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2008.01.20
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~講談社文庫、1998年~

『本格ミステリー宣言』 に続く、本格ミステリーに関する方法論(評論)をまとめた1冊です。
 本書は2部構成になっていて、第1部が、『本格ミステリー宣言』に対する反論への再反論といった性格も強い方法論の部分、第二部は、他の作家の本やアンソロジーの解説で書いた文章を中心にバラエティ豊かな文章を集めています。全体に通じているのは、これから本格ミステリーを書こうとする人々へ、あるいは既にミステリーを書いていながら、狭い世界にとじこもってしまうおそれのある作家たちへの警鐘であり、激励といった性格です。

 まず、第一部で印象的だった部分について思ったところを書きたいと思います。
 一つは、いわゆる「新本格」(島田さん自身、この名称は使わないようにしていますが)の作家たちの作風― つまり、「コード多様型」への警鐘です。これについて、島田さんはいわば「新本格の七則」として、彼らの作品が達成を目指すコードを列挙します。大きな流れは、閉鎖空間に集まった限られた人間たちが集まり、そこで複数の惨劇が起き、論理的な推理により探偵役が事件を説明するが、意外な人物が犯人でなければならない、といったところでしょうか。念頭にあるのは綾辻さんの作品です。
 さて、こうしたコードに則って作品を作ると、それなりの作品は書くことができる。ところが、それはマンネリを伴うし、こうした多様なコードにのみしがみつくのは危険である、というのが島田さんの主張です(一方、こうした作風自体を島田さんは決して否定していません)。そこで、島田さんは、「本格」の条件としては、コードを最小限にし、柔軟な執筆を提唱しているわけです。すなわち、冒頭で(幻想的な)謎を提示し、論理的な説明によってその意外な真相を結末に示す、という条件ですね。さらにいえば、「本格」の最低の条件は、論理性(理屈っぽい小説)だと島田さんは主張します。幻想的な謎を、論理的な推理で解体して納得のできる真相を示せば、それ自体が意外性を生むことになります。

 関連して、「新本格」の作家たちの人間描写について。「人間を描かない」ということは、「意外な犯人」という条件にとっては、不利になるというのです。「『意外な犯人』というのは、各人の人間性が色濃く作中に漂い、展開するからこそ、この人間はたぶん犯人ではなかろうという判断も読者に生まれるのであって、各人がどれも区別のつきにくい覆面、無声人間であるならば、犯人らしい人物とそうでない人物という印象も、読者には発生しづらい」(40頁)。鋭い指摘ですね。関連した指摘をもう一つ。「[新本格の諸作は]シンプルな論理的把握を困難にする人間の有機的発想や、理をはずれる複雑な動きはできる限り排除し、登場人物をあえてロボット化することで、生身の演じる殺人ドラマであるにもかかわらず、彼らを『本格パズル』という、設計図通りに動く精密機械の部分品化することに成功した」(88-89頁)。

 その点、島田さんはばりばり面白い作品を生み出しておられるので、それらの諸作もかんがみると、本書での提唱はとても説得力をもっているように思います。たとえば、 『本格ミステリー館』 での島田さんと綾辻さんの対談では、綾辻さんの方が論理的に話している印象はもちましたが、提唱と作風が発展性をもっているのは間違いなく島田さんだと思います。

 副題にある「ハイブリッド・ヴィーナス」は、島田さんが考える「本格ミステリー」の姿です。ポーやドイルといった「本格ミステリー」の原点にあって、その姿は、「幻想詩という柔らかいもの」と、「論文という本来的に固いもの」の「幸福な結婚」でした。このことは、本来相容れない「水と油」が、「近代という魔法によって遺伝子結合されられた」ものとなぞらえることができます。そして、この魔法が生み出した「禁断の果実」が、ヴィーナスの姿にたとえられるのでした。

 ちなみに、「幻想論」で語られる「幻肢」など、昨年10月に福山市で行われた講演会でうかがった話が書かれていて、なるほど、あのときのお話はこの本を大きな下敷きにしていたのかと合点がいきました。

 さて、第二部の方は、「奇想の昏い森」と題する文章がとても面白かったです。こちらはもともと、立風書房の企画で鮎川哲也さんと島田荘司さんが日本のミステリー精選集を編まれたのですが、その第一巻『奇想の森』に島田さんが書かれた解説です。島田さんが一巻のために選ばれた「松本清張以前」の古典的な日本のミステリーがこの本に収録されていて、この解説にはそれぞれについてのコメントが書かれています。これがとても面白いのです。私は、古典的なミステリといえば、いわゆる三大ミステリ(奇書)と江戸川乱歩さんの作品を数編、横溝正史さんの作品の多くを読んでいるだけなのですが、ほかにもこんなにも面白そうな作品があるのかと、わくわくしながら読みました。アマゾンで見たところ、どうも『奇想の森』は絶版のようですが、古本で手に入れたくなります。

 全体を通じて少し思ったのは、島田さんは北村薫さんや加納朋子さんなどに代表される、いわゆる「日常の謎」ミステリをどう位置づけておられるのかな、ということです。冒頭での謎は、日常の中で「あれっ?」と思われるような些細な謎。ところがそれが、思いがけない背景をもっていることを論理的に示す過程はやはり島田さんの提唱される「本格ミステリー」に位置づけられると思うのですが、一方、これらの作品は横溝正史さんなどの作品に比べれば、リアリズムが強いようにも思うのです。はて…?? もっとも、本書を読む限り、こうした「コード多様型」を脱した、論理性の強い諸作の隆盛は、島田さんは大歓迎しておられるだろうと考えます。
(2008年1月17日読了)





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Last updated  2008.01.20 07:14:46
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