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2025年07月09日
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カテゴリ: 仏教、神話、哲学
サマタ瞑想は神秘的な意識に至りやすい瞑想法である。
三界は精神状態の階梯のようなもので、感情に左右される欲界からより深淵な色界・無色界へと続いている。この三界の内に様々な神様も住んでいることになる。

サマタ瞑想の欠点は、瞑想から出たら元の凡夫に戻ってしまうことである。
だからお釈迦様はアーラーラ・カーラーマ「所有するものは何もない」【無所有処】、ウッダカ・ラーマプッタ「想うこともなく想わないこともない」【非想非非想処】の師匠の下から離れ苦行に打ち込んだのだ。

苦行の目的はおそらく日常に於いてブッダを出現させることあろう。そのために欲望の滅尽を試みたのだと思う。しかしそれは不可能であることを悟った。苦行を捨て菩提樹の下で瞑想に入った。そこで「縁起の観察」を行った。つまりはヴィパッサナー瞑想である。
縁起こそ日常の正体である。
快楽にも苦行にも偏らない中道を歩むことにした。この場合の快楽とはサマタ瞑想に於ける恍惚境のことかもしれない。
サマタにも苦行にも偏らない中道。それが縁起を対象とするヨーガである。具体的には八正道である。

八正道を守ろうとすればサマタのみでは不可能なのである。正しい日常生活(縁起の場)を瞑想の糧としてヴィパッサナーに生きるのである。


「苦集滅道」とよく言われるが、「滅」は正しい翻訳とはいえない。正しくは「制する」なのである。欲望を制する方法が、八正道の正しい日常生活なのである。

だから【滅尽定】も「制尽定」とするのが正しいのかもしれない。
制尽定こそがヴィパッサナー瞑想なのである。縁起を観察する瞑想法である。





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最終更新日  2025年07月09日 01時26分35秒
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