。本当はきれいな緑の翡翠のバングルが欲しかったのだが、そんなお金があるわけもなく、バングルが小さくなったようなくりぬき指輪を購入した。手元に来たときはグレーがかかった白で、もうちょっとお金を出して緑色の指輪にすればよかったな、とも思ったのだが、不思議と指に馴染み、付けているうちに、なんだか緑がかってきたような感じがして、自分にしかわからない、微妙な変化と、翡翠独特のやわらかくやさしいさわり心地に虜になった。インド翡翠と呼ばれるアベンチュリンを使った数珠を持っているのだが、石のさわり心地はまったく違う。アベンチュリンは水晶のひとつだそうで、水晶らしい凛とした冷たさがあり、翡翠には、人の皮膚の温かさがある。翡翠はさわりたくなる石なのだ。両親がくれたアップルグリーンの指輪は、引き出しから出して、時々眺めてまたしまっている。翡翠のよさがわかってから、それを見直すと、とろりとしてつやのあるアップルグリーンがいかに良質なもので、高価なものかがよくわかる。ただ、指輪のデザインといい、濃さといい、もう少し落ち着いてからではないと似合わないような気がして、やっぱり眺めてはまたしまうことの繰り返し。両親は、あの指輪が似合うように育って欲しかったのかもしれないが、どうやら私はその逆を行っていて申し訳ないような思いになる。せいぜい私には、自分で買ったこの指輪がちょうどよいのだろう。翡翠の五月は過ぎ去ったが、指輪は毎日つけられる。キーボードをたたく指にくるりと巻かれた指輪を見て、一年でもっともさわやかな季節に思いを馳せている。
2005.06.03

休日は、街中を歩くことが多く、今日もふらふらと散歩に出かけた。東京はよい天気で、歩いて流れる汗が、時折吹き抜ける風でスーッと引いていく、いわゆる散歩日和だった。散歩は無目的なのが贅沢でいい。午後、たっぷり時間があって、特にどこに行きたいわけでもないときこそ、道に迷うことができていい。近所からD坂を通り、U公園まで、てくてく3時間近く歩いた。本筋から外れない程度に、横道に入り、異界をのぞいて迷いかけては、また本筋に戻る。舗装された道を歩きつつ、上を見れば青空と緑、目の高さにはさりげなくもしたたかに咲く花が見られる。マンション群の間には、ボロボロの家や意匠を凝らしたお屋敷がたっていて、人の生活が垣間見られて楽しいのだ。写真は、そんなお屋敷街を歩いていたとき見つけた塀の海。きれいなブルーのガラス細工が埋め込まれていた。東京のこうした面白みは、散歩でしか味わうことができないのではないか、と思う。大好きな作家のひとりに荒木陽子さんがいる。天才アラーキーの奥様で、もう他界されていることは名作「センチメンタルな旅・冬の旅」で知られている。私は、実は本当の天才は、陽子さんなんじゃないかと思っている。技巧ではなく、天性のうまさ。眼のすばらしさを感じる。「愛情生活」をはじめ、彼女のエッセイは数冊しかない。★★★全部読み終わってしまって、はたと、もう読めないのかと我に返り、締め付けられるような気持ちにさせられた、数少ない人。東京の街を描いたエッセイも多く、荒木夫妻がいかにこの都市を愛していたのかがよくわかる。映画にもなったのが「東京日和」。映画は見ていないのだが、もしも映画しか見たことがない人がいたら、何よりも陽子さんの文章を味わうことをお勧めします。★★★東京日和。この本のタイトルが持つ空気は、歩くことでしか得られないなぁ、と今日またつくづく感じた。
2005.05.29
