田中およよNo2の「なんだかなー」日記

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2004年07月17日
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カテゴリ: 超硬派
久し振りに電車で私は寝なかった。


その本は 「野中広務 差別と権力」 魚住昭著作 講談社刊 である。

この本には、華やかな国際政治も、単なる立身出世の一代記でもない。

表と裏が混ざり合い、一体化してきたドメスッテイックな日本土着戦後史とその狭間を調整して権力を上った男の記録、だ。

いや、そもそも、表と裏を分けるのが間違えているのだろう。
なぜなら、人間には光もあれば影もある。
当然、人間が動かす政治にも表もあれば、裏もある。

そして、野中広務という政治家ははどちらも引き受けてきた。
時にはタブーでさえも呑み込んでいる。

同時に人間・野中広務の中には弱者への暖かいまなざしと、強者への対抗心がある。
さらに、彼はそのどちらの視点からでも、集団を揺り動かす力を持っていた。
きわめて幅の広い男といえよう。

言葉だけの正義などは、時に何も動かさない。
政治が現実的である以上、動かしてナンボの側面だってあるのだ。

昨今、議員の多くは二世議員であり、清潔なフリをして活躍している。
彼らが清潔なフリができるのは、先代が傷を負いながら地盤をしっかりしてきたからだ。
私達はそれを忘れてはいけない。

世襲などによって固定化された日本の政治では叩き上げの政治家はもう生まれないのだろうか。
もし、そうであるとすれば、野中広務は最後の戦後史の政治家ともいえよう。

いささか、個人的な感想が長くなってしまった。

「野中広務 差別と権力」 でもっとも、私が興味を引かれたのが、かつては片腕だった野中氏が蜷川府政と対立する場面だ。

この本は公平である。
蜷川府政を革新の希望として描くのではなく、現実的な利権分配を行っていたことも書きつつ、野中氏の強引な手法にも触れている。

同時にこの本はある種の人間ドラマである。
野中氏と蜷川氏が敵対してもなお、人間として敬意を抱いていたように書かれている。

敵対する表向きの態度と、共感する裏に流れる感情が野中氏の中でせめぎあっている。

国政に出ても野中氏は権力を上るときには必ず、この相反するものを抱えてしまっている。

「野中広務 差別と権力」 は政治ルポタージュに徹することで、戦後の権力者の悲しみや、宿命さえも浮かび上がらせる。

つまり、一人の人間を通した戦後政治史であると同時に、政治と差別に翻弄される一人の人間の生き様を表した評伝でもある。

どちらとしても一級の書物だ。
私は胸を張ってこの本を推す。
「世界」と「人間」、どちらも学べる最良の教科書だ。





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最終更新日  2005年01月15日 23時29分30秒
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