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新しい 朝がきた! さぁ! 今日はどんな一日になるのだろう♪ 自ら 笑うよう 心がけよう 自ら 喜んで過ごせるよう 心がけよう 自ら 元氣よく挨拶することを 心がけよう 自ら 感謝の言葉を口に出すよう 心がけよう 今日も一日 精一杯に 活きていこう 日々 是 新たなり♪ たとえ 昨日に イヤなことが あったって・・ 明日は 明日の 風が吹く その言葉の 通り 新しい 朝が こうして訪れた♪ 日々新た! 今日一日の メイクドラマ♪ どのように 創りあげるか・・ それは 自分次第なのですね☆
2024.09.30
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よくよく考えてみれば 私たちは この限られた 時間 空間に 活きているのです 振り返れば 1年など あっという間に 過ぎ去るのです だから この貴重な時間を 有効に使わなければ なりません 最近 自分自身に 言い聞かせていることに 自分の心の中から 『なんとなく・・』とか『何氣に・・』 ということを 少なくしよう できれば 無くしてしまおう そのようなことを 考えています 氣とは 心の傾向 または 心の動きです 氣が小さい人 とか 氣のいいひと などという その人の 性質や性格を 表したり または 氣がはやる とか 氣のない返事 彼女に氣がある などという すなわち その人の心の動き のことをいい 意欲であるとか関心 などということを表します ですから 普段からの生活において この『氣』というものを しっかりと 意識を持って 使っていきたいのです ただなんとなくしました ただ何氣にしました というようなことを 自分の中から 無くすような 活き方をしたい そんなふうに 思っています ようは 何ごとにも 何をするにしても 目的意識を 持つということです 仕事でも 遊びでも そう 何につけても 『氣を込める』 ということは 『活きる創造』 でもあるのです
2024.09.27
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心を支配する者 それは自分自身です ですから 「ああ幸せだなぁ」とか 「ああなんて不幸なんだ」とか 決めてるのも 実のところ 自分本人なのです 心が常に消極的なままですと 病氣や不幸も 向こうから喜んでやってきて そして 自分の中に いつまでも 居座ってしまうことでしょう 非常に 単純なことなのですけど その 消極的な心であるが故に なかなかそうはいかない方も この世の中 少なくないのであります それでも 自分自身が決定する 心の態度が 自己の人生の 全てに影響しているのだという 認識を 持つべきなのです よく単純に 積極的だとか 消極的だとか ポジティブだとか ネガティブだとか プラス思考だとか マイナス思考などと 使いますが 相対的ではなく 絶対的な 積極の心というものは どういう状態のことを 言ってるのかといいますと それは 自分の中にある 全てのとらわれをなくすこと この一点に 尽きること だということです したがって いつも自分の心の中が 感謝と悦びに 満ち溢れ 「幸せだなぁ」と 常に感じるように なるためには この とらわれをなくした 絶対積極(中村天風師曰くぜったいせきぎょく)の心が 必要だということです 人生は心一つの置きどころ 「幸せ」とは・・ いつも自分の心が 決めていることなのです
2024.09.26
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たとえどんなに長い夜だって そう この息が続く限り明けない夜はないのです 明るい日と書く 明日がやってくるのです 黙っていても 時は刻み続けて必ずやってきます 人の心は結局のところ その人それぞれが司っています 最終的に 他人にはどうすることもできません 心の闇を晴らせることもまた その本人次第なのです 自らが心の奥底から 闇の中から抜け出そうとしない限り 他人には どうすることもできないのです 花は 蒔いた種の通りにしか 咲かないのといっしょで 自分の人生の境遇も 蒔いた種の通りとなるのです 人が持つ心というものが いかに大事なものかということ 自らが 笑い 悦び 感謝の氣持ちを持ち 元氣に 勇氣をもって そして 己の良心に恥じない活き方をしていくことが いかに大切で 尊いものかということを しっかりと 心に刻んでおきたいのです
2024.09.25