最近やってきたローズクオーツの鳥さん。広げた羽とくちばしのフローライト色合いに一目ぼれ。PCの横に置いているため、目の端にこの鳥がチラチラ。のびやかに広がった鳥さんの羽。羽ばたいて飛び上がる瞬間なのか、休もうと戻ってきた瞬間なのか。気分しだいでどちらにも見える。どちらにも見えるけど、羽ばたいてもまた、疲れたら休みに来るだろうし、休んでもすぐ飛び立ちそうで、いつでも、とても身軽でとても気軽だ。飛び続けている限り、いろんなことはきっとなんとでもなるし、きっとたいしたことにはならない。そう言っているような顔している。目の端でチラチラ。ああ、あやかりたいあやかりたい。鳥さんの向こうにうつっているのは、Tシャツ作るBAMBOOさんのブログ。BAMBOOWORKSの日記BAMBOOさん、やっとPCがつながって、HP制作に格闘中。とりあえずブログに写真をアップするところまでいったみたい。もはや私は話を聞いてもチンプンカンプン。HPって、こんなブログと違って大変なんだなぁ~(遠い目)。BAMBOOWORKSのHP、はてさて無事にできるかなぁ。
2005.05.25

三社祭りが今日までだったな、と思い、夕方、ぶらっと浅草に行った。社のお祭りなので、メインは浅草神社のほうなのだが、ここまでくるとちょうちんをくぐりたくなるのが常、観音様の足元に行きたくなるのが常。裏道を抜けながら浅草寺の境内近くまでやってきた。今日は最終日で、3つのおみこしが練り歩き、お宮に収められる宮入の日。暮れ時、あれよあれよと言う間に警官が出てきて、みこしのとおりを作るために交通整理を始めた。私は気づくと五重塔のまん前という絶景のポジションに収まっていた。最初は、雰囲気だけ味わって帰ろうかな、と思っていたのだが、ボーっと立っていたら、人に囲まれ、動くに動けない。ここまできたら宮入も見てみたくなり、 雨にもめげず立ち続けた。「やっぱり雨に降られましたな」とは、その場を取り仕切っていたハッピ姿のおじさんと警察官の話。なんでも三社祭りは必ず一日天気が崩れるそうだ。片耳澄ましてそれを聞きながら、浅草寺は金龍山だから、観音様の後ろにいる龍が「オイラもまぜてくれよ」って雨でも降らしているのかな、と空を見上げて夢想したり。待つこと2時間。足腰もおなかも限界、というとき、遠くから徐々に近づく太鼓の音。セイヤセイヤの掛け声、集団が作り出す熱気の塊、観客の声援とともに風に乗って流れてきた。ゆれるみこし、かつぐ男たち。数時間もたっているだろうに乱れることのないハッピ。刈り込まれた髪の毛に、ピチッと巻かれたハチマキ。クーッ!!! 血が逆流するほどかっこいい。本当に私はこの空気を感じるたびに、なんで浅草の男の子に生まれることができなかったのか、と悔やんでならないのだ!!!年に一度、これほどかっこいい瞬間を自分が体験できるなら、あとの360日、がんばって働き続けるだろう、と思うのだ。祭りの作り出す、ハレとケの文化。人が生活を築くため、祭りは必然の仕組みだったのだ、と、ここに来れば肌で理解できる。最後のみこしが浅草神社の鳥居をくぐるのを目で追いつつ、私は再び、裏道を抜けて駅へと向かった。祭りのあと、私の前を歩いてたハッピ姿のお姐さん。彼女にも、明日また、日常が待っているのかなぁ。
2005.05.22
風も穏やか、気持ちのよい五月晴れだったので、いつも通らない道を歩いた。右を見て左を見て、下を見て上を見て。そんな風に歩いてみると、場面場面が切り取られて見えるから不思議だ。前に見た映画に似てたり、前に読んだ本に似てたり、前に聴いた歌に似てたり、風景がどんどん豊饒になっていく。こういう散歩のお供には、小さなカメラが最適で、一人で歩いても、まったく退屈しない。ただ、不思議なもので、こういう気分のときに撮った写真は、後で見ると実際よりも褪せてしまう。ここが素人の哀しいところだ。プロはその逆、同じかそれ以上に魅せることができるんだよなぁ。