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2024年08月02日
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カテゴリ: 仏教、神話、哲学



私は仏教と構造主義は似ていると何度も述べているが、構造主義の「構造」もそれと同じだ。

逆に社会学でいう「構造‐機能分析」は社会や歴史の変化を見る。
それは時代の変化の中で変化しない所に目を向ける。それが社会学での「構造」だ。
世俗の中での構造ということになる。

通常宗教というものは世俗や歴史と密接な繋がりを持つはずだ。
王権は神から授かったものであるとか、救世主が現れるとか。キリスト教やイスラム教でも聖書ストーリーで描かれるのは人類の歴史ということになる。

仏教では人類の歴史に関心がない。ただ栄枯盛衰してゆくものなんでしょ?という感じ。
産業革命や大航海時代や異民族の侵略とか、そんなものに関心はない。


じゃあ仏教にとってそれがどれほど大切なことなのか?実はあまり重要ではない。
社会の側が勝手に仏教伝来を重要視しているだけで、仏教側では宝輪が転じたという価値以外ないのではないだろうか。

無価値というのではない。ただメインテーマとはなりえない。あくまで宝輪が主人公で、宝輪がどこで転じたか、誰に転じたかはほとんど意味はもたない。

末法思想も仏教のメインテーマではない。社会の側が勝手に盛り上がっただけ。それに仏教界の僧侶が応えた。時輪タントラでイスラームとの最終決戦や、シャンバラ伝説などもそう。付録みたいなもので、仏教で歴史を扱う方がどうかしているという感覚。終末思想なんて仏教とほぼ関係がない。仏教は真理とそれに伴う構造がメインテーマなのだ。





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最終更新日  2024年08月02日 01時52分38秒
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