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ブログ『統一教会人としての一言』から「 文書の罪は言葉による罪より大きい! 」には、悪質ブログについて書かれていた。他ブログでも悪質ブログに対して警鐘を鳴らす記事も見受けられる。凡人もその一人としてPCに向かっている「今」である。
悪質ブログの意図するところは、明らかに統一教会のイメージダウンにある。1月にも某ブログで 「韓国で統一教会告発本が刊行される」 といった内容の韓国での記事が紹介された。その文を読めば、 1991年に米国で出版された 小説の韓国訳本 の出版 であることが明記されているにもかかわらずである。見出しだけでも大きなインパクトがあり、 日本ブログ村・統一教会の人気記事ランキング でしばらく上位を占めたりもした。
また、ブログ記事『日本統一教会「空気銃摂理」の出発点』も然りである。
「空気銃」の存在については、凡人も知るところである。二十年ほど前には、あるエアライフル射撃場にもまだ置いてあって、遊び人の凡人は何度となく足を運んで撃ったこともあるくらいだから。
銃身は少し短く射撃用には適していない(軽量もあって、鳥類のハンティング用か)。古いということ(製造中止)も合わさって的の真ん中に当たらないのが常識だ![]()
ここで凡人が申し上げたいのは、『空気銃=摂理』、また、『銃=武器』といった公式はあてはまらない、ということだ。
「摂理」というからには、その時々の時代背景を考慮していかなければならないだろう。当時、南北韓の緊張は今に劣らず、かなりのものであった。そこに軍事産業を起こした文総裁は、金日成からは一目置かれる存在に映ったに違いない。自叙伝からも、1991年の金日成との出会い(P.259~)でも、その緊迫した世界情勢を救ったのだ。

統一原理 には復帰摂理といった用語もでてくるが、「摂理」を語るからには、そういった情勢の配慮も必要だ。
また、悪質ブログは「銃=武器」のイメージを埋め込もうとしているが、オリンピックでも射撃競技があり、シューティングやハンティングといったスポーツとして楽しむ人もいることを忘れてはならない。(銃口を人に向けないなどのマナーを守れば、立派なスポーツだ。)
以下は、日本統一教会の旧HPから引っ張ってきたもので、文総裁夫妻のみ言及び写真等の利用について(著作権等)書かれていたものである。 現在のHP にもこれがあってもよさそうなのだが。
凡人も含めて、これを念頭に置きながら責任あるブログ作りに心がけたいものである。
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