なーんてなことを考えながら、顔を上げたら目の前に巨大な緑の樹。なんじゃこの樹は、と近寄れば、それは巨大な松を這い上がるツタだった。うねりを伴う松ノ木のてっぺんに向かって、這い上がるように伸びゆくツタはまるで龍のようで、松ノ木の根本にしゃがんで思わず写真を撮った。実際はねーもっと大迫力なんだけど、うまくいかないやねぇ。そうだ! 余談ですが、知っているひとがいたらぜひ教えて欲しいことがひとつ。楽天って写真をUPするときに50KB以下にせよと指示がありますよね。この写真はこのぐらい大きくできたんだけど、別の写真はいくらリサイズして小さくしても50K以下にならないことがあって……。あれは何でなの?? ほかの人のブログ見ると、ちゃんと大きな写真もUPできてたりする……なんか間違ってるのかなぁ。いまいちよくわからないなぁ。うーん。
2005.05.21
うちにある木彫りの観音様。体長40cmくらいはありますかな。もともとは2階にいらっしゃったのだが、ある出来事によって1階に移され、なんとそれ以来、その場所からまったく動かなくなってしまったのだ。ある出来事、というのは亡くなった祖母の話。半分恍惚の人となりかけていたころ、夢を見たそうな。――2階にいる木彫りの観音様が、枕にあらわれてココじゃなくて、下に行きたい、って言っている!祖母は観音様を1階の床の間に移し、献花・献香。毎朝、お参りをしていた。気づいたころには、観音様を押しても引いても引き上げても、うんともすんともいわなくなってしまったのだ。「やっぱりほんとに1階に行きたかったのかねぇ…観音様」恍惚の人の戯言かと思っていたが、動かない観音様を前に、家族みんな、そんな気にもなってきた。まあ、置いた床面が木の板でできていたので、樹脂がついたのだろうって気もするんだけど。だからって無理して引き剥がそうっていう気も起こらず、恍惚の人が恍惚を極めて逝ってしまった後も、このホラーというかホーリーなお話を楽しんでいる。ただねぇ、ニヤリとこちらを見やるこの観音様の顔を拝んでいると、やっぱりあながち嘘じゃなかったのかもよ~という気にもなったりして!!
2005.05.17
この前の母の日、出先で花屋に寄った。おかれていたのは、しおれたようなカーネーションばかり。センスよく花束を作ってくれそうな店員さんもいなかった。帰るまでに、あと花屋が何軒あったか、何時まであいているか、まったく定かではなくて、仕方なくそこで200円のカーネーションを買った。乗り換え駅の前に大型スーパーがあって、偶然その日は、母の日だからということで、花屋の出店が出ていた。スーパーは閉店ぎりぎりで、花屋も撤収を始めていたのだが、近づいてみると、きれいなアジサイの鉢植えが!!母はアジサイ好きだ。母の日だけど、カーネーションをやめて、コレを買っていこう! と思い立ち、「まだいいですか?」と聞いてみた。スーパーの人にせかされるように撤収していたお兄さんだったが、にっこり笑って、「いいですよ、もう最後だから2000円でいいよ」と500円も値引きしてくれた。「城が崎の雨っていう種類で、これからきれいに咲きますよ」と。しまいかけていたレジを開き、お会計をしながら、「花、好きですか?」と聞いてきた。「ええ、はい」とそんなに詳しくもないので、おろおろと返事をすると、目の前にあった黄色いバラをごっそりとって、白い紙でぐるぐるぐるぐる。「水揚げしてあげれば、まだ大丈夫だから」とニコニコ。20本ちかいの黄色いバラをおまけしてくれた。200円のカーネーションと2000円の城が崎の雨、ちょっと弱弱しい黄色いバラの花束。脈絡のない3種類の花を抱えて、うちに帰った。