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朱雀院は六条院への御幸の後からずっとご気分がすぐれません。
もとよりご病気がちでいらしたのですが、この度はすっかり心細く思召されて、
「私は長い年月、出家して仏道修行するという本意が深いのですが、
母・弘徽殿大后がご存命でいらした頃は、
何事もご遠慮申し上げてぐずぐずしておりました。
母亡き今は出家が急がれるようで、余命少ないような気持がします」
など仰せになって、出家のためのしかるべきご準備をお命じになります。
御子たちは春宮を除き申し上げて、姫宮たちが四人いらっしゃいました。
中で藤壺と申し上げるおん方は、桐壺帝より前の帝の源氏姓ご出身でいらして、
朱雀院がまだ春宮でいらした頃に入内なすって、
将来は中宮などの高い位にもお着きになるべき人でしたが、
はかばかしい御後見もおわせず、母方もそれと指して言えるほどの家柄でもなく、
頼りない更衣腹でいらしたので、内裏でのお付き合いも心細げでした。
その上、弘徽殿大后の妹・朧月夜の尚侍の君が内裏にお上がりになりましてからは、
並ぶ者のないご寵愛ぶりですっかり気圧されて、
朱雀帝も御心中では『気の毒なこと』とはお思いになりながらも、
そのままご退位なされてしまいましたので、
世の中を恨むようにしてお亡くなりなされてしまいました。
朱雀院は、その御腹の女三宮を、
あまたの皇女のおん中でも特別可愛がって大切にしておいででした。