仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2005.10.10
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カテゴリ: 東北
昨日(9日)の日記のとおり鳴子峡に行きました。渓谷散策のあと、中山平に新しくできた「しんとろの湯」に入りました。源泉掛け流しで、ぬるぬるした独特の湯。最近めったに男湯に来ない娘達ですが、5歳の妹が父親の哀願に答えてくれました。身も心もあったまります。帰宅は5時頃。
昨日は先人と地域に畏敬の念を抱くという素直なことを書きましたが、実はもう1つ思ったことがあります。それは、わが東北の地域構造について。

そのキッカケはこんなことです。「しんとろの湯」の入り口に地図が貼ってあって、それが左(西)は庄内・日本海、右(東)は鳴子・古川・加美、そしてその下(南)に仙台市まで入っている。それ以外の紙面は観光情報的な記事だったように記憶しています。面白いと思ったのは、決して宮城県や山形県の全域は記載していない、つまり、「庄内~新庄~最上~鳴子~古川」の横断軸を強く意識した地図なのです。仙台を入れたのは誘客の起点だからでしょう。あるいは、現在の47号線は昔の「出羽仙台街道」らしいので、仙台を入れるのが正統なのかも知れません。
おそらくこれら地域で構成する観光連絡協議会のようなところで作成されたのでしょうが、この地域軸が面白くて、「しんとろの湯」のお姉さん(お母さん?)にもらえないかと聞いたら、在庫ないんでネ、とアッサリ。

現在の一般的な地図を広げると、県や市町村の行政区域をベースに、新幹線・在来の鉄道網、高速・国道などの道路網を幹として描いています。とすると、「縦の軸」が中心となり、また県の境は一見交流の障壁にもなっているようにも見えます。しかし、これに惑わされる場合も多いようです。若い頃先輩にはよく地図を逆さまに見ろと言われましたが、固定観念は時として有害です。
しかしながら、どっこい経済は生き物で、これら基幹交通体系や行政区域にかかわらない多様な地域間交流があるはずです。「しんとろの湯」の地図はその表れでないか、と思いました。
現在の行政区域前提で鉄道網・幹線道路網中心の地図では、こうした生活レベルの地域の結びつきがわからない場合も多いです。もっとも、新幹線や幹線道路が従来の地域構造ををどんどん代えているのも事実ですが。

話は変わりますが、私の祖父は辛亥革命の年に生まれ(もちろん日本で)、21世紀の最初の年に亡くなりました。岩手県南部の土着農民ですが、若い自分に石巻の海産物関係の事業者にインターン(なんて言葉はないので、奉公か。)していたそうです。あまり聞いたことはないのですが。岩手県内陸部からすると、石巻は北上川河口の大都市、そして海産と交易で少年の仕事の場も数多くある活気ある港町だったはずで、行政と商業の町仙台とは異なった大きな地位があったのだろうと思います。実際、盛岡や釜石より石巻が近いし、また旧藩意識も多少あったのかもしません。同じ伊達藩ならば、と。なにせ、列藩同盟の遺恨から秋田人とは付き合うな、などとと言う祖父でしたから(正しくは、祖父がそういったのではなく、昔はそういう話があったなと話していた)。
また、私が小学校低学年の頃まで、行李に魚の乾物をつめたお婆さんたちが、確か気仙沼や石巻からだと思いますが、地域に入って行商に回っていました。スーパーの発達で姿を消したのでしょうが、何でもこの方々は、去年回った家の子供達の名前や特徴を記憶しているスーパーウーマンだったそうです。



宮城県の地図(「宮城のすがた」。統計データを記載し裏が全県図になっているもの。)を毎年なるべく買っているのですが、石巻街道、石巻別街道、一関街道、など地域の結びつきを示す通称が、昔は書いていたのに、最近は消されています。なんで消すの。寂しい。そういえば、悪評高い中江の踏切を通ると、改良した踏切にちゃんと「新石巻街道踏切」と書いてありますね。JRえらいぞ(それとも仙台市?)。
念のため、仙台に出てきた若き自分が昭和50年代後半に買った昭文社の地図「仙台市」の裏の広域図を手元に広げると、「石巻街道」(利府街道)、「仙塩街道」(45号線)、「笹谷街道」(286号線)の言葉が見えます。ところが、平成5年頃の同じ昭文社の地図「仙台市」を確認したら、これら3つの語は消えています。残念!
さらに、念のため秋田県の最近の観光地図(結構集めています!)を出してみましたが、「秋田街道」「角館街道」「平和街道」「羽州街道」「酒田街道」「本荘街道」「五城目街道」「大間街道」「鹿角街道」「十和田街道」「津軽街道」「船川街道」の記載があり、ベリグー。悔しいので目に入ったのは全部書きました。
街道名というのは面白いです。江戸を中心に見て、また、経済力や政治力の強い側から見て弱い側の町の名前を付けますね(旧国鉄の路線名の付け方も似ている)。

「しんとろの湯」の地図の話に戻りますが、中山の峠なんか越えてバンバン東西の交流があったでしょう。また石巻から相当スーパーウーマンも入ってきたはずです。あるいは、酒田からも来ていて、鳴子は期せずして日本海と太平洋の海の幸(乾物)が集まったのかも知れない、なんて考えると楽しいです。
帰りに、鳴子から岩出山まで47号線を走りながら、試しに対向車のナンバーを見てみました。運転に支障のない範囲で。ざーっと、宮城が半数、山形と庄内が3割、あとは県外という感じです。連休の中日で東北を周遊する県外観光客も多かろうと思います。そういえば、鳴子峡では台湾の方と思われる若い女性客もいました。
仙台空港と鳴子温泉を直結する路線バスが最近廃止されたそうですが、四季を通じて楽しみの多い鳴子の魅力は深いです。歴史のある「横の軸」をがっちり活かして、これからも魅力を発信して、どんどん交流人口を増やして欲しいです。





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最終更新日  2005.10.10 15:19:41
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