
全体としては台形状で、意図的に切り揃えられた形跡が見受けられた。この磐座を真上から見るとすれば、長方形であることが予想される。
ここでさらに興味を引くのは、この画像の磐座と、ほぼ同じ大きさと形状の磐座が、すぐ横の左側にあることだ。
とても気になったので、山道を外れて、この一対と思われる二つの磐座の間を通り抜けてみた。
すると、そこはかなり大きな広場があって、全体としては高台になっており、その意外に広い空間の側から二つの磐座を撮影したものがこの「中の画像」である。
その時の私なりの直観では、この二つの磐座の間の窪みが、この高台の広場に繋がる通り道という感じで、この広い空間の全体を俯瞰してみると、磐座は二つで「ひとつ」、つまり一対で「門」を形成しているのではないかということだった。
・・・ということで、ほぼこの画像の位置から方位を調べてみると、真南から東方に約20度を示しており、これは古より冬至の頃に「シリウス」が昇ってくる聖なる方位として、世界中の古い遺跡の数々にも痕跡が認められる方位線である。
思い返せば今年の「春の旅」でも、旅路の過程でこの「シリウス信仰」あるいは日本的には「弥勒信仰」を髣髴とさせる痕跡が見出せたのだが(以下に関連記事)、まさか今回の「秋の旅」においても、しかもシリウスに纏わる噂や伝承のある「位山」の山頂付近で、「シリウス」の痕跡が見出せようとは・・・。
☆関連記事・2013年04月10日 「春」の旅日記(17)⇒ リンク
ある種の感慨を胸に、この高台の広場を散策していると、他にも巧妙な細工が施された形跡のある長い石柱のような岩石も見出せたこともあり、この一帯を散策したその時の私の印象は・・・この場所にはもしかすると、言わば「シリウス神殿」のような建造物が、太古より存在したのではないか・・・ということであった。
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