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日々 いろんなことがあるのが 人生です 常日頃から 心の中の 健康チェック これも 必要不可欠になります 一番の 健康維持の方法 何よりも 大切だなぁと 思うことは やはり いかに 自分自身の心の中を 積極的に 明るく 元氣に 前向きに もっていけるか このことに尽きる! そう言っても 決して過言ではないでしょう ようは 自分自身の 心の置きどころに かかっている・・ そういうことなんだと 思っています
2024.09.24
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学問するということ 別に学生だけに 当てはまることでは ありませんよね わかっての通り 社会に出てからの方が 学ぶべきことが 山ほどあるのです 何かの壁にぶつかること 小失敗 大失敗 そんな時ほど 実は 氣づきと学びの シグナルです 問題の壁を乗り越えるために また 二度と同じ失敗をしないように 必死になって 学ばなくては ならないのです 常日頃の心得として 学ぶという姿勢こそが 大切なのだということは 言うまでもありません 常に 氣づきのアンテナを 張り巡らし 学んでやろう! 人間向上するぞ! という氣持ちが 大切なのです それは 生涯続きます 生涯勉強です あとは やるか やらないか です
2024.09.20
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やって見せて 言って聞かせて やらせて見せて ほめてやらねば 人は動かじ これは山本五十六 (26~27代連合艦隊司令長官・元帥海軍大将) の語録にありますが 昨日の言葉に引き続き 私が 座右の銘のひとつにしています 読んでの通りなのですが 実際にいろんな人に試してきましたが なかなか思うようには いかないことも多いです 私は会社組織において 多くの部下を抱えています そして 日々今日のタイトルのようなことを 考えています 組織においての上司の役割と責任は・・ 部下を通して成果を上げる ということです 自分が動く ということは 自分自身のことですので ようは 自分次第なのですが 『人を動かす』 ということは 非常に難しいものです 実は冒頭の山本五十六の言葉には続きがあります やって見せて 言って聞かせて やらせて見せて ほめてやらねば 人は動かじ 話し合い 耳を傾け 承認し 任せてやらねば 人は育たず やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば 人は実らず なるほどなぁ と思います と同時に これぞ上に立つ者の心得でもあると思いました
2024.09.19
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断じて行なえば 鬼神もこれを避く だんじておこなえば きじんもこれをさく 断而敢行 鬼神避之 これは 中国の歴史家 司馬遷(しばせん)が まとめた 『史記』 の中にある言葉で 私の 座右の銘 のひとつでもあります 決意のもとに 事を起こそうというとき 小さな心配事などせず 断固たる意思で行動する ということです 闇雲に無計画のもと ただ動け というものではなく 確かに 行動の中には 慎重になる部分や何かと準備も必要なのですが 強い氣持ちで 事に望む姿には 迫力がオーラのようににじみ出ていて 真剣さ 本氣さ が違うということです 断固たる意思のもと 言い換えれば 『信念』のもと 起こす行動には たとえ鬼神だって 避けてしまいます 何よりも大切だと思うことは 『よし!やるぞ!』という 『本氣さ』 が必要なのです
2024.09.18
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人それぞれには もって生まれた 素材というものがあります その素材を 十分に活かしきる という思いを込め 私はこのブログ上では 生きるではなく 活きるという言葉を 使っています また その素材を活かしきるためには ある程度の 環境も重要になってきます せっかくいい素材があっても 環境によっては それを十分に活かし切れない場合もあります また 反対に 一見不向きだと思っていたようなことでも 環境によっては 思わぬ能力が 開花したり 本人も それに氣づき 新たなる 活きる自信になったりすることもあります 社会生活においても よく『適材適所』という言葉を用いますが 周りがその人それぞれの 素材を見抜き 意識的にそれに適した環境を与えるというものです それが 本人自身も感じている 自己の素材を活かせる環境の場合は 納得して 奮起して さらなる能力アップも期待できます しかし 世の中は皮肉なことに 必ずしもそうでない場合もあります 例えば・・ 学生が 希望と夢を胸に 新社会人として飛び立ちました そして 新入社員としてある会社に入社し 研修を経て与えられた配属先が 自分が予期していない 環境を与えられる場合も 少なくありません そうした場合において ただ『自分には向かない!』