仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2006.08.01
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カテゴリ: 宮城
鎌倉幕府を開いた頼朝は平泉藤原氏攻めに参加した武士に、土地を与えた。これが関東御家人の東北移住である。移住といっても、それぞれ関東に所領を持つから、実際には鎌倉時代の中頃、頼朝が土地を与えてから3代から4代を過ぎた鎌倉武士の子息や一族の人が移り住んで土着した。

例示すると、熊谷氏(現在の気仙沼)、葛西氏(石巻)、千葉氏、畠山氏、伊沢氏、長江氏(桃生)、白石氏(白石)、秋保氏、宮城氏、国分氏、結城氏、島津氏、武石氏(亘理)、留守氏、などである。なお常陸国真壁郡(茨城県)中村の豪族だった伊達氏(伊佐氏あるいは中村氏を名乗っていた)も藤原征伐の功績で福島県北に土地を得て、伊達を称するようになる(初代伊達朝宗)。

時代が下って戦国時代には、県北部では大崎氏、石巻では葛西氏、仙台平野では国分氏、留守氏、八幡氏、などが有力となる。16世紀中頃の宮城県の勢力地図は、北に大崎、東に葛西、中央に留守と国分、という豪族が有力であった。

これら豪族から戦国大名として生き残りをかけた淘汰がなされることとなる。

伊達氏は福島県北から徐々に宮城県や山形県に勢力を広げてきて、本格的に現在の宮城県全体に版図を広げたのは政宗の時代である。

16世紀中頃の他の豪族としては、大崎氏勢力下が、高泉氏、高城氏、百々氏。葛西氏勢力下が、熊谷氏、山内首藤氏。伊達の勢力下に入る県南部では、留守氏、大河戸氏、八幡氏、国分氏、秋保氏、白石氏、亘理氏。伊達氏勢力圏と大崎氏・葛西氏の勢力の境界に位置するのが、黒川氏、長江氏。

これらの苗字のいずれかならば、宮城県では由緒ある名前ということになろうか。私はどれにも該当しない。

参考:宮城県図書館協会編著『郷土みやぎの姿』1985年、宝文堂出版販売

■関連する過去の日記
苗字と名字の違い (06年5月22日)





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最終更新日  2006.08.01 02:12:58
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