真理探究と歴史探訪

真理探究と歴史探訪

2005年07月20日
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その体験とは、変性意識状態でみた夢の話が中心となる。つまり、自分の意識がはっきりしたなかで、夢の内容が進行していくタイプの夢である。

今から約2年前の話になるが、ある日、当時は長崎に住んでいた知人から電話があり、しきりと私に長崎の「二十六聖人の殉教地」(長崎市西坂公園)に来るようにとの話をいただいて、その長電話を終えた。そして、その余韻のなかで眠りについたときに、今までにない、とても印象的な夢を見た。


私の前には、何かの順番を待つ人々の姿が見えていた。

私は、そのひとりひとりを受け入れることとなり、その準備を整えた。

まず、最初のひとりを受け入れた。

受け入れる人に比べると、私の体はかなり大きかった。

その受け入れるところはというと、なんと!「ふところ」の中の・・・「心臓」であった。


その心臓の中に、人ひとりを迎え入れても十分すぎる位のスペース、それだけ私の体は大きかったのを覚えている。



その人が元気が出てきたところで、次の人を迎えるという感じであった。

受け入れた人々の中には、なかなか元気の出てこない人もいたが、何度か胸に抱く行為を繰り返すことで、元気を取り戻していった。


不思議なことに、その行為の最中に、感情のはたらきは一切無かった。ただ、無心にその行為を繰り返していく、ただそれだけだったのである。おそらく「真実の愛」とは、いわゆる愛情という感情を越えたところの、その行為そのものにある・・・、それを知るきっかけとなる夢だったと思う。


そして、最後のひとりを迎え入れて、そして見送りをしたとき、それが二十六番目の人だということを知った。

その時はじめて、知人との電話で話題にしていた二十六聖人の殉教者を、ひとりひとり抱いていたことに気づいた。

これをどう表現したらいいのだろう。

ただ、私の胸は燃え上がるように熱く、後にも先にも自分の心臓が、これほど暖かいと感じたことはなかった。



そこで夢の場面は変わり、今度はその二十六人全員を見送ることになった


そこには、ゴシック調のデザインの荘厳なバスが一台停車していた。

私はひとりひとりと挨拶を交わしながら見送り、まず二十六人がバスに乗り込んだ。



その女性の二十六人が、また続いてバスに乗り込んでいった。

ということは、バスの乗車人数は、男女合わせて52人ということになる。


ここで余談だが、その夢を見ている段階では、その殉教者の二十六聖人が全員男性であることを知らなかった。そして、それを後から知ることになり、後からバスに乗り込んだ二十六人の女性は、来世で夫婦になる予定の伴侶が寄り添うかたちとなったのでは、と思うようになった。


そして、みんなが乗り込んだバスは来世に向かって厳かに出発した。

私は別れを惜しみつつ、大きく手を振って見送りをした。




その夢を見て起きた朝、余韻の冷め遣らぬままに、私は長崎の知人に電話をした。「今日、長崎にいくよ!」と。そして、山口から一路長崎に向けて車を走らせた。以外に早めに着いたので、西坂の殉教地に向かうことにした。


二十六聖人の殉教の地は、現在は西坂公園になっており、その一角に慰霊のためにつくられた、二十六聖人を象るブロンズ像がたっていた。その裏手には、二十六聖人記念館があり、当時のキリシタンの殉教の歴史や文物、そして国際貿易港としての当時の長崎の様子を全体的に見渡すことができる。

ひとしきり公園内を巡り歩いて、ルイス・フロイスの記念碑にたどり着いた。長崎で殉教を目撃した、イエズス会宣教師ルイス・フロイスの報告書「日本二十六聖人殉教記」は、殉教の場所や殉教者の最後の様子を具体的に伝える記録となっている。このフロイスの記述によって、西坂の殉教地がわかったということである。

(なお、当時の日本には、キリスト教を布教する会派が、大きく分けてイエズス会とフランシスコ会の二派があり、殉教者の二十六名のそのほとんど(二十三名)は、フランシスコ会に所属の人々だったということである。)

そのフロイスを称える記念碑を見て、そろそろ場所を移動しようと思った時、背後から声がした。振り返ると、長崎の知人である。ここで待ち合わせをしていないのに、なぜかそこにいるのである。びっくり仰天したが、すかざず知人いわく。「たまに使われることもあるのよね。」・・・なんだそうだ。


そのときに持参した構造があった。それが今日の掲載写真にある3つの構造の内の手前の2つの構造である。向かって右側の緑色の構造が、「調和」をあらわす造形で、向かって左側の桃色の構造が、「愛」をあらわす造形だ。

この「調和」と「愛」の2つの造形を統合した構造が、その真ん中上位にある「真実の愛」をあらわす造形である。長崎に訪れた当時は、まだ「真実の愛」をあらわす、その統合の造形はできていなかった。

いわば、この2つの造形を統合するに至る、その心境の変化の過程において、まさに「夢」に導かれるかたちでこの地に足を運んだことになるわけで、そういう意味でこの殉教地は、私にとって印象深い場所となっている。



ところで、「お大切さん」という言葉をご存知だろうか。これは、山口市内にあるザビエル記念聖堂の展示室で知った言葉だが、当時の宣教師が「愛」という言葉の代わりに使用していた言葉なのだそうである。宣教師が布教に活躍していた当時は、「愛」という言葉の概念、というか意味づけが、現代の感覚と違っていたようなのである。

当時の「愛」は、「上位の立場にある人が、下位の立場にある人に、恵みや施しを与える行為」という意味合いだったということで、「対等」の立場で「LOVE」を伝えていこうとする宣教師は、その翻訳を「愛」ではなく、「大切」という言葉に少し装飾をほどこして、「お大切さん」という言葉にして活用していたということである。素朴で、わかりやすい表現だと思う。

私も、今でこそ「愛」という言葉を使うようになったが、この夢の体験をするまでは、ほとんど口から発したことは無く、その「愛」という言葉を聞いても、ほとんどそれに伴う(はずの)情的な反応は無かった。私は「愛」の無い人間なのか、などと頭をかすめたこともあるが、先述の「お大切さん」の話を知って何となく合点がいったことを、いまさらのように思い出す。

そして、先の夢の話でも取り上げたように、「愛」とは、言葉や感情であらわすより、態度や行為であらわす方が、伝わりやすいのではないかと思う。言葉で「愛」を伝えようと叫んだとしても、それは押し売りに聞こえてしまい、結果的には「愛」とは反対の「憎悪」を肥大化させてしまいかねないのではないか・・・。それは、「平和」を声高々にうたう人に限って、闘争的な性格の人が多いということと、どこか似通っているところがある。


おそらく「愛」の達人は、「愛」という言葉を一言も口にせず、さりげなく「愛」を伝えることができるのだと思う。その人は、「愛」を行為としてあらわすことができる人なのであろう。あるいは、「愛」を意識しなくても、「愛」のあふれる行為が実践できる人もいるだろう。しかし、たとえ「愛」のある行為があったとしても、その行為を受け取る側の人が、それを「愛」として受け止めることができるのかどうか・・・それを受け取る人の「心の器」こそが、大切な鍵を握っている場合もあるのではないかと、そのように考えてみたりもする。

しかし、これほど「愛」を、言葉として語るようになるとは、自分でも思わなかった・・・。もしかすると、「愛」に目覚めちゃったのかもね(笑)・・・。


言葉を超える「愛」を、目に見える「かたち」に託しつつ、さらなる模索の道を、今日もまた一歩。






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最終更新日  2005年07月20日 12時09分16秒


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