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2024年05月03日
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カテゴリ: 仏教、神話、哲学




そもそも分別は世界内にいるから存在する。
世界外からなら分別を用いず認識が可能なのである。
その論拠は「不完全性定理」にある。
不完全性定理とは、自分の正しさを自分では証明できないというものである。
例:刀Aで、刀A自体を切ることができない様に。
例:認識する者は認識対象の内に、自己を見出すことができない。
例:帰納法の正しさを帰納法で証明することができない様に。
例:嘘つきが「私は嘘つきである」と言う様に。

例:「すべての人は嘘つきである」と云う様に。
「自己言及のパラドックス」が発生する。
それらが例え正しかったとしても、それを証明することは(自身では)不可能である。
論理学に於ける不完全性定理は、物理学に於ける「不確実性原理」として現れる。観測者が観測対象に影響を与えてしまうから。それ自体を観測できることはできない。

世界外からの観測であれば、完全な客観が成立すると仮定することができる。しかしそれ自体についての観測結果は一つではない。自性(プラクリティ)は曖昧模糊な存在なのである。
自性(プラクリティ)の全体相を観ることを自性自体が夢想する。そして生み出されたのが究極の客観。自己(プルシャ)という概念なのかもしれない。

しかしそんな自己(プルシャ)は存在しえないとも云える。
観測結果はことごとく真実を歪める。観測は真実に影響を与えてしまうから。

自性(プラクリティ)の全体相を「法界」と名付けてみよう。
そして法界の全体相を知る智慧を「法界体性智」とする。
それらは分別された四智を合わせたものと説明される。





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最終更新日  2024年05月03日 01時19分40秒
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