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二月の二十日あたりに匂兵部卿宮が初瀬詣でをなさいます。
古い御祈願でしたのにぐずぐずなすっていく年も経ってしまったのですが、
宇治のあたりの中休み所に気が惹かれての御参詣でした。
「うらめしい」と言う人もある里山が、
特にお気に召していらっしゃるのもおかしなことでございます。
上達部があまたお供なさいます。まして殿上人などは言うに及ばず、
京に残る人が少ないほど大勢ご奉仕なさいます。
六条院から右の大殿に伝わった別荘は宇治川の対岸にあって
たいそう広く風情ある場所ですので、そこにご宿泊の用意をおさせになります。
右大臣も帰りのお迎えに参上なさるお心積もりでいらしたのですが、
急な御物忌みで外出ができなくなりましたのでお詫びを申し上げます。
匂宮は何となくご不快なお気持ちになられたのですが、
お迎えに薫中将がお越しになりましたので、
『反って気兼ねもないし、姫たちの様子も分かるであろう』
とお思いになります。
匂宮は右大臣のことを『打ち解けにくく、苦手な相手』
と思っていらっしゃいます。
右大臣の子息たち、右大弁、侍従の宰相、権中将、頭中将、蔵人の兵衛の佐
などが皆お供なさいます。
帝や明石中宮が格別可愛がっていらっしゃる宮ですので、
世からのおん覚えも並大抵ではありません。
まして六条院につながる人々は右大臣をはじめとして
その次々の人々までみな『我が娘の婿君に』と思いつつご奉仕します。
宇治という場所にふさわしい御座所の飾り付けをして、
碁、双六、石はじきなどの盤を取り出し、それぞれにお遊びになります。
匂宮は慣れないご旅行にすっかり疲れてしまい、すぐにお寝みになりましたが、
夕方になってお琴などをお召しになり、みなと演奏なさいます。