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古歌といっても好みの歌を選び出し、詞書や読み手の名前を書き記し、
歌の真意を理解してこそ見どころがあるというものですが、
女人は使わぬ紙屋紙だの陸奥国紙といった立派な紙ではあるものの、
古くなってぼさぼさになったものにありきたりの事が書かれた面白くもない草子などを、
どうしようもなく気の沈む折には広げてご覧になるのです。
今風に読経、勤行などなさるのはひどく気後れして、
誰が見ているというわけでもありませんのに数珠を御手に取ることもなさらず、
ひたすら几帳面に暮らしていらっしゃるのでした。
そんな中で侍従という御乳母子だけは、
長年常陸宮邸を離れずにお仕えしているのですが、
通いながらお仕えしていた斎院がお亡くなりになってからは
生活苦に耐え難くなりました。
一方末摘花の君の叔母君で、
世に落ちぶれて受領の北の方となっていらっしゃる方がありました。
娘たちを大切に養育しており、若くてよい女房を求めていましたので、侍従は、
『全く知らないお邸より、親たちも以前はお仕えしたこともあるのだから』
と思い、この受領の家にも時々ご奉公に上がっています。
常陸宮の姫君はもとより人に親しみ馴染まないご性質でいらっしゃいますので、
叔母君とも睦まじく御文のやりとりなどなさいません。叔母君は、
「姉君は、受領の妻となった私をお見下げになって、一族の面汚しのようにお思いでした。
ですからその姫君・末摘花の暮らしがあのように困窮していらしても、
私は決して面倒を見て差し上げないのです」
と、侍従には憎まれ口を言い聞かせながら、
実は時々末摘花の姫に御文を差し上げていたのでした。