真理探究と歴史探訪

真理探究と歴史探訪

2013年10月31日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
P9251034.JPG



源頼朝の追っ手に囲まれた源義経が屋根を蹴破って逃げたといわれ、「蹴抜の塔」とも呼ばれている。

しかし、実はこの塔の由来はさらに古く、それは今から約1300年前の修行僧にあるとされ、その修業僧こそ「役小角(役行者)」と伝わるのだ。

かの「大峯山(山上ケ岳)」は、「役小角(役行者)」が開山したと伝わるが、その前にこの塔の場所で三年間の修業を経た後に、この山を開かれたことになっているそうだ。

その後、弟子の僧が出て、師匠の「役小角」の徳を偲ぶために一基を建立して、今後「大峯山」へ登る修験者は必ず皆、師匠と同様に修業して登るようにと、昔から伝わって現在に及んだとのことである。

P9251084.JPG

この「下の画像」は、吉野のある場所にて、「役小角(役行者)」の彫像を撮影したものである。


さて、ここで「役小角(役行者)」について、その略歴を(伝説を含めて)紹介しておきたい。

役 小角(えん の おづぬ)は、飛鳥時代から奈良時代の呪術者である。修験道の開祖とされていて、後の平安時代に山岳信仰の隆盛と共に、役行者(えんのぎょうじゃ)と呼ばれるようになった。

17歳の時に元興寺で孔雀明王の呪法を学んだ。その後、葛城山(葛木山。現在の金剛山・大和葛城山)で山岳修行を行い、熊野や大峯の山々で修行を重ね、吉野の金峯山で「金剛蔵王大権現」を感得し、「修験道」の基礎を築いた。




「役行者」は、「鬼神」を使役できるほどの法力を持っていたという。左右に「前鬼」と「後鬼」を従えた図像が有名である。

ある時、葛木山と金峯山の間に石橋を架けようと思い立ち、諸国の神々を動員してこれを実現しようとした。しかし、葛木山にいる神「一言主」は、自らの醜悪な姿を気にして夜間しか働かなかった。

そこで「役行者」は「一言主」を神であるにも関わらず、折檻して責め立てた。すると、それに耐えかねた「一言主」は、天皇に「役行者」が謀叛を企んでいると讒訴したため、「役行者」は彼の母親を人質にした朝廷によって捕縛され、伊豆大島へと流刑になった。こうして、架橋は沙汰やみになったという。

「役行者」は、流刑先の「伊豆大島」から、毎晩海上を歩いて「富士山」へと登っていったとも言われている。

(※以上 Wikipedia より抜粋)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2013年10月31日 23時23分37秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

サイド自由欄

《 立体工作のご案内 》「綿棒」で立体を作ってみよう!
http://plaza.rakuten.co.jp/opektal/diary/201209180000/
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆【YouTube】『スケルトン立体』を作って楽しもう!
No.1…《綿棒工作》の「準備編」(以下のURL)
https://www.youtube.com/watch?v=uAtddr1KZWU&t=216s
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎【Facebook】(以下のURL)
https://www.facebook.com/yuichi.yamamoto.10485
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
*livedoorブログ(造形作品の紹介など)
http://blog.livedoor.jp/tyctm237/
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎連絡先
tyctm237★yahoo.co.jp
(ご連絡の際は★を@に)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: