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2021年07月03日
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カテゴリ: 仏教、神話、哲学
宗教が教義を整えるのはある意味当然です。教義のない宗教も当然あります。神道とかね。地方地方で伝えられてきた祭祀方法もことなりますし、主役は神様で神様の考えることは人間には理解しきれませんので、神様にはありのままで居ていただいき、人間はその接し方を祭祀として伝えてきているわけです。神様は自然の事象そのものといった感じですので、「教義」なんてものは人間の浅知恵に近いのかもしれません。そうと知りつつ仏教は神々の領域に智慧として触れようとしています。仏教は基本的に言葉の無力さを知っています。そして菩薩は永遠ともいえる時間を修行して理解してゆくのです。

なので仏教や神道で、言葉で全て説明仕切った感のある宗教があるとちょっと警戒してしまいます。

ですが、ライバル宗派が多く存在する現代に於いては、宗教は矛盾点のないように整合性のとれた教義にするのが当然です。「人間が作った」宗教ならそれは当然ですよね。全てを奇跡で片付けられるのも困りものですし。

それで出来上がった教義。どうやって正しさを証明しますか?
入信してるなら考える必要のないことかもしれませんが、対外的、客観的、論理的にはどうやって証明します?

できないんですね。自身の力では。
あなたは帰納法の正しさを帰納法で説明されて納得できますか?できないですよね。それと同じです。
この場合、その教義体系の外側から正しさを証明してもらうしかないんですよ。

それで「証明できました!」で終わりではないんです。証明したことでその体系もはじめの体系に取り込まれちゃった。じゃあその体系を証明するには?また外側の体系を引用してこなくちゃならなくなっちゃった。以下ループです。


自身の正しさを自身で完全に証明することはできない。だいたいで手を打つしかない。ですから完璧な論理体系でも、根本のところで空論である可能性も出てきます。
宗派の正しさを神に求めたところで、そもそも神が存在しない可能性存在します。

完全な客観も存在せず、正しいことを完全には証明することはできない。世の中には正確に完璧に対象を言い表す言葉は存在しない。
「正名論」。実行できたら良いですけど、不可能なんです。言葉は言葉でしかない。言葉の先に本質は存在しない。それが「唯名論」。不偏や、本質の否定です。

完璧ではないから、そこそこで手を打つと、言葉は文学的表現にならざるをえない。
言葉は恣意的なものになるしかない。主観の押し付けだ。故に言語の違いによって、生きている世界が違ってくる。使う言語によって対象の価値が違ってくる。





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最終更新日  2021年07月04日 23時13分50秒
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