と嘆くだけはなく まずは その境遇を受け入れ その環境に身をおくべきだと思うのです 実は 自分自身が『不向き』と思い込んでいるだけの場合もあります 人間の能力は どこでどう開花するやも知れないのです また 『環境が人をつくる』 とも言います 私が ここで言いたいことは・・ 縁あって 与えられた環境は 素直に受け入れることが 大切なことだということです そして とにかく その環境で一所懸命に 活きようとする姿勢を持つことです 私は 人間の能力には さほどの差などないと思っています ようは どれだけ素直な氣持ちで その環境を受け入れ 自分自身が やる氣を起こすか だと思うのです すなわち 何ごとも自分次第 ということです
2024.09.17
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それぞれの境遇にあわせて 楽しむことです 二度とない人生を楽しむためには これが大切です 他人の人生を活きるのではなく 自分の人生を活きるのですから ねたむな! ひがむな! うらやむな! いかに自己を高め 自分らしい人生を活きるかを 考えていけばいいのです 国によっては また人によっては どんなに貧しくても 本当に心から楽しんで 活きている人たちが大勢います そこには 人間としてのゆとりや 優雅ささえ感じられます 金や暇ができたから 悠々自適な生活が本当にできるのかと言えば 人の心を考えると 一概にそうとも言えません 普段からそのような そう、心から人生を楽しむのだという 意識がなければならないのです ある日突然できることでもないのです 上を見たらキリがないし 下を見てもまた同じです ようは 今 自分がおかれている 境遇に満足し その現状の中で いかに楽しく 活きていくことができるかです 足るを知る 心を持つことです そして今という瞬間 今日という日は 二度とは訪れて来ないのだから お金がはいったら 時間ができたら そのうち・・などと言わずに 現状から 人生を楽しむことを 考えたらどうだろうかと思うのです 今おかれている境遇に嘆く前に さぁ この現状で どのように楽しんでやろうか! というぐらいの氣持ちを持って欲しい そんなふうに思っています そのような活きかたのほうが 何倍も何十倍も 楽しい人生になるに 違いないはずなのです 人生は心一つの置きどころ なのです
2024.09.13
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『おはよう』 『こんにちは』 『こんばんは』 『さようなら』 『ありがとう』 『すみません』 『失礼します』などなど 私たちが普段から 何氣に使っている 挨拶があります 実は これが人間関係を 円滑に保つための 基本的なことでもあるのです 然るに この非常に簡単なことが できない人が多くなってきています ようは この単純な コミュニケーションが取れないのです 家庭における基本的教育の欠如や 世の中の風潮など 考えられることは 沢山あります このインターネットの普及もそうです メールでは スムーズに交わせる挨拶でも リアルで 面と向かっての 対人関係ができない人が 非常に 増えてきているのです なんでこうなったんだろう・・ と嘆く前に・・ 私は 先ず自分から 進んで・・ そう これまで以上に 挨拶を交わしていきたいと 思います この挨拶こそ 人間関係を円滑に保つために 最も簡単で 基本的なコミュニケーションでもあるのです
2024.09.12
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さぁ! 胸を張ってまいりましょう^^! そう 背筋をビシッと伸ばし しっかりと 前を見据えて まいりましょう 楽しく活きても一日 悲しく活きても一日 どうせ一日活きるなら・・ 元氣溌剌といきたいですね^^! 氣持ちを常に前向きに出来るよう とにかく心がけが必要です 日々を 歓喜のもとに 過ごしていきたいものです 笑いを心がけ 一日を感謝の氣持ちで 邁進しましょう 季節やお天気に 左右されることなく いつも心晴れやかに 過ごしていくことが出来れば きっと すべてが 好転することでしょう 人生は心一つの置きどころです
