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独生女考(4)
独生女考(5)
では男性アダムだけではなく女性エバの復帰摂理も同時にされていたという話をした。
聖書・原理講論は男性アダム復帰中心に書かれたものであり、女性エバ復帰の記述はほとんどといっていいほど見当たらない。ただ聖書を見れば、記された氏名ある女性の使命からそれを憶測する以外にない。
また、原理講論の記述にしても完成したエバの象徴としての「善悪知るの木」の紹介はあるが、それ以上のことは詳しくは書かれていない。
ここでもう一度、 原理講論「総序」
最後の記述に私たちは注目してみる必要を感じる。
つまりは、
ここに発表するみ言はその真理の一部分であり、今までその弟子たちが、あるいは聞き、あるいは見た範囲のものを収録したにすぎない。時が至るに従って、一層深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを切に待ち望むものである。
暗い道をさまよい歩いてきた数多くの生命が、世界の至る所でこの真理の光を浴び、蘇生していく姿を見るたびごとに、感激の涙を禁ずることができない。いちはやくこの光が、全世界に満ちあふれんことを祈ってやまないものである。
原理講論に記されたそれが全てではなく、「
時が至るに従って、一層深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを切に待ち望むものである。
」と。
これらに関しては、これまでも文総裁が多くのみ言を語られてきたそれもあるが、今日の真のお母様が語っておられるみ言もその延長線上にあると思われるのである。
その一つのキーワードが「独生女」である。
旧約時代は救世主・メシヤを待望していたが、それ以上に待ち望んでいたのは「エリヤ」の再臨であった。イエス様は洗礼ヨハネがそのエリヤであると言ったが、洗礼ヨハネはそれを否定し、ユダヤ民族はそれでイエス様につまづいた。
新約時代になっては、イエス様の再臨はもちろんのこと黙示録で書かれていた「子羊の婚姻」、再臨の主と共にその「新婦」(実体聖霊)がどういう方なのか、私たちはもう一度確認していかなければならない。
何度も言うが、三男派派・七男派がこぞって否定している「独生女」については、文総裁も語っておられた。これを決して否定することはできない。もう一度そこに立ち返っての見直しを、私は勧めているのである。
もしも、それに対して頑なな態度をとり続けるとするならば、2000年前のイスラエル選民の二の舞いを踏むことになるのではないかと懸念する次第である。
聖書にはそれへの警告もイエス様自身が語っておられた。
世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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