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2009.07.20
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(Alain Corbin, Historien du sensible. Entretiens avec Gilles Heure, Paris, 2000)
~藤原書店、2001年~

 その著作のほぼ全てが邦訳されているため日本でも有名な近代史家にして「感性の歴史家」、アラン・コルバンの対談集です。対談相手のジル・ウレについて私は知らないのですが、歴史家にしてジャーナリストで、コルバンの著作をすべて読み、この対談を企画されたのだそうです。
 本書の構成は次のとおりです。

ーーー
日本の読者へ

1 ノルマンディーでの子供時代
2 九○万のリムーザン人

4 黄水仙と前浜―『においの歴史』『浜辺の誕生』
5 定期市広場での死―『人喰いの村』
6 鐘が語ること―『音の風景』
7 時間の使い方―『レジャーの誕生』
8 もっとも内面的=親密なもの―『私生活の歴史』『時間・欲望・恐怖』
9 オルヌ県の一介の木靴職人―『記録を残さなかった男の歴史』
10 教師と研究者

アラン・コルバンの著作・主要論文
原注
訳者あとがき
ーーー


 この記事では、(1)まずコルバンの経歴を簡単に整理し、(2)主要著作に関する議論の部分で興味深かったところについてふれたうえで、(3)全体の感想を書いてみようと思います。

   (1)アラン・コルバンの略歴

 アラン・コルバンは1936年、オルヌ県のクルメトールという小さな町で生まれました。お父様は医者でしたが、その仕事ぶりを見ていて、医者にはなるまいと思ったそうです。が、アラン・コルバンは著作のなかで医学的言説を多く用いているようです。
 彼は第二次世界大戦のなか、子供時代を過ごすことになります。アメリカ人やドイツ人に関する思い出も、対談のなかで語られています。
 中等教育は宗教団体(フレール=ド=ロルヌの無原罪聖母教会)が経営する私立学校で受けた後、1952~1953年にはソルボンヌ大学とカトリック学院で教養課程の準備をします(このあたり、私はフランスの教育制度をよく知らないのでなかなかイメージがわきにくいです…)。

 ここではなかなかなじめなかったようですが、さらに1960年、アルジェリアとの戦争のため召集令状を受けます。そして1962年、停戦直前にリモージュの高校に戻ります。
 あらためて高校に戻った後、今度は博士論文の準備がはじまります(教員をしながら博士論文を執筆するというのが、よくある流れのようですね)。テーマとしては、古代史が好きだったようですが、ラテン語が苦手なこともあり、19世紀のリムーザン地方を選択します。当時は、数量史的手法を用いた研究がさかんだった時期で、コルバンも当初はその手法で研究を進めましたが、しだいに限界を感じて、人類学的手法の方に傾いていきます。そして1972年に書き上げたのが、『19世紀リムーザン地方における伝統と近代性』という浩瀚な博士論文です(本書巻末の著作リストによれば、二巻本で計1148頁にもなるようです)。

   (2)主要な著作に関して

 いくつかの著作については、 アラン・コルバン『感性の歴史学―社会史の方法と未来―』 の記事のなかで、簡単にその概略を書いているので、ここでは省略します。今回は、それぞれの章のなかで興味深かった点について中心に書き留めておきます。

 まずは、『娼婦』について論じた3章。ここでは、次の指摘が興味深かったです。
貧困、苦痛、苦悩、失敗といったものは、愁訴や苦情を引き起こすので痕跡を残します。それにたいして、安楽、幸福、快楽はあまりテクストを生みだしません。[中略]快楽のレトリックというのは元来とても貧しいものです。この不均衡が痕跡の不均衡をもたらすのです 」(65-66頁)
 こうしたことについて、歴史家たちはあまり注意を払ってこなかったと、コルバンは鋭く指摘しています。

 4章では、コルバンが考える歴史の意義が表明されています。これは前掲『感性の歴史学』の記事でもふれことですが、彼は、「 歴史は公民としての優先的な使命はもたず、ある好奇心、われわれよりまえの人々が何を体験し、何を考え、何を感じてきたのかを知ろうとする好奇心にまずもって答えるもの 」(97頁)と考えます。歴史を何のために勉強するのか。それにはいろんな理由があると思いますし、私自身も手探りの状態ですが、コルバンの考えにはとても共感します。
 もう1点、この章では、次の指摘も興味深いです。
文化史は堆積、重なり合い、褶曲から成り立っています。そのため、「この時代には……」と断言するのはとても難しいのです 」(101頁)
 岩の上に腰をおろして大洋を眺める二人の人物が、同じ光景を見ながら、ぜんぜん違うことを考えている、という光景が例示されますが、文化史を研究するうえで注意すべき姿勢が示されています。

 5章で扱われる『人喰いの村』は以前に挑戦したことがありますが、よく分からずに流し読みで終わってしまっています。本書などでその概要を読むと、あらためて興味はわくのですが…。とまれここでは、歴史を研究するうえでの噂の重要性が指摘されています。噂はほとんど痕跡を残さないなどの理由から、従来あまり研究されてきていませんが、「 あることがあるとき話題になった以上、いったいその話は何を意味しているのか、何を象徴しているのか、と考えてみること 」(129頁)が重要だというのですね。

 6章では、単純に面白いと思った部分があります。「名前占いの手引き」が一箇所登場するのですが、日本以外でもそういうのがあるのだなぁ、と。いつくらいから「名前占い」があるのか分かりませんが、人名の象徴性について調べるとっかかりにはなるのかな、と想像します。宮松浩憲先生が歴史人名学ともいうべき分野に挑戦されていて興味をもっていたこともあり(たとえば こちらの記事 )、ちょっと気になったのでした。

 7章と8章で扱われる『レジャーの誕生』、『私生活の歴史』(こちらは邦訳なし)、『時間・欲望・恐怖』については、前掲『感性の歴史学』では十分ふれられていないので、まずはそれらの文献の概要について興味深く読みました。 そして『私生活の歴史』については、「エリート」の歴史しか描かれていないという批判も寄せられたそうですが、それが、『記録を残さなかった男の歴史』につながっていくというのが興味深かったです。
 そのまま9章のことに移りますが、そこでコルバンは、「痕跡を残さなかった個人の私生活について歴史を書くことは絶対にできません」と断言しています。余計に、『記録を残さなかった男の歴史』に興味をもちました。

   (3)全体の感想

 アラン・コルバンの研究書自体は読んだことがないのですが(『人喰いの村』も「読んだ」というには不十分だと思います)、本書でその概要を知り、方法論的な意見や指摘にふれるのは刺激的な体験でした。
 言葉にこだわらなければ時代錯誤に陥ってしまうという指摘など、徹底的に歴史研究をするうえでの時代錯誤に注意を払う姿勢が示されていたり、多様な資料を扱いながらも、それらの性格に注意を払ったりと、とても参考になります。
 コルバンの研究は分厚い著作が多く、時代も私が専門にしている中世ではなく19世紀ですので、なかなか読めないとは思いますが、いつかは読んでみたいと思っています。
 なお、最終章では、教育に関するコルバンの意見も示されていて、全体的に興味深い1冊です。
 良い読書体験でした。

(2009/07/16読了)





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Last updated  2009.07.20 06:53:24
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のぽねこ @ シモンさんへ コメントありがとうございます。 久々の再…
シモン@ Re:石田かおり『化粧せずには生きられない人間の歴史』(12/23) 年の瀬に、興味深い新書のご紹介有難うご…
のぽねこ @ corpusさんへ ご丁寧にコメントありがとうございました…

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