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April 28, 2006
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カテゴリ: クラシック音楽



 ある友人は「キリスト教もよく知らないで、『バッハの音楽は宗教的だ』なんて、簡単に言わないでほしいものですね。もっとも僕は、バッハよりシャルパンティエやカンプラのほうが、よっぽど『宗教的』だと思いますがね。」と言います。
 なるほど、彼の言い分には説得力を感じます。
 というのも、私はバッハの音楽に、なぜか「人間的な負の情念」を感じるからです。

 喜びや明るさ、心の平安、幸福感を正の情感とするなら、反対側にある怒りや嫉妬、恨みや苦悩は負の情念と捉えることができるでしょう。
 もちろんバッハの全ての音楽に「負」を感じたりはしませんが、チェロ組曲やバイオリン・パルティータの中のおどろおどろしさ、凝縮するような息苦しさは、私にとって「眉間にしわを寄せて苦悩する人間」をイメージさせます。

 それに比べるとシャルパンティエやカンプラのレクイエムには、音楽の底に水のように清透に流れる「哀しみ」はあっても、私がバッハに覚える息苦しさが感じられず、むしろ発散するような、ゆるやかに心を弛緩してくれるものを感じるのです。

 考えてみると、私にとってのキリスト教は、哀しみを浄化し、現実を受け入れる覚悟を抱かせ、生きる上での価値観を変える、いわば私を励まし解放してくれるものであって、「息苦しい」と感じたことがなかったように思います。
 つまるところバッハの音楽を通して、人々が「宗教」をどう捉えているか、が見えるような気がするのです。





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最終更新日  March 8, 2017 07:10:54 PM
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