仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2007.07.25
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カテゴリ: 宮城
大崎耕土とは、宮城県民には耳に馴染んだ通称だ。しかし、全国的にはこのような使い方をする所はないそうだ。なぜなのだろうか。

耕土は、(奥羽)山脈や(仙台)平野など固有名詞と結合して自然の地形を表現する言葉ではない。「耕土」とは、本来は土壌の最表層部の耕耡されて作物の根が蔓延する部分。地表から20から30センチ程度の部分のことだ。または土を耕すこと。

従って、大崎平野と称するのが自然だが、宮城県内では大崎耕土と呼び慣わされている。

内藤以貫の「仙台封内山海之勝」(「仙台叢書」別刊「仙台金石志」下の内「仙台金石志附録」巻2)(万治元年(1658年))には、こうある。
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大崎浩蕩又広稲とも云へり。田屋連綿と闢(ひら)けたるの地を、俗呼て兪(しか)云へり。加美、志田、玉造、遠田、栗原の五郡なり。〔中略〕田畑殊に多く土地尤も肥膏にして、米穀抽(ぬきんで)て多く産出す。
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この「浩蕩」「広稲」こそが、広大な沃土を表現する最適の熟語で、後の変形である「耕土」のルーツである。

大正14年古川町役場発行の『わが古川』(菅原朝歌人著)に

大崎耕土の四文字は世間によく使われる熟語であるが、元来『耕土』とは土地を耕やすことである。〔中略〕大崎広土若しくは大崎曠土であるべきものが、時代の変遷進歩につれて、広土変じて耕土となったものであろう。筆者もまた便宜上『和製の熟語』として、こゝにこれを使用しておく
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大崎耕土の表記が文献上に現れ出すのは明治30年以降になる。それが知識階級の漢字力の下降と直接関わりを持ちながら徐々に拡大していく。

すなわち、時代的に、浩蕩・広稲 → 広土・曠土 → 耕土 と変遷してきた。もちろん単純直線的に変化したのではなく、混用や一時的逆行も含みながら進行してきた。このような用語改変は他に類を見ない特異なものである。

同様に沃土を有する名取や金成も「耕土」と通称され、三耕土とも呼ばれる。

■出典 仙台市民図書館編(編者種部金蔵)『要説宮城の郷土誌』宝文堂出版、1983年
この本は図書館のレファレンス活動として市民の問いに答えたものを収録したそうだ。昔なら、郷土のことは、お坊さんとか学の高い人に聞いたのだろうが、現在では図書館がその役割ということか。それにしても、丹念に文献を拾って説明してくれる活動がすばらしい。大崎耕土の用法については数十の文献を引用して変遷を説明している。
郷土をより深く知ろうという市民に応えてくれる、こんな図書館をもつ仙台を私は誇りに思う。





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最終更新日  2007.07.25 06:02:43
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