2024.09.11
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昔 よく「ものを粗末にすると罰があたるぞ」とか 「食べ物を粗末にしてはいけません」などと 母親から言われた記憶があります それでは ものを粗末にして本当に罰があたったのかというと・・ 偶然かも知れませんが よく頭を何かにぶつけたり つまづいて転んだりして 「ほ~ら!罰があたったー」などと言われた記憶もあります また 食べ物を残して お腹が痛くなったりした記憶もあります 今になって思うのですが このように 私たち日本人が 昔から言われているようなことには もっと深い意味が隠されているような氣がしています ここで挙げた「もの」にしても「食べ物」にしても 全部その影には「お陰」というものがあるということなのです 人間が食するものは 人だけではなく 動物や魚などの命の 「お陰」でもあるのです ですから そのような尊い人の努力や心 そして命を「粗末」にする行為は 人として「情けないこと」なんだと言っているのだと思います 私たちは 日々に暮らすそれぞれの場面で このように「人」や「もの」と関わって活きています “ものを大切に”できるこころの人間は 「今、この時」という時間も大事にすることが出来ますし 何よりもまわりの人間に対し「尊重するこころ」 が持てるということだと思っています 例えば “トイレをきれい”に使う ということも「次に使う人のため」とか 「掃除をして下さる人への感謝」などがあるからだと思います また 次の人のためにスリッパを揃えるという何氣ない行為も 「人を尊重する」というこころがあればこそ出来ることなのです このような例は 挙げればきりがないほど 私たちの身の回りには溢れておりますね 人は皆 この「尊きこころ」を持ち備えてあるはずです 「自分さえ良ければそれでいい」などという心は 本来の人の心ではないはず 全てのもの 全ての出来事は 人と人とのつながりによって 成り立っているものだということを 私たちは忘れてはいけないのだと思うのです
2024.09.10
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今日も 前回、前々回からの 続きのようなものです 人は どうしても 目に見えたり 耳に入ったりすることがあります 見るなとも言わないし 聞くなとも言いません ただ 出来るだけ 自分自身で意識をして 身の回りの環境作りは するのです そうは言いつつも 偶然的に 目にしたり 耳にしたりすることがあります 悪いこと 嫌なこと 悲しいこと などなど・・ 自分自身にとっては 有り難くない 言わば消極的な心になってしまうようなことなど・・ そのような場面に 出くわしたとき・・ 自分自身の心を なんとするか!? ここが結構重要な ポイントなのです 私はこれまで 何度となく 生涯勉強だとか 森羅万象すべてが学びの対象 などということを 書き続け そして 言い続けてきています ようは いったん自分の中に 受け入れてしまったあとで どうするのか!? ということなのです 凶悪犯罪のニュースを耳にした ひどい! 残虐だ! 悪いやつがいるものだ! あんなやつは死刑だ! 悲しすぎる・・ もし それだけで 終わったら・・ 心は どこか消極的なままです それでは そんな世の中にしないために 自分自身にできることはしよう まずは 人のため 世のため というよりは 自分自身 襟を但し 真直ぐに 活きよう そんなふうに 思える心こそが 絶対積極の心です 悲しいものは悲しいのです 腹が立つことは腹が立つのです 自分に 受け入れたあと どうするかです そのような心が 常日頃から 備わってさえすれば たとえ 芸能人の離婚の話題などでも 我が身と照らし合わせたり 省みたりできるのです 一見 自分にとって マイナスのようなこと 不必要と思われること そのようなことであっても 心の姿勢が 学ぶ姿勢 積極的な姿勢であれば 反面教師とすることが できるというものです 絶対積極の心 心の姿勢 活きていく中で とても重要なところです
2024.09.09
