仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2011.07.10
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カテゴリ: 東北
慶応4年(1868)3月、庄内町(旧余目町)大字小出新田の農家の長男に生まれた阿部亀治は、家が貧しくて高等科に進むことは出来なかったが、家業を継ぎながら勉強が好きで独学を怠らなかった。

当時のこの地方は湿田で収穫も少なかったが、研究熱心な亀治は土地の郎農佐藤清三郎のもとで学ぶ。多くの反対を受けながらも、乾田耕作の利点を広め、次いで馬耕の技術を習って広めることに成功する。

明治26年(1893)は不作の年だったが立谷沢村の熊谷神社にお参りに行った亀治は、冷害でほとんどの稲が倒れた中で、一株から元気に実を結んだ3本の稲穂を偶然見つける。亀治はこれを譲ってもらい、その籾を原種として研究を重ね、4年をかけて新品種亀ノ尾を生み出した。

亀ノ尾は、茎が長くしなやかで倒れにくく、害虫にも強く、穂が出てから実るまでの期間が短い品種であった。しかも多くの肥料を要せず多収穫が可能だった。その後も亀治は実った稲から毎年優秀な稲穂を選び出し、種の劣化を防いだ。

明治38年(1905)宮城県と福島県が大凶作となり、両県から種籾として大量の亀ノ尾の注文が届く。亀治は、宮城県庁には精選した亀ノ尾の種籾一斗を寄附したほかに、訪問した人にも無料で種籾を譲った。

金や欲にこだわらない亀治の努力で、明治末から大正にかけて、亀ノ尾は朝鮮半島や台湾でも栽培されるようになった。大正14年頃には、栽培面積19万5千haで、神力や愛国と並び、米の三代品種として有名になった。

亀治の功績を顕彰するため、八幡神社の境内に石碑が建てられた翌年の昭和3年(1928)、亀治は60歳で生涯を閉じる。

その後も亀ノ尾は育種関係者の注目を集め、現在のおいしい米の交配親として優れた品種を送り出してきた。ササニシキ、コシヒカリ、ひとめぼれなどに代表される良食味米のルーツである。また、酒造りに好適との評価も高まっている。

■参考 『伝えたいふるさとの100話』財団法人地域活性化センター、2004年

南三陸サイト

今年の震災を受けて、友好関係にある両町で栽培してきた亀ノ尾を使用した純米酒が、「南三陸庄内の風」として、4月に南三陸復興のために発売された。もともと、関係者の間で盟約5周年の記念として日本酒造りを企画し、2月に仕込みをはじめていたのだという。
(読売、山形新聞 などから。)





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最終更新日  2011.07.10 17:24:34
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