仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2006.06.13
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カテゴリ: 仙台
日本中がW杯ドイツ大会の日本初戦直後で騒然としているこんな真夜中に、なぜか私は仙台藩の気風のことを考えていた。幕末東北諸藩を歴訪した薩摩藩士の肝付兼武が、仙台藩の怠惰な風を見事に評している。いわく、家臣は小城を構え主君に使える気風なく、士民とも狡賢く労苦は人に押しつける、だから貧国を脱することもできない...と。

私は、この肝付兼武の東北譚のことを日記に書いたが、そのことは一般にあまり知られていないのだと思いこんでいた。自分もはじめて接したと思っていた。
 ■過去の日記  見透かされた「大藩仙台」の空虚なる風土 (06年4月2日)

しかし本棚の小冊子の中にちゃんと書いていた。20年前に買った本だ。佐々久『近代宮城の歩み』、宝文堂出版、1979年。鉛筆で「1986.2.16.一番町金港堂」と自分のメモがある。ちなみに590円だ。

佐々先生が近代の本県のあゆみを読みやすく綴ったもので、巻末の年表とあわせて、最近の百年の郷土のあゆみを知る手頃な教科書として活用できる。そのつもりで若い頃は手にしていたものだ。

その4頁に、肝付兼武の仙台藩評がズバリと書いてあった。忘れているものだ。というより、20年前にどれほどちゃんと読んでいたのか、とも言える。

思えば、20年も前の私なら、郷土史の本を読むとすれば、偉大な先輩が書いた事実や評論それ自体を客観的に受け取るという作業として読んでいただろう。しかし最近は、著者の職業や立場からみて、こう見えるのだろうか、などと考えながら読むようになった。すると、以前は無理して読み取ろうと力みながら読んでいたのが、なんとなく自然と楽に読める。

決して、そのレベルに自分が進化したわけでも知識が長じたのでもないが、何か高い次元から降りてきた非人称の作品を眺め取ろうとするのではなく、著者の立場や時点にたって、過去を思い同時代を感じ未来を構想してみると、不思議と歴史の流れを感じながら、動的に生き生きと、あるいは立体的に日本や世界のつながりを感じて読み取れるような気がする。気がするだけかも知れないが。大家の先生の立場には同化しきれるハズもないが、でも確かに同じ郷土に生きた先人だから、成ったツモリには成れるだろう。



懐かしい本を手にした感想でした。





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最終更新日  2006.06.13 01:01:36
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