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知らなくてもいいことを知っていて 知らなければならないことを知らない 昨日からの続きです そもそも 私たちは 何のために生まれてきて そして 何のために 活きているのでしょうか ようは 今ここに活きている 本当の目的は なんでしょうか ということです 己を知り 己の分を知るということ この引き継がれてきた 大切で尊い命を この世の中で どのように活かすことができるか 腹が減ったら飯を食べ 眠たくなったら寝て 遊びたいから遊び ただ本能の赴くままに 何氣に 呼吸をし ただ生きている この奇跡の中で 授かった尊い命は 生涯をかけて 使い切ってなんぼ だと私は思っています 『活きる』ということの意味するところ ここの認識を高め 自分という人間を いかに向上できるか それは命ある限り続くわけで 自己向上のために知らなくてはならないこと 一日一日の積み重ね そう 日々研鑽し続けることが肝要です 「もう・・歳だから・・」 って 何を言ってるのでしょうか!? 学ぶことに 遅いも早いもないし 自分の年齢が どうのこうのじゃないのです だって 自分の人生 ではありませんか 歩みを止めるときは この命を使い切って この世と「おさらば」するとき(笑) それまでは 元氣に 明るく 楽しく をモットーに 自己の向上を ただひたすらに 構築していけばいいのです
2024.09.06
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私たちは 活きていくうえで 別に 知らなくてもいい情報を 数多く取り入れてしまいます 肝心だなと思うことは いかに聞き流すか いかに出していくか 本来 人間として活きていくうえで 最低限 知っておかなくてはならない大切なことを疎かにして 別にどうでもいいような 情報を多く知りすぎています 例えば 芸能人同士の色恋を やれくっついたの 離れたのなど 自分の人生の中で そのような情報は 必要ないのです 日常の生活でもそうです 誰々さんとこの息子が どこそこの大学に合格したなど どこそこの亭主が リストラされて 奥さんがパートで家計を・・・ などなど・・・ 大きなお世話だし そのようなことを知ったところで 自分の人生の 何に役立つというのでしょうか 今回のインフルエンザは 新種のウィルスなので 薬も効かず これまでの予防接種をしても かかる可能性が大です そのようなニュースが TVから頻繁に流れたりします 「充分に注意をしましょう」 「用心をしましょう」って・・ お医者さんでもわからないことを どのように注意すればいいのでしょうか そのようなことばかり TVでわーわー言ったって かかる人はかかるのです かえって心配しすぎて胃が痛くなるとか・・(笑) かかってしまったら かかってしまったときです あとは 心静かにどう対処するかです 心の中をどうするかです 熱が出て しんどいもんはしんどいんです 素人が 薬や病氣のことを 必要以上に詳しく 知る必要もないのです 実は 人間として 知っておかなくてはならない もっと 大切なことが・・・ 明日に続きます
2024.09.05
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自分という存在は この世に二人と存在しません そうです 人は皆 生まれながらにして オンリーワンなのです ですから 胸を張って 活きていけばいいのです 長い人生の過程では きっと様々な自分と出会うことでしょう それでも どんな自分からも どんな現実からも 目を背けては いけません すべて 目の前に起きていることは 真実で そこにいる自分も 紛れもない自分自身なのです どんな自分だって 最高な自分 どんな状態の自分だって 自分自身であることに なんら 変りはないのです 今 こうして 存在していること そのものが まずもって 素晴らしいことなんですから っと自身にも言い聞かせています
2024.09.04
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人は 心がけひとつで 変ります そして 素直に まわりを見つめ 謙虚に 耳を傾けることによって 様々な 氣づきを 得られます 氣づく ことができる人は 人としても ひとまわりも ふたまわりも 大きく なれると 信じています 度々 書いてますが・・ 人生って 本当に 人それぞれに いろんなことが ありますね 嬉しいこと 楽しいこと ばかりじゃなく 辛いこと 苦しいことなども ありましょう それでもですね・・ 活きていればこそ なんですよ こうして また朝を迎えられること 何氣に呼吸を繰返し 食べて 飲んで そうして一日が 過ぎていく 嘆いていても 時は その歩みを 止めてはくれません 意識の持ち方 心の置き所一つで 明日は 書いて字の如く 明るい日と なるのです 明日は 明るい日なのです 夢と希望に 満ち溢れているのです 氣づきましょう 今こうして 活きていることを 自分の前に 両親がいて そのまた両親がいて・・ もう 氣の遠くなるような 奇跡の中で この命は こうして受け継がれ 今 私たちは ここに存在し 今 ここに 活きているのです それだけでも 凄いということ この世に 存在できたことだけでも 凄いということ 素晴らしいということ そのことに 何よりも 氣づくべきなのです