脈絡ない花を母はとても喜んでくれて、何も言わないうちに「水揚げすれば大丈夫よ」と言って、たらいの中でバラをチョキチョキやっていた。翌朝、母は私の顔を見るなり、「生き返ったわよ!!」と華やいだ声をあげた。眠い目をこすりながら母の後についていくと、いつの間にかバラだけは、日の差す庭に面した窓際に飾られていて、朝日を浴びていっせいに根元から花開いていた。母は、カーネーションやアジサイも、それはそれで喜んでいたけど、この黄色いバラが一番うれしそうだったなぁ。あのお兄さんに、ちょっと見せてあげたかったなぁ。
2005.05.11

BAMBOOさんのTシャツを持って、都内某所で数時間フリマをやってみた!!といっても、結論としては売れなかったんだけど、目の前でどんな反応があるのか見てみたいなーというのが第一目的だったので、まあヨシです。午後の3時間くらいだったけど、初めて知らない人が通るところでTシャツ見せるのはちょっとドキドキだった。大方の反応は、チラッと目を遣り、ちょっと驚いて再度見直す……こんな感じ。外国の人の反応が面白くて、小声で「オゥ、ロ~タァス」とか、百足に目を丸くしたり。小さな男の子を連れたお母さんが百足を見て、男の子に「ほら、怖いよ~」と言うと、その子が「ボク、怖くないよッ!」手をぎゅっとにぎって話したり。そんな光景をのんびり観察した。フリマのこともあって、急遽Tシャツをたくさん刷ったので、楽天フリマに出すための撮影もした。Tシャツの地色違いで刷ったりして、種類も増えたので、アップの作業もしなくちゃ。ああ、ドジもふんだんだった。縁起を担いで、この間うちにやってきたラピスラズリの招き猫を持っていって飾ってたんだけど、店じまいするときにすっかり忘れて置き去りに……。 はたと気づいたら夕闇で、招き猫を忘れて帰るなんて!!!いなくなってたらどうしよう!!!泣きそうになりながら公園に舞い戻り……。そしたら、ひとけのなくなった公園でネコはポツネンと福を招いていた。駆け寄って、ごめんよごめんよ、とこすりながらお詫びをした。ああ、ほんとによかったよー。
2005.05.08
連休中、関西では石のイベントがあったそうで、いろんな人のブログを見ていたら、うらやましくなってしまい、石欲しいな病が発症。本物の石を見たり触ったりしたくなって、鉱物屋さんに向かった。以前その鉱物屋さんを訪れたとき、水入り瑪瑙という石に出会い、そのぐにゃぐにゃぶりに衝撃を受けた。1つ2000~3000円。小さなガラスのボウルに入れられていて、初めて見たときに、「うわっグロい」と思った。それから半年近くたったのだが、なぜかあの店で見た水入り瑪瑙が頭から外れなくて、石欲しいな病の処方として、適度な値ごろの水入り瑪瑙で手をうつことにした。ネットショップだともっと安く売られているのだが、一見グロい石こそ、見て触ってみなければ! という使命感にかられた。店には水入り瑪瑙が10個近くあった。マジックで聖水入り!! と書かれていたんだけど、何が聖水なんだろう。うーん。あった石、全部ゆすってもすかしても、水が入っているのかどうかはよくわからなかった。ただ、どの水入り瑪瑙もそのぐにゃぐにゃ感に個性があって、どのぐにゃぐにゃにするかで1時間も迷った。たった3000円の石を買うのに、そんなに迷われたら迷惑だよな、なんて店員さんを見てみると、「セレブになりたいのよ、私は!」 と豪語する奥さんにつかまって、いろんな石の効能を説明させられていた。それはそれで、なかなか大変そうだった。結局選んだのはコレ。そおっと飲んでいたアイスカフェオレの氷が溶けかかって、最後にひとまぜしたような石でしょ。
2005.05.06
