





地元の伝承によると「宇夜都弁命」は、神代の時代にこの地に天降り、荒れ地を開拓されたありがたい女神ということで、この女神が降臨されたことが地名由来となり、この辺りを「宇夜の里」から「宇屋谷(うやだに)」と呼ぶようになったと伝わる。
上の画像は、参道脇の土手に咲き誇る彼岸花(曼殊沙華)を撮影したものだ。まるで「宇夜都弁命」の遺徳をあらわすかのように、陽光に映え美しく輝いていた。
そして、当社の神体山「権現山」の峯にあって、「宇夜都弁命」が降臨したと伝わる「磐座」を撮影したものが、この上下の画像である。
上の画像の上方に映る山が「大黒山」(向かって左側の峰)であり、この「磐座」の佇まいから「大黒山」と響き合っていると感じられ、またそれは「大国主命」と「宇夜都弁命」の関係性を物語っているとも感じられた。
実は、この神社から磐座に向かう道中の一角に、丸い大きな石が置かれていたのだが、帰宅して改めてこの「神代神社」を調べてみると、その石には《 神代社旧跡
大巳貴命
》と刻まれていることが分かった。
この「大巳貴命(おおなむちのみこと)」とは「大国主命」のことだが、下の由来書を見れば分かるように、確かに当社には「大巳貴命」も配祀されており・・・もしかすると旧社地には「大巳貴命(大国主命)」が主祭神として祀られていたのかもしれない・・・という直感が私の脳裏を過ぎった。
それと同時に、上記の紹介書籍から抜粋した内容の類推から、この「宇屋谷」に鎮座する「神代神社」の境内で、かの「大国主命(大巳貴命)」は誕生したのではないかという想いを強くするのであった。
また、この「神代神社」が鎮座する地名「宇屋谷(うやだに)」の、その「うや」という発音を含む周辺の資料を考察すると、
この地域に鍛冶集団がいた可能性があるとする歴史研究があり、それによると「荒
神谷遺跡」から出土した
銅剣の工房の存在を推測することができるということである。
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