真理探究と歴史探訪

真理探究と歴史探訪

2015年02月23日
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 「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招聘されるようになりました。 また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。」

この度、縁あって、その武寧王(462〜523)が出生したとされる加唐島(佐賀県唐津市)を、近くの加部島より展望する機会があり、改めて陛下のお言葉を噛み締めるところである。
※関連記事⇒ リンク

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先日の日記で紹介した書籍・・・『 百済の王統と日本の古代 』 兼川 晋 著作・・・によると、「七支刀」の製作年は南宋の泰始4年(468)で、その場合の七支刀の贈り主は百済王の余慶(455~475)となり、贈られたのは余慶から日本に派遣された牟昆(牟氏系の昆支=倭王「旨」)だったと推考されていた。

その百済王の余慶の庶子であった斯麻(加唐島にて生誕)が、後に分裂していた百済を統一した武寧王(462〜523)であったとのことである。


ところで同書で紹介してあったのだが、今でも七支刀を捧げ持つ百済の使者の木像を祀る神社が、福岡県みやま市に鎮座しているそうだ。その「こうやの宮」とも呼ばれる神社の正式名称は「磯上(いそのかみ)物部神社」である。

かの七支刀が、奈良県天理市に鎮座する物部氏の石上神宮に伝えられたのは、この「こうやの宮」が九州の物部氏を合祀したときにでも、社殿の宝物として移行したものと考えられるそうだ。

また別の研究書を紹介したサイトによれば、磯上物部神社に存在する「七支刀を持つ男性像」と「鏡を持つ女性像」の二体の木像を映した画像とともに、その両者を磯上物部神とする考察等が紹介されており、実に興味深かった。




そして今、その会場の冒頭に展示されていた「七支刀」と「七子鏡」を思い出す時、磯上物部神社に伝わる二体の木像が持つ七支刀と鏡に、それらは見事に重複して見えてきて・・・この二つの至宝は、実在した九州王朝の皇都に、久しぶりに里帰りしたのだ・・・と感じられ、ますます歴史ロマンは膨らむばかりの今日この頃である。

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最終更新日  2015年02月24日 01時08分43秒


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