鎌倉に散歩に行った。本当は由比ガ浜から歩いて江ノ島まで抜けたかったのだけど、海岸線に立ったとたん、全身ジャリジャリになってしまうほどの強風。仕方なく、鎌倉に戻って、うろうろした。どこもかしこも混んでいて、人のいないところいないところを選んで路地を行ったら、住宅地に突然小さな神社があらわれた。沖縄みたいだ。お賽銭を入れる箱も用意されていない。説明を読むと龍をまつっているとか。見上げると屋根の右上に不思議な形の瓦。最初龍かと思ったのだが目を凝らして見てみると、浪のようだ。このまま小さくしたらペンダントトップになりそう!!!!もぎって帰りたいほど、よい石の浪だった。強風と人ごみに感謝感謝^^
2005.05.04
仕事で徹夜明け、朝帰り。歩いていたら、鮮やかな紫が目に飛び込んできた。アメジストが苦手だ、と前の日記に書いたのだが、紫色は、やっぱり魔力がある。眠気が一気に覚めてしまって、持っていたデジカメを向けていたら、柴犬を連れたおじさんが、何してるの?と話しかけてきた。怒られるかと思ったら、おじさん、一生懸命花の名前を思い出そうとしてくれた。結局、わからなかったんだけど、群生していたこの花、最初は一株だけだったから、あなたもそれひとつ引っこ抜いていったら、たちまちいっぱいになるよ、と笑った。柴犬はおじさんの横でカッカッカッと耳をかいていた。じゃあごゆっくり、と言われて、しばらくごゆっくり写真を撮った。もちろん、引っこ抜きはしなかったけどね。ところで、この花、なんという名なんだろうなぁ。
2005.05.02

今日、アメジストの小石が見つかった。机の奥からひょっこり出てきた。本当はアメジストが苦手だ。真紫の石を見ていると、怖くなるから。紫はとても高貴な色だから、そんな高貴な色を嫌うのはもったいないような気がするのだが、見てるとスーッと、自分が抜かれるような感じがする。この石は、別の石を買ったときに、ショップの人がおまけでくれたタンブル。「アメジスト」とペンで書かれた袋が入っていたとき、少しだけ身構えた。でも、あけて出てきたのがこの石で、拍子抜けして、ホッとした。紫がとてもとても薄くて、おまけにクラックがたくさん入っていた。つるんとしててさわり心地がよく、光が当たると、素朴な虹が出る。 眺めていると、全部は抜かれない、脳幹だけが緩むような、そんな心地よさ。道端で拾った小石みたいな、ちょうどよさ。アメジストの小石がやってきて、1週間目くらいで見当たらなくなって、2ヶ月くらいして、今日、ひょっこり出てきた。うれしくなってうちに持って帰ってきたのだが、なんとなくまた、ひょっこりいなくなるような気がする。それでまた、戻ってくるような気がする。そのくらいのペースが、この小石はちょうどいいのかもしれないな。
2005.04.29
雨があがって、もうすぐ5月がやってくる。4月は遠い知り合いの命日があって、死の理由を一年後に知らされた。若くして命を絶ったその人は、果たして楽になれたのだろうか。そんなことを考えていたら、高田渡さんが亡くなった。おかしく哀しい歌声を、もう聴けないのかと思うと、なぜだか置いていかれた子のような、心細さが襲った。そんな気分を引きずりながら、毎日仕事をしていたら、60の齢を超えて、ポールさんが飛び降りた。僧侶が飛び降りちゃいけない、何のための仏教か。そう思って記事を追えば、ポールさんは昨年僧籍を返し、仏門を捨てていた。そしてまた、今日行くべき場所を持つ人たちが、突然命を奪われて。ほんの少しのバランスが崩れたときに水はこぼれる。蓮の上の水の玉は、このまま蒸発できただろうか。
2005.04.27
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