2024.09.03
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相手のことを 思いやるこころ 人間が 活きていく上で これこそすべて! そんなふうに 思っています 言葉にするのは 簡単です それでも きっと難しいんでしょうね そうでなければ このような世の中には きっと ならないでしょう 何を例にとっても いいのですが 代表的なもので 『暴力』もそうですね それは 『身体と心』の両方に 対してです 私は『身体や心』へ受ける暴力に関し 両方の経験を持っています 特に 自分に受けたほうの暴力は 仲間だと思っていた人たちからの リンチです そうですね・・ 5、6人はいましたかね・・ それは 今から随分と昔 中学生の頃です 私はここで 過去の思い出話を だらだらとするつもりなど 毛頭ないのです 昨今 世間に流れるニュースの中で 本当に 耳を疑うような 凶悪な殺人事件があります 前述した リンチにしても 死ぬまでやるのです・・ おそらく その被害者は 本氣で命乞いをしたことでしょう それでも 容赦なく 殴る蹴る 凶器を使う そう 人を人と思わぬ 残虐な手口で その行為はおこなわれるのです 人間が 人間として 活きていく以上 『他人の痛みを知る』という部分を 決して 忘れてはいけないと 思うのです 私が 受けたリンチの経験は 身体が痛みを忘れても 心がその痛みを覚えています それに そんな中でも 昔は 手加減というものが多少ありました とは言っても 皆さんの想像を絶する世界ですが・・ よく昔 『半殺しにしてやる』 という言葉がありました そうです 殺しはしないのです 『このへんで勘弁してやる』という『情』が そこにはあるのです 話は変りますが 『体罰』 という言葉を一つとってもそうです マスコミや教育関係者 被害者を名乗る親 そのような方々の 批判をするつもりは ありません ちなみに・・ 私は 中学の時 先生からの平手打ちなどは 何度もありました その度に いちいち 親なども出てきません この曲を聴くこともだいぶ少なくなりましたが・・毎年 卒業シーズンに『仰げば尊し』を聞くと 中学時代の恩師を思い出します 私を殴った その先生のことを 今でも尊敬しています 私を 涙ながらに 本氣で叱ってくれたのです 『愛情』がそこには あったのです 先生はきっと 私なんかより もっともっと『心が痛かった』でしょう それが 感じられたのです! そうです 人間には 『情』というものがあるのです いや あるはず なのです! 『人の痛みを知る心』 まさに これも同様です ネットで 不特定多数の人間が 面白おかしく 個人に対し 誹謗中傷するなどは 人間として 最低の行為と 知るべきなのです 以前の私であれば・・ 『おーコラッ!かかってこんかい!』って感じでしたが・・ 今は・・ そのような方々へ 『哀れみの思い』になります 誰も 自分のことを知らないだろう どうせ 見えないし わからないだろう それは 甘いですよ・・ 天が 必ず 見てますから 相手にしたことは 善いことであれ 悪いことであれ 何であれ 必ずや 自分自身に返ってきますよ 自分の代で 返ってこなくても 大切な 家族や 子や孫に 返ってくるかも知れません それでも 『自分自身でなければいいや』 なのでしょうか? それから 今 いろんなことで 『嫌な思い』をされている方・・ 嘆き悲しんだり その相手の批判などせず もっともっと 沢山の方々へ 『愛情』を注いであげましょう 自分がやられたから 仕返しをしてやるじゃ いっしょなのです 同じことの繰返しなのです 『人の痛みを知る』ということは その痛みを知っている人なら なお更のことです 人間どうしが 活きていける 世の中にしましょう 人間どうしが 明るく 楽しく 喜びあえる そんな 世の中にしていきましょう
2